第43話:ヴィクターの苦悩

 アリシアがいなくなった屋敷は火が消えたようだった。


 ヴィクターはサファイアのペンダントにれるのが日課になっていた。

 宝石にトラウマを持っていたヴィクターにとって、それは信じがたい行為だった。


(あれほど忌避きひしていたのに……)

(今は宝石に触れているときだけ、アリシアを近く感じる……)


 思わず苦笑が浮かぶ。

 そもそも、宝石嫌いの自分が誰かに宝石を贈りたいなどと思ったのが初めてだった。


(あんなに必死に宝石を選んだのは初めてだったな……)


 サファイアのペンダントを見るたび、アリシアの笑顔が浮かぶ。

 理知的な青い瞳がサファイアと重なる。


「やっぱり……引き留めたほうがよかっただろうか……」


 自分の想いをぐっとこらえ、ヴィクターは異をとなえずアリシアを行かせた。

 本当は身が引きちぎれるほどつらかったが、顔に出さないよう必死でこらえた。


 無理いしてもアリシアを苦しめるだけだったろう。

 夫ともあっさり離婚して一人で生きていくと決心できる女性なのだ。

 一度決めたことはくつがえすまい。


 アリシアと一緒にいたのはほんの二ヶ月くらいだったが、彼女の人となりはわかっているつもりだ。

 責任感の強い女性だ。迷惑をかけたとアリシアが思っている以上、いくら説得しても無駄なのはわかっていた。


「本当に損な性分の人だな、きみは……」


 サファイアに触れながらヴィクターはつぶやいた。


「きみは何も悪くないのに。俺は……きみを守り切れなかったのかな」


 婚約パーティーでアリシアの身に降りかかった災難。

 たとえ国王相手だとしても、アリシアを投獄などさせまいと手を尽くすつもりだった。

 幸い嫌疑は晴れ、軽い罪になったがアリシアが受けた心の傷を癒やすことはできなかった。


「アリシア……」


 あれほど好きだった食事の時間も味気あじけなくなってしまった。

 アリシアと食事をする楽しみを知ってしまったからだ。


「寂しいよ……。帰ってきてくれ……」


 サファイアを撫でているとドアがノックされ、ヴィクターはハッと立ち上がった。


「ヴィクター様、お客様がいらっしゃっています」

「アリシアか!」


 思わず意気込んでしまったが、部屋に入ってきたトーマスは首を横に振った。


「いえ、アリシア様の妹君がいらしています」

「アリシアの妹……?」


 思わず首を傾げたヴィクターだったが、すぐに思い当たった。


「ああ、婚約パーティーで……」


 金色の髪をしたシェイラの顔が浮かぶ。

 家族とうまくいっていないとアリシアから聞いていたが、まさかおおやけの場で姉を背後から撃つような真似まねをするとは思わなかった。

 美しく可愛らしい外見をしていたが、底意地のわるさが滲み出ていた。


「いったい何の用だ……」


 ヴィクターは足早に部屋を出た。


(もしや、アリシアに何か……)


 そう思うと気が気でない。


「失礼する!」


 応接室に入ると、シェイラがぱっと顔を輝かせて立ち上がった。


「ヴィクター様。ご機嫌うるわしゅう」


 丁寧にドレスの裾をつかんで礼をするさまは可憐だったが、ヴィクターにとってはどうでもいいことだった。


「シェイラ殿だったか。アリシアの妹君いもうとぎみでしたな」

「そんな、堅苦しい呼び方をなさらないで。シェイラで結構ですわ」


「……ではシェイラ、今日は何の用で私の元に」

「お寂しいかと思って」


 図星をされ、ヴィクターはぐっと詰まった。

 目敏くヴィクターの動揺に気づいたシェイラが、勝ち誇ったように微笑む。


「姉は出て行ったと聞きました。私では、姉の代わりになりませんか? 殿下を癒してさしあげたくて……」


 自分の容姿に自信があるのだろう。

 王子に対し、傲慢とも言える言葉をシェイラは堂々と吐いた。


 ふっとヴィクターは微笑んだ。

 微笑みの意味を勘違いしたシェイラが、嬉しそうに顔を輝かせる。

 ヴィクターは冷ややかに言い放った。


「お気遣い感謝する。だが、そっと忍び寄って牙を立てるような毒蛇を見て癒やされることはないでしょう」


 一瞬、言葉の意味がわからなかったのだろう。シェイラはぽかんとした表情になった。


「では、どうぞお帰りください。トーマス、玄関までお送りしてくれ」


 素っ気なく手をドアの方へと振ると、シェイラの顔は真っ青になった。

 悔しさに唇を噛みしめ、恨めしげに見つめるシェイラを軽蔑を込めて見返す。


(無理に笑うのも疲れていたところだ)


 余裕のない自分に気づいていたが、どうしようもなかった。


「ふう……」


 シェイラが出て行くと、ヴィクターはどさりとソファに腰掛けた。

 隣にいるはずのアリシアの姿がないことに心がきしむ。


(こんな日々が続くのか……)


 いくらつらくても社交は仕事だ。

 社交の場に一人で出席するヴィクターの姿に、すぐアリシアが出て行ったことは知れた。

 様々な言葉がけをしてくる人たちに笑顔で対応するたび、心が削られていった。


(俺は……どうしたらいいのだろうな)


 自室に戻り、ヴィクターは再びサファイアのペンダントを手に取り問いかけた。

 だが、答えは返ってこなかった。

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