第26話 憤怒は本能を暴く

 翌日。


「――伊佐谷さん、ごきげんよう」

「げ……」

「あら? 大事な『妹』が来てあげたというのに、その嫌そうな顔はなんですの?」

「君の魂胆がわかっているからだよ……」

「どうして? 先日、とても美味しいラーメンをいただいたものですから、その感想をぜひお伝えしたくて飛んで参りましたのに」

「ほら、やっぱり!」

「ふふふ、つれない伊佐谷さんですわね」


 動揺する伊佐谷に構うことなく、あたしは空いていた隣の椅子に腰掛ける。

 昼休み中、またしてもあたしは伊佐谷のいる大図書館へやってきていた。


「『妹』を幸せな気持ちにさせたのですから、もっと誇ってみては?」

「心にも無いことを言うのは君らしくないよ」


 そんなことはないんだけど。

 ラーメンはマジでバカ美味かったし、1000円できっちりお釣りが来るくらいお値段も手頃だった。


「本当に美味しかったんですのよ?」

「君は、味の感想を伝えたいわけじゃないだろ? 相手が君だから激怒はしないけれど……このぼくに、あんな父親がいるからってバカにすることないじゃないか」


 ん?

 伊佐谷、勘違いしてる?


 確かに、伊佐谷の実家がラーメン屋さんだって知ったことで、ちょっといじっちゃおって気持ちはあったよ。


 でもそれと同時に、庶民的な伊佐谷には親近感を持ったわけで、バカにするって目的はない。


 もちろん、伊佐谷のお父さんに対しても、その気持ちは同じ。


「私、あなたとお父様を茶化しに来たわけではありませんけれど?」

「それならどうしてうざ絡みでいやがらせするのさ?」

「いやがらせではありませんわ。そうですわね、強いて言えば、この前『松平軒』を訪問したことで、少々ご機嫌になってしまったのが、あなたにはそう見えるのでしょうね」

「……機嫌よくなるようなことなんてあった?」

「もちろん。ひた隠しにしていたあなたのご実家がわかったということもありますし」

「君を呼ぶような家じゃないけど」

「珍しく卑屈ですわね。まあ、それよりも、本心がわかりにくいあなたが、父親の前では年頃の子どもみたいな態度だったんですもの。少しだけあなたを理解できた気になれましたわ」


 伊佐谷の顔が、かっと赤くなった。

 目を伏せてしまうあたり、怒っているわけじゃなさそうだ。


「昨日のぼくのことは忘れてくれ……」

「忘れませんわ。あれもあなたの一部ですもの。大事な思い出として大切にしまっておくつもりですわよ」

「今日ばかりは蓮奈ちゃんに勝てる気がしないよ。……じゃあ、あの恥ずかしい親父の娘だってことをバカにするつもりはないんだ?」

「恥ずかしがるようなお父様にも見えませんでしたけれど」


 ていうか、あたしとしてはあのラーメン父さんは父親としては普通にアリだし。

 ああいう豪快で雑な感じの方が付き合いやすそうだ。


 ……少なくとも、今現在戸籍上のあたしの父親よりはずっとマシかも。


「蓮奈ちゃん、そういうのやめてくれよ。うちは父子家庭だけど、君に義理の母親になってもらいたくはないから」

「そういう意味ではありませんわよ」


 あたしは持ってきた弁当箱を開けた。


 大図書館での飲食も、すっかり慣れたものだ。

 ていうか、伊佐谷のところも片親だったんだ……。


「君とは義理の姉妹になるより、『姉妹』以上に深い関係になりたいよ」


 すっかり回復した様子の伊佐谷は、あたしの肩に腕を回してきて余裕の表情だ。


「今更取り繕っても手遅れですわよ。私はもう動揺してしまったあなたの顔を知っていますもの」

「うるさいなぁ」


 ちゅっ、と頬に唇を当ててくる伊佐谷。

 甘くて爽やかな残りが漂った。


 ラーメン屋の娘らしからぬ香りだよ。


「同意を得ることなく口づけをするのは暴力ですわねぇ……」

「本当は君の唇を塞ぎたかったんだけどね」

「それは遠慮しますわ。私はもう食事を始めてしまいましたもの」

「君が咀嚼していようとも、ぼくは気にしないよ?」

「え、キモ……」


 ついつい『素』が出ちゃった。


「まあ、ともかく昨日親父に出会ってしまったことは、君の記憶から消しておいて。あんな人を見られて恥ずかしいからね」

「あなた、いくらなんでも父親を悪く言い過ぎですわ。そういう子どもっぽさは感心しませんわね」


 あまり認めたくないけど、あたしにとって伊佐谷は、カッコいい存在であるという前提が常にあるヤツで、微笑ましい子供っぽさはいいけど幼稚に感じるようなことはしてほしくなかった。


「蓮奈ちゃんにはわからないのさ」

「それほど深い事情がお有りでも?」


 これがとんでもないDV親だったのなら話は変わってくるんだけど。


「あいつはぼくのすべてを否定したから」

「すべて?」


 おおらかそうで、全否定なんてしそうなお父さんには見えなかったんだけど。


 結局伊佐谷は、それ以上踏み込んだことを話してくれなかった。


 伊佐谷とお父さんとの間に一体何が?


 そんな疑問だけが強く残った。


 伊佐谷はいつもヘラヘラしたヤツで、ここまでハッキリと怒ってますって顔をするのも珍しい。

 他人の家庭事情に、あまり首を突っ込みたくはない。


 でももう一度、伊佐谷の家に行ってみたいって気分になっちゃってる。


 ひょっとしたら、今のあたしは。


 少しでも伊佐谷に知らない部分があるのが嫌なのかもしれない。

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