第9話 一人の強さ
治療を始めて半年が経った頃、灯里の生活は新たな均衡を見つけ始めていた。
春の光が窓から差し込み、部屋に新しい活力をもたらしていた。
セラピーセッションは二ヶ月に一回になり、彼女は再び完全に仕事に復帰していた。
オフィスでは、彼女と石井可奈の友情が深まっていた。
二人の机は背中合わせで、二人の間からは時折笑い声が聞こえてくる。
かつては単なる同僚というだけだった二人は、今では仕事後に食事に行ったり、週末に映画を見に行ったりするようになった。
「本当に元気になったね」
ある日のランチタイム、カフェテリアで可奈は灯里に言った。彼女の目には真実の喜びがあった。
「以前より生き生きしてるよ」
灯里は微笑んだ。彼女の頬にはわずかに赤みがさし、目には光があった。
「そうかな? 私自身が変わったというよりは……自分を受け入れられるようになったのかも」
彼女はコーヒーカップを両手で包み込むように持った。
彼女はもはや来花の幻影を見ることはなかった。
部屋の隅も、窓辺も、どこを見ても来花の姿はなく、あるのは現実だけだった。
時々、彼女の声が頭の中で響くことはあったが、それは他人の声ではなく、彼女自身の内なる声として認識できるようになっていた。
「これでいいの?」「もっとこうしたら?」という思いが、かつての来花の声として聞こえることもあった。
しかし今や、それが彼女自身の一部であることを理解していた。
マンションも変化していた。灯里は模様替えをし、新しい家具を買い、壁に自分で選んだ絵を飾った。
暖かい色調のクッション、明るい照明、新しいカーテン――これらはすべて彼女自身の選択だった。
かつて来花と「二人で」選んだと思っていた物も、実は彼女自身の好みの表れだったのだ。
「自分自身をより知ることができた」
灯里は長野医師とのセッションで述べた。
彼女は窓際の椅子に座り、外の緑を見つめていた。
「来花は私の一部—私が認めたくなかった欲求や感情の表れだったんですね」
「そうですね」
医師は同意した。彼はペンを置き、最後のノートを閉じた。
「解離は時に、自分の中の受け入れがたい部分を別の人格として外部化する防衛機制です。あなたは今、それらの部分も含めて自分自身を受け入れることができるようになりました」
「でも、時々まだ彼女が恋しくなります」
灯里は正直に告白した。彼女の声には懐かしさがあった。
「それは自然なことです」
長野医師は優しく言った。彼は理解を示す表情で灯里を見つめた。
「別れというのはいつでも難しいものです。たとえそれが自分自身の一部との別れであっても」
セラピーが終わり、灯里は自分の未来について考え始めた。
診療室を後にし、通りを歩きながら、彼女は新しい可能性を想像した。
彼女は新しい趣味を見つけ――水彩画と写真撮影、そして友人との関係を育んでいた。
可奈以外にも、いくつかの友情が芽生えていた。会社の同僚との飲み会や、趣味のサークルでの出会い。彼女の世界は少しずつ広がっていった。
「今思うと、来花は私の理想だったのかも」
ある日、灯里と直人は灯里のマンションのバルコニーで、夕日を見ながら話していた。
空がオレンジ色に染まり、ビルの影が長く伸びる。
「強くて、美しくて、完璧な……私が憧れる姿が来花だった」
彼女の声には理解があった。
「今でも灯里は十分素晴らしいよ」
直人は言った。彼は妹の肩に手を置き、優しく微笑んだ。
「完璧である必要はない」
灯里はその言葉を心に刻んだ。
完璧を目指すのではなく、自分自身を受け入れること—それが彼女の新たな目標となった。
欠点も含めて自分を愛し、自分自身と和解すること。
それは長い旅路だったが、彼女は既にその道を歩み始めていた。
ある週末、灯里は一人で小さな旅行に出かけた。
初めて一人で計画を立て、電車に乗り、見知らぬ町を歩いた――海辺の小さな町、静かな旅館、波の音が聞こえる部屋。
かつては不安だったことが、今では冒険のように感じられた――地図を広げ、知らない道を探検し、新しい景色を発見する喜び。
宿に着いた夜、彼女は窓辺に立ち、星空を見上げた。
無数の星が、闇の中で静かに瞬いている。
「見てる? 私、一人でもやっていけるようになったよ」
彼女は小さく呟いた。
海の音が遠くから聞こえ、窓の外では月が水面に銀色の道を描いていた。
返事はなかったが、彼女の心には温かい感情が広がっていた。
それは来花からではなく、彼女自身の中から湧き上がるものだった。
自分自身への愛情、自分の成長を認める喜び、これらが彼女の心を満たしていた。
帰宅後、灯里は日記を書き始めた。それは長野医師の勧めだった。
青いカバーのノートに、毎日の思いや考えを記していく。
自分の感情や考えを言葉にすることで、それらをより深く理解し、表現する健全な方法を見つけるためだ。
ペンが紙の上をなめらかに滑り、言葉が形を成していく。
『今日も一日が終わった。私は一人だけれど、孤独ではない。私の中には、私自身のすべての部分がある。来花と呼んでいた部分も含めて。これから先も、時には寂しさを感じることがあるだろう。でも、それは人間として自然なこと。私はそれを恐れず、受け入れていきたい』
日記を閉じ、灯里はベッドに横になった。
窓から見える月明かりが、部屋を優しく照らしていた。
彼女は自分の手を見つめた。
かつては来花の冷たい手を握っていたその手で、今は自分自身の人生を掴み取ろうとしていた。
指先をゆっくりと曲げ、自分の存在を確かめるように。
次の日の朝、灯里は早起きして窓を開けた。
朝の新鮮な空気が部屋に流れ込んだ。鳥のさえずりが聞こえ、朝日が建物の間から差し込む。
新しい一日の始まりを告げていた。
彼女は深呼吸をし、心の中で静かに言った。
「今日も、私は私自身として生きていく」
彼女の目には決意と希望が輝いていた。
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