僕はあの日、天才を捨てた

ウニぼうず

第1章:胸の奥に沈んだ火種

遠い日の記憶

第1話:神童と呼ばれた少年

あの暑い夏の日、僕の自信は粉々に打ち砕かれたんだ。

それまでの僕は、自分が無敵だと信じていた。疑いなんて、一ミリもなかった。


小学三年生の僕は、地元のそろばん塾で“神童”と呼ばれていた。

暗算六段。これは、普通なら中学生や高校生でも簡単には取れない段位だ。

でも僕は、小学一年生の終わりからそろばんを始めて、わずか二年足らずでそこまで到達した。


最初は、ただ楽しかった。

数字の波を泳ぐ感覚。答えが次々と目に浮かぶ爽快さ。

ゲームみたいだった。頭の中がぴたりとはまる瞬間が、心地よかった。


気づけば、計算のスピードも正確さも、大人を含めて敵なしになっていた。


「タクミくん、すごいわねえ。もう先生より速いんじゃない?」

「将来は全国一位間違いなしだ」

「うちの子もタクミくんに憧れてるのよ」


街を歩けば、そんな言葉が次々と耳に入る。正直、気分は悪くなかった。

だって、本当に僕は速かったし、強かったし、誰にも負けなかった。


そろばん塾の先生、藤原ふじわらカナエ先生もこう言っていた。

「タクミはね、わたしの塾50年で最高の逸材だよ」

白髪をひとつに結んで、いつも淡々とした語り口のカナエ先生が、あんなふうに口にするなんて珍しい。

僕はうれしくて、でもそれを表に出すのは格好悪いと思って、ただ「はい」とだけ答えた。

でもその夜、布団に潜り込んでから、何度もその言葉を思い出しては、こっそりにやけた。


──僕は、本当に天才なんだ。

そう思って疑わなかった。


近所の商店街の大会では常に優勝。計算対決のイベントでも連戦連勝。

町の新聞には何度も名前が載り、地元のケーブルテレビでは「天才キッズ集まれ」で特集まで組まれた。


長塚ながつかタクミくん、暗算六段のスーパー小学生!」

ナレーションが流れるたび、母が録画を何度も見返し、父が会社の同僚に自慢していた。


正直、ちょっと照れくさかった。でもそれ以上に、僕は確信していた。


──僕は、日本一のそろばんの天才なんだ。


それが揺らぐなんて、あの時までは、これっぽっちも思っていなかった。

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