第23話 桜は咲いているか

 病室の窓が少しだけ開いていた。夕間暮れの風が静かに吹き込み、カーテンを揺らしている。遠くで桜の花が散る気配がした。


 ベッドに横たわる残路の顔は、やつれていた。頬は痩せ、目の下に深い影が落ちている。

彼は薄く目を開き、小鳩を見つめた。


「……小鳩」


 かすれた声だった。


 小鳩は椅子から身を乗り出し、そっと残路の手を握る。その手は驚くほど軽く、氷のように冷えていた。


「ここにいる」


 小鳩がそう言うと、残路は微かに微笑んだ。


「……外の桜、咲いてるか?」


 その問いかけは、風に溶けてしまいそうなほど小さかった。


 小鳩は一瞬、言葉を失った。

 この世界で最も美しいものを、彼はまだ見たがっているのか。


「……ああ、咲いてるよ。満開だ」

「……そうか……」


 残路はゆっくりとまぶたを閉じた。


「よかった……」


 小鳩は彼の手を強く握りしめた。


「ねえ、残路……まだ、大丈夫だよな? もうちょっと……頑張れるよな?」


 だが、彼の呼吸はどんどん浅くなっていく。


「残路……?」


 返事はなかった。


「ねえ……待ってよ……」


 涙が頬を伝うのを感じた。でも、止めることはできなかった。


「行くなよ……残路……!」


 彼の唇が、かすかに動いた。


 小鳩。


 そう言ったような気がした。


 次の瞬間、残路の体から、すべての力が抜け落ちた。

 彼の胸は、もう、上下しなかった。

 小鳩は、強く握ったままの手を、そっと両手で包み込んだ。


 温もりが、消えていく。

 何度も名前を呼んだ。何度も呼びかけた。

 けれど、それに応える声は、もうなかった。


 病室は静寂に包まれていた。


 窓の外では、暮れなずむ夜風に乗って、桜の花びらがひらりと舞っていた。


 まるで、彼の魂がそっと空へ昇っていくかのようだった。

烏丸残路からすまのこる堺小鳩さかいこばとに看取られて、眠る様に息を引き取った。

 病室に、咲き始めた桜の花びらが舞い込んでいた。

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