みんな、みぃーんな、リィンカーネーション。
るかじま・いらみ
第1話 前世・来世の夢
※センシティブな内容を含みます。一部の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。
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あの夢を見るのは、これで何回目になるだろうか。
高校に上がってから、私は不思議な夢を見るようになった。
ほかの人に成り変わる夢だ。
変わる人は夢を見るたび、毎回違う。
1回目は母になっていて、2回目は祖父になっていた。
3回目は親しい友人で、4回目は担任の先生だった。
その夢の中で私は完全にその人に成りきっていた。
彼らにはそれぞれの生活があり、悩みがあり、価値観があり、人生観、道徳観がある。
私に対する見方もさまざまで、自分では気づきもしなかった思いを抱いていた。
夢から覚めたあと、自分は他人からこんなふうに思われていたのかとうれしくもあり、ショックでもあった。
夢で見たことだったが妙に生々しかったので、試しに母に聞いてみることにした。
夢で知った、普段は口にしないような本音の部分を。
いきなり言われて母は口ごもっていたが、どうやら当たっているように見えた。
今度は勇気を出して友人にも聞いてみた。
友人はびっくりした様子で、たしかにそう思うこともあると答えた。
ほかの人の心を知ることができる夢。
だから私は、あの夢はきっとテレパシーのようなもので、周りの人の心を読み取ってそれが夢に現れているのだと思った。
ところが5回目は小さな男の子になって、少し背の伸びた私と手をつないで歩いていた。
誰なのかわからず困惑したが、半年後に生まれた甥っ子を見て、あれは成長したこの子だったのではないかと考えた。
6回目はうちの家の中で寝そべる犬だった。
三ヶ月後に父が譲渡会からもらってきた犬を見て、きみかぁと驚いた。
テレパシーの夢だけでなく予知夢も見るのかと不思議に思っていたら、7回目は顔も名前も知らない小学生の女の子になっていて、ネットでしか見たことのないような昭和の住宅に家族とともに住んでいた。
知らない人になるのはこれが初めてだった。
8回目はこれも知らない年老いた男性で、戦後のヤミ市で買ったサツマイモを孫たちと分けて食べていた。
9回目は工場で働く青年になっていた。会社の寮で同僚と一緒に住み込みで働きながら、整備士の資格を取るため勉強していた。
10回目は都内に住む若い女性だった。見たことのないモデルのスマホで恋人と連絡を取り合っていた。
この夢はいったいなんなのか。
過去でもあり、現在でもあり、未来でもある。
成り変わる相手は家族だったり、近しい人だったり、まったく知らない人だったりする。
私はこの夢のことを周囲に相談し、自分でもネットで調べまくった。
残念ながら明確にこれという答えは見つからなかったが、輪廻転生の話が一番近いように思えた。
悩んだ末、ある考えが思い浮かんだ。
夢の中で私は彼らそのものだった。
いや、彼らが私そのものなのかもしれない。
夢で成り変わった人たちはみんな、私自身だったと言える。
『この夢は全て、自分の前世か来世』なのでは……?
いつしか私はそんな考えを持つようになった。
母や弟が自分の生まれ変わりと考えるのはおかしいかもしれない。
でも、人と同じく宇宙も輪廻転生しているらしいから、同じ時間に自分の生まれ変わりがいてもおかしくはないと思う。
転生した宇宙で何度も私が生まれ、あるときは私の母に、またあるときは私の弟になる。
そう考えると父も母も弟も、祖父も今は亡き祖母も、友人たちも先生も、ペットの犬でさえも、みんな自分の生まれ変わりではないかと思えてきた。
誰かは何十回目かの私の前世で、また誰かは何百回目かの私の来世。
いやひょっとすると、この世の全ての生きとし生けるものが、何回何十何百何千何万何億回目の私かもしれない。
11回目は病院で働く看護師だった。シングルマザーとして仕事と家庭の両立をかろうじて成し遂げていた。
12回目は地方の男子大学生だった。奨学金を返しながら通い、卒業後に高校から付き合っていた相手と結婚した。
13回目はソフトボールをしている少女だった。学校のクラブに入って毎日欠かさず練習をしていた。その努力が実って、二年続けて全国大会に出た。
14回目は中年の男性だった。離婚して独り身になったが、土いじりにはまって家庭菜園で色んな野菜を作るようになった。
15回目はラーメンが好きな青年だった。毎日ラーメンを食べ歩き、感想をネットに載せて一部では有名になっていた。
16回目は短期留学から帰国した女子高生だった。本格的に海外の大学に行くため勉強に打ち込んでいた。
17回目は還暦近いおじさんだった。若いときからバンドを組んでいて、マルシェなどで曲を披露していた。
18回目はマンガ家を目指す三十路の女性だった。編集者から見限られても諦めきれず、ネコとの生活を四コマにしてSNSに上げていた。
19回目はゲームに熱中する小学生男子だった。大会に出て負けた悔しさから、親も引くほど練習をするようになった。
20回目は寝たきりのおばあさんだった。夫に先立たれ、痴呆も入り出したが、心は穏やかでいつも幸せだった日々を思い出していた。
このうちいくつかは住んでいる場所や月日の分かるものがあり、可能な限り調べてみた。
少なくとも13回目のソフトボールクラブの少女と、15回目のラーメン好きの青年は実在したことが確認できた。
17回目のバンドのおじさんもそれらしき人がいるのを見つけることができた。
18回目のマンガ家志望の女性はSNSで簡単に見つかるかと思ったが、ペンネームまで分かっていたのに見つけられなかった。
だが同人誌で表記は異なるものの読みが同じ人がいた。ネコの四コマはこれから作られるのかもしれない。
みなそれぞれ苦悩があり、楽しいことよりもむしろ辛いことのほうが多かった。
それでも前を向いて懸命に生きていた。
そんな彼らが私の前世、もしくは来世であることがとてもうれしく、また誇らしかった。
私はどうして、この夢を見るようになったのだろう。
この夢には何の意味があるのだろう。
人生は一回きり。
しかし私はこの夢を通して、いくつもの人生を経験できる。
それは普通ではあり得ないことだ。
もしかすると、多種多様な人生を体験することそれ自体に意味があるのかもしれない。
私が読んだ輪廻転生の話には、生まれ変わりとは新しい人生を与えられることではなく、生きる苦しみを再度与えられることだという。
人生とは苦難で、地獄の一つ。
何度も転生を繰り返し、多くの人生を経験して言わば魂の修行をするのだそうだ。
そのせいなのか、前世来世を自覚した私は、ほかの人たちのことを完全な他人とは見られなくなった。
必然的に人にあまり怒ることも苛立ちを感じることも少なくなり、困っている人がいたら積極的に手助けしたり、また反対に助けを求めることにためらいがなくなった。
周囲からは優しくなったとか、偽善者っぽいとか言われるようになった。
21回目は車を運転する壮年の男性だった。
近所に住む知り合いだ。
大通りを比較的速く走り、交差点でスピードを緩めず右折をした。
横断歩道を私が犬を連れて渡っている。
あわてて急ブレーキを踏む。
私が悲鳴をあげる。
罪悪感で震えながら、車のドアを開けた。
夢から醒めて飛び起きた。
心臓が激しく動悸している。冷たい汗が背中を流れていた。
『あの夢』の中で、こんなに焦燥感を感じたのは初めてだった。
この出来事の記憶はない。
これは、これから起きる出来事だ。
二日後、私は警戒しながら犬の散歩をしていた。
夢で見た交差点は散歩コースから外した。
家に戻る途中、近道になる小道に入った。
背後からクラクションが鳴る。
ハッとして振り返ると、車が小道に滑り込んできた。
危ないっ!
体が勝手に動いて犬をかばった。
ブレーキ音が響いた。
ギリギリのところで車は止まっていた。
車から顔面蒼白の老齢の女性が降りてきた。
大事に至らなくてホッとしたが、ふと思うことがあった。
もし轢かれていたら相手を許せるだろうか。
轢かれていたのが父だったら、母だったら、甥っ子だったら……。
許せるわけがない。
それがたとえ、かつていつかの私だとしても。
22回目、知らない町で知らない女性になっていた。
凶器を忍ばせ、男の人をつけ回していた。
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