人生二回目、呪いも無能も継続中なのに、なぜか毒母が聖母すぎる

真崎 奈南

一章

第1話 命は消えたはずだった


 痛みと共に足を前に動かせば、じゃらりと鎖の音が重々しく響いた。


 町の高台に向かって伸びる真っ直ぐな道を、ネイト・ミルツェーアは騎士団員たちに連行される形で進んでいく。


 両手は木製の枷で、左足は太い鎖がつながった鉄製の枷によって拘束されている。

 服はぼろぼろ、腕や足には殴打された痕や斬り付けられた傷があり、濃紺色の髪は所々血で固まっていた。


 かたく閉じられた左瞼には、額から頬へと深く刻み込まれた古傷があり、その目はすでに視力を失っている。


 道の両脇に集まった民衆から「人殺し!」や「地獄に落ちろ!」などと怒声を浴びせられても、ネイトは無表情のままだ。

 ただ前だけを見つめて、終焉の地へと向かっていく。



 なだらかな、しかし長い坂を登り切った先には町を見下ろせる展望台と、騎士団の訓練場として使われている広場がある。

 ネイトが連れて行かれたのは訓練場で、到着した途端、騎士団員に突き飛ばされ、地面に倒れ込む。


 霞む右目で聖職服の男が近づいてくるのを捕らえ、痛みを堪えながらなんとか体を起こす。騎士団員に上から体を抑えつけられると同時に、痛みが走り、ネイトの口から苦痛の息が漏れた。


「王城に侵入しエイディ王子の命を狙った罪、ウーストロットの森で妖精を傷つけた罪、タリファウスト神殿前にて大勢の民の命を奪った罪、マイクミロル峠で……」


 つらつらと、神官がいくつもの罪を言い並べていく。顔を伏せながらそれらを聞いていたネイトは、自嘲気味に笑う。


(これまでたくさんの命を奪ってきた。人殺しと怒鳴りつけられるのも当然だ。……でも、確かに城には侵入はしたが、俺はエイディ王子と接触していない。タリファウスト神殿前の暴動に至っては、俺自身まったく関わっていない)


 脳裏に浮かんでくるのは父親と継母のどこまでも冷たい顔。諦めの気持ちと共にネイトは悟った。


(すべての罪を、俺に押し付けるつもりか)


 父の命令を失敗した時点でそんな予感はしていたが、こうして現実となって身に降りかかると心が痛む。


「以上の罪状をもって、ネイト・ミルツェーアの処刑を執り行う」


 神官の宣言を受けて、漆黒のローブに身を包み、先端のとがったフードを目深にかぶったふたりの魔導士が静かに近づいてくる。いわゆる死刑執行人である。


 集まった人々は死の気配を放つ彼らに対し、嫌悪感や恐怖を抱いた様子だった。

 極悪非道を極めた罪人たちも彼らを目の前にすると、恐怖に慄いてわめき出したり、命乞いをしたりするのが大半なのだが、ネイトはただ冷めた目を彼らに向け続けていた。


 これまでも死んだように生きてきた。だから、死を受け入れることに感情は動かない。


(……でも、最後は人らしくなれたかもしれない)


 体を抑えつけていた騎士団員が離れ、代わりにネイトの両脇に執行人たちが立った。

 ふたつの仄暗い気配を感じながら、そんなことを考えた時、ネイトの右目がとある姿を捕らえた。

 群衆の中に紛れ込むようにして、外套を身にまとった女がひっそりと立っていた。ネイトにはそれが誰なのか一目瞭然だった。


(……母さん)



 ネイトが五歳の時、両親の間で離婚が成立した。母ミラーナはネイトを残して、数名の侍女を連れて実家へ帰った。


 別れの際に泣いていたのはネイトだけだった。ミラーナは恨みのこもった目でネイトを見やり、引き止めようと追いかけてきた小さな体を、力いっぱい払い避けた。その時、ネイトは骨折していたのにも関わらずだ。


 挙句、ミラーナは「出来損ないなんていらないわ。邪魔でしかないもの」と冷酷に吐き捨てた。

 剣術よりも魔術優位の世界で、父も母も優れた魔導士だというのに、ネイトは魔法がうまく使えなかった。

 自分自身が出来損ないだと苦しいほど理解していたため、「行かないで」や「僕も連れて行って」など、気持ちを伝えることはできなかった。

 感じる痛みは、骨が折れているからなのか、心が悲鳴を上げているからなのか判断できぬまま、ネイトはミラーナの姿が見えなくなった後も、呆然と立ち尽くしていた。


 それから十九歳の今に至るまでに二度ほど母とは顔を合わせている。


 一度目は十歳の時、偶然町ですれ違った。

 ネイトは心が震えたが、もちろん感動の再会にはならなかった。ミラーナは「どうして私の前に現れたの!」とヒステリックに叫び、ネイトの胸倉を掴んで「あんたのせいで人生台無しよ!」と恨み言を口にした。


 その瞬間、ネイトの中で捨てきれずに残っていた母へのわずかな慕情は、完全に色を失った。


 そして、十九歳となったその日、ネイトは父から「ミラーナが邪魔だ。殺せ」と命令を受けた。

 動揺しなかったといえば嘘になる。しかし、魔法をろくに使えない代わりにがむしゃらに鍛え上げてきた剣の腕をふるい、いつも通り淡々と命令を遂行するだけだと、どこか冷静に思えたのも事実だった。


 父の指示通り、とある店からミラーナが出てきたところで襲い掛かる。

 咄嗟にミラーナがお付きの侍女を自らの盾とした。邪魔をする者は排除の対象であるため、ネイトは躊躇いなく侍女を斬り捨てた。


 次は母だとネイトがにじり寄ったところで、「ネイト坊ちゃん」と侍女から息も絶え絶えに呼びかけられた。

 何気なく顔を向けてハッとする。

 今さっき致命傷を与えた相手はミラーナが連れて行った侍女だった。そして、あの家の中でネイトを気遣ってくれた人は、後にも先にも彼女だけだった。

 侍女は労わるようにネイトを見つめている。その瞳から力なく涙が零れ落ちたのを目にし、ネイトは完全に動揺した。


 一方、自分を殺しにやってきた相手がネイトだと気づいたミラーナは顔を青くし、「助けて」と見苦しく命乞いをする。

 そんな言葉に耳を貸さないつもりだったのに、剣を持つ手にうまく力が入らず、結局、標的の心臓をひと突きすることができなかった。


 最後の最後で、ネイトは実母を殺せなかったのだ。


 たった数秒が明暗を分けた。巡回していた騎士団に見つかり、ネイトはあっけなく捕らえられたのだ。




 あの日、恐怖に顔を引きつらせていたミラーナが、ネイトの視線の先に真顔で立っている。


(俺の最期を見届けにきたのだろうか。……母親として)


 ついさっき読み上げられた罪名を聞いて産んだ者としての責任に胸を苛まれながら、最期の瞬間に立ち会おうとしているのか。

 そんな考えがちらりと脳裏をよぎったが、しかしすぐに、母はそんな殊勝な女ではなかったことを、ネイトは思い知らされることとなる。

 ミラーナが嬉しそうに笑ったのだ。まるで、ようやく消えてくれるのねと言っているかのように。


 歪んだ笑顔を目にして、ネイトの頭に一気に血が上る。


(すべて道ずれにしてやりたい! この世界もろともなくなってしまえばいい!)


 怒りで我を忘れた。ネイトは執行人たちへ殴り掛かったあと、騎士団員から剣を奪い取って大暴れする。

 多くの悲鳴と血を浴びながら、ネイトはどす黒い感情のままに暴走する。


「ネイト兄さん、やめてくれ!」


 悲痛な叫びと共に、ネイトを取り囲むように炎の柱が現れた。炎の檻に閉じ込められたところで、ようやく動きが止まる。


「もう終わりにしよう。兄さんの罪は重すぎる」


 腹違いの弟ベリックがネイトの前まで進み出て、嘘くさい涙を流しながら死の宣告をした。

 ネイトの体が炎に包まれた。苦悶の声を上げながら、すぐそばに執行人たちの気配を感じ取る。闇の魔力が合わさり、炎が黒く染まっていった。


(父のための人生だった。自分のために生きる道もどこかにあったのだろうか。俺も、誰かを想って涙を流せるような人生を送ってみたかった)


 苦痛にもがき苦しむ中で、ネイトはかつて殺した侍女の顔を思い浮かべたあと、十九年の人生を終えるべく目を閉じた。


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