22.ここにいていいんだ(3)

 まさか、ロバート様がまだいるの?


 ゾッとして、思わずメッセンジャーバッグを抱きしめる。


 バッグの中には魔物けの結界石とペンと財布ぐらいしか入っていない。

 これを非力な私が振りかざしたところで勝てる気がしない。


 すると、針葉樹の下の人影が私に気づいたのか、こちらへ近づいてきた。

 足がすくんだ。

 どうしよう……急いで管理棟に駆けこめば、逃げられる……?


 だが、よく見るとそれはロバート様ではなかった。

 フードを被った、長身の、前髪が長くて目元が見えない、騎士らしき男性。

 そんな人は一人しか知らない。


「レイさん!? こんな時間にどうしたんですか?」


 ほっとして、へなへなと力が抜けた。

 レイさんはちょっときまり悪そうに言った。


「……レナードから、今日あんたが元婚約者に連れていかれそうになったって聞いたから、心配で……まだその辺にいるかもしれないだろ?」

「え……じゃあ、ずっと待っててくれたんですか?」

「ああ」


 信じられなかった。


 今日はいつもよりもずっと長く残業していたのに。終業時間も、何時間も過ぎているのに。


 彼は少し疲れているようだった。絶対に今日も忙しかったはずだ。

 それなのに、私を心配して待っていてくれた。


「……ありがとうございます、レイさん」


 心からお礼を言うと、レイさんも口元を緩めた。


 私たちは並んで夜のペーブメントを歩いた。

 隣を歩く彼の横顔を、ちらりと見上げる。

 十日ぶりに会えた彼は、以前よりも、なんだか格好良く見えた。


 レイさんがこちらを見る気配を感じ、パッと目をそらした。

 なぜか、鼓動が速くなる。


 彼は私の父に頼まれたから面倒を見てくれているだけなのに。

 そう思ったとたん、全身が石のように重くなった。

 女子寮を目前にして足が止まってしまった私を、レイさんが振りかえる。


「アシュリー?」

「レイさん……あの……今日はありがとうございました。でも、こんな風に待っててもらわなくても、大丈夫ですから」

「え? なんで?」


 ぐっと胸が詰まる。

 本当は言いたくないけれど、これ以上迷惑をかけたくない。


「……レイさんは、私の父に頼まれたから、私の面倒を見てくれるんでしょう?」

「違う」


 即答された。

 私はあわてて言い募った。


「え……で、でも、去年父様に私を頼むって言われたって……」

「まあ言われたけど。だからってどうでもいい相手のこと、夜中に何時間も待たないだろ……あんた結構鈍いな」

「鈍いって……」


 何も否定できないのがつらい。


 いやそんなことより、それじゃあレイさんが私を待っていてくれたのは、つまり……?

 彼は、さらりと言った。


「アレンさんには世話になったけど、これは俺の意思。だからあんたはよけいなこと気にしなくていいよ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。それに、『若手騎士絶賛!』のオイルがここで買えるようになって助かった、っていうのも言いたかったし」

「あ……」


 それは、私が考えに考え抜いた末にひねり出したキャッチコピーだった。

 本部棟の売店で取り扱いをはじめた武具用オイルのポップは、売店のおばあさんに頼まれて私が書いたものだ。

 それを、彼はさっそく見てくれたようだ。

 レイさんが喜んでくれてうれしい。


「よかったです! たくさん買ってくださいね」

「いや、たくさんは要らないけど」

「レイさん、もう一ついいですか?」

「何?」


 レイさんの言葉が勇気づけてくれたから、私はずっと聞きたかったことを、思い切って聞くことにした。

 まっすぐに彼を見上げ、尋ねる。


「レイさんの瞳の色を、教えてください」


 数秒、彼は黙りこんだ。

 ごくりと唾を飲み、返事を待つ。


 私は彼にとって「どうでもいい相手」じゃない、とレイさんは言ってくれた。

 きっと、「大事なご飯友達」だと思ってくれているのだろう。


 私もレイさんのことが大事だ。

 騎士団本部へ来て最初にできた同期の友達だし、一緒にいると楽しいし、会えないとすごく寂しい。


 夏至祭に一緒に行く約束もしてくれた。

 だから、レイさんの瞳の色を知りたいし、ちょっと恥ずかしいけど、その日はレイさんの色を身に着けたかった。


 いつも目元を前髪で隠している彼は、何か顔を見せたくない理由があるのかもしれない。

 もしそうなら、その理由も教えてほしかった。


 ドキドキしながら待っていると、レイさんは少しかがんで、私に顔を近づけた。


 息がかかりそうなほど近くで。

 彼は自分の前髪の一部を指で分け、私に片方の目を見せた。

 心臓が止まるかと思った。


 それはとても美しい瞳だった。


 ようやく理解した。

 彼が前髪とフードで目元を隠しているのは、間違いなく、あまりにも美形過ぎて日常生活に支障が出るからなのだろう。


 前髪を元通りに下ろして、レイさんが尋ねる。


「何色かわかった?」

「……わかりませんでした」


 正直に申告した。

 夜だからというのもあるけど、彼の瞳がきれいすぎて見とれてしまい、色の判別などできなかったのだ。

 レイさんが呆れたように教えてくれる。


「緑だよ」

「緑ですか」


 まだぼうっとしている私に、ふたたび彼が顔を近づける。

 私の頬にみるみる血が集まっていく。


 レイさんは、囁くように言った。


「俺も、金色のものを身に着けていくから」


 金色は、私の瞳の色だ。


 燃えるように熱くなった顔で、私はこくんと頷くことしかできなかった。




 部屋に戻ると、私は扉にもたれて、ずるずるとへたりこんだ。


 レイさんの言葉が、瞳が、ずっと頭から離れない。

 体中が熱い。

 まだ心臓が騒がしい。

 いくら鈍い私でもさすがに自覚した。


 私は、レイさんに恋をしている。

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