先輩の遊びから始まる1ページ

@tumupin

第1話 出会い

 

 太陽の光が当たらない影。

 目立たないように生きてきた。あの日、声を掛けられるまで——……。






 舞い散る桜の花弁はなびらが地面に広がる四月二十日。

 みなと高等学校に入学して十日程だが、岩崎いわさきは既にお気に入りの場所を見つけていた。校舎の一角。日の差さない裏側でコンクリートの地面に腰掛け、ココアのパックにストローを刺して飲んでいる。

 紺色のブレザーに赤いネクタイをしめた制服を着こなし、耳と襟足をすっきり出したベリーショートの黒髪は高校生らしい。髪と同色の双眸そうぼうを空に向け雲一つない青空を仰いで、日影にいるにも関わらず眩しそうに目を細めた。


「青い春かー……」


 即ち青春を意味する一言を、興味なさそうに呟いた。

 湊高校は共学だ。クラスの男子は新たな女子との出会いを楽しんだり部活動で汗を流したり、まさしく青春を謳歌おうかしている。対して岩崎は、恋愛や部活動に興味がなかった。正確に言えば時間が惜しい。

 

 昼休みを有意義に過ごす為、クラスメイトとの昼食を終えた後は一人になるのが日課になっていた。今日もまた甘い飲み物で糖分を摂取し、壁に背を預けてうたた寝しようと目を閉じた——その時だった。


「ねえ、君」


 からりと窓の開く音がした。誰かが、誰かに呼びかけている。こんな人気のない校舎の裏で誰に話しかけているのか興味はあったが、目を開けるほど気に留める事はなく、腕を組んで再び眠る体勢になった。


「寝ようとしてる君だよ、君」


 今度こそ目を開けないわけにはいかなかった。さすがに声が届く範囲で今眠ろうとしている人が自分以外にいるとは思えない。声の主を探そうと辺りを見回すと、五メートルほど離れた校舎の窓から顔を出し、手を振る男がいた。

 柔らかそうな栗色のショートヘアに、人懐っこい笑顔。先程、空を仰いだ時同様に眩しく感じる存在に、岩崎は目を細めて男を見上げた。


「あのさ、俺と鬼ごっこしない?」

「……はい?」


 どちらかと言えば低い自分の声とは対照的に、やや高めの声を響かせた男の提案が、思いも寄らないもので岩崎は間抜けな顔をした。そもそも彼は一体誰なのか。どういう目的があって『鬼ごっこ』に誘うのか、さっぱりわからない。何処かで会った事があっただろうか。


「あんた、誰?」

「あぁ、そういえば初めましてだったね。ちょっと待って。そっち行くから」


 まるで初対面ではないような彼の発言に引っかかりを覚えるが、次の瞬間、そんな事はどうでも良くなった。男は窓に手と足を掛けたかと思えば、身体を思いっきり持ち上げて窓を飛び越えたのだ。いくら一階でも高校生が窓から出てくるのはさすがに予想外で、岩﨑は目をまたたいた。軽快な足取りで駆けてきた男は、岩崎の前まで来ると屈み込み、二ッと笑って手を差し出す。身長は岩崎より頭一つ分低く、握手の為に差し出された手は小柄な体格を物語るように指が細い。


「俺は二年A組、羽山 はやま いち。よろしくね」

「先輩……だったんスね。どうも。俺は岩崎 浩司いわさき こうじです」


 てっきり年下だと思っていたので岩崎は面食らったが、慌てて敬語を交え差し出された手を握り返した。目にかかりそうな前髪から覗く優しいブラウンの瞳は中性的な雰囲気だが、窓を飛び越えるやんちゃぶりは実に男らしかった。


「岩崎浩司くんかー。こうちゃんって呼んでいい?」


 いくら後輩とはいえ思い掛けない『ちゃん付け』はあまりに可愛らしい響きで、岩崎の顔が軽く引きつった。


「ちゃん付けはちょっと……浩司でいいっスよ」

「分かった。俺のことも壱でいいよ。それでさっきの話なんだけど……ダメ?」


 さっきの話、と言われて岩崎は思い出した。羽山から鬼ごっこに誘われていたのだ。あまりに突拍子もない提案に初めは冗談かと思ったが、笑い顔が一転して真面目な顔付きになり握手を交わしていた手に力が入る。嫌だと即答できる雰囲気ではなく、岩崎はそっと握っていた手を離して、そのまま困ったように後頭部をくしゃりと掻いた。


「……えっと、何で鬼ごっこなんスか?」

「俺が浩司と遊びたいから」


 今しがた初めましての挨拶を終えた相手に言うのは間違ってないか、と岩崎は内心突っ込みたくなる気持ちを抑える。


「何で俺なんスか?」

「うーん、退屈って顔してたから。あとちょっとお願いもあってさ」


 羽山の言葉に、岩崎は眉をしかめた。退屈していた訳ではないが、青春についてぼんやり考えていたことを見透かされた気がしたからだ。


「お願いって何スか?」

「鬼ごっこで俺が勝ったら、俺の言うことを一つだけ聞いてほしい」

「……もし、俺が勝ったら?」

「一年生の時のノートと教科書を貸すよ。テストの要点もバッチリ! あ、成績は悪くないから安心して」


 最初の条件を聞き即効お断りしようと思った岩崎だったが、勝利した際の条件は喉から手が出るほど欲しいものだった。家庭教師をつけたり塾に行ったりしていない為、独学では限界がある。中学生の時から成績は中の上を維持していたので今の高校に進学できたが、高校での勉強は更にハードルが高くなるだろう。

 しかし勝利できない場合、どのようなことを要求されるか分からない不安もある。そもそも鬼ごっこはジャンケンで負けた者が逃げ、鬼が捕まえたら交代という遊びで勝敗のルールがない。


「どうやって勝ち負けを決めるんスか?」

「そうだなあ。十分勝負でどう? 十分間で捕まえたら鬼が勝ち、捕まらなかったら逃げる方が勝ち」

「…………」


 いつの間にか羽山は隣りに座り込み、十分間を表すよう両手を広げて前へと突き出す。そのやる気に満ちた様子に、岩崎は黙って考え込む。


 鬼ごっこを提案してくるということは、余程足の速さに自信があるのだろう。単なるお願いにしては手が込んでいるし、やはり負けた時のことが気になる。それに中学の時と比べて校庭で遊んでいる生徒はほとんどいない。悪目立ちするのも避けたかった。


「悪いけど……」

「やっぱり駄目だよね。うんうん、急に言われても困るよね。でも俺、また来るから」

「——え?」


 断るのが分かっていたと言わんばかりに頷いて見せ、羽山は立ち上がり岩崎を見下ろした。


「だから、考えといて!」


 駆けつけてきた時と同様に無邪気な笑みを見せ、言いたい事だけ言って去っていく羽山を岩崎は呆然と見送った。あまりに突拍子な展開に頭がついていかない。


「何で鬼ごっこなんだ……」


 せめてジャンケンやあみだくじなど簡単なものであれば考えたかもしれないが、高校生にもなって鬼ごっこを本気でやるのはかなり抵抗がある。しかしあの調子では、首を縦に振るまで納得してくれなさそうだ。


 ——壱先輩、か。


 コロコロとよく変わる表情。突拍子もない提案。軽々とした身のこなし。

 本来なら「ふざけてんの?」と苛立ちを露わにするところだが、遊びを持ち出した時の真剣な雰囲気に飲まれて流されてしまった。


「本当にまた来んのかな……」


飲み終わったココアの紙パックをくしゃりと潰して、授業に戻るため立ち上がった。

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