第十話「睨み合いの果てに!変態ルーチェ、まさかの完全復活!?」

──街角の広場にて。

騎士団長ドレッシーと、元大佐クラウディア。

そして、抜け殻状態のルーチェを挟み、空気が一気に緊張感を帯びていた。


「……ふっ、断るか……。

というよりも──」


 クラウディアがゆっくりと視線を落とし、ルーチェに向かって言う。


「どうやら、私が誰だか──まだ思い出していないようだな?」


 そう言って、彼女はおもむろに唇を開き、ぺろりと舌を突き出す。

その舌には、禍々しい古代の印──淫紋刻印が、未だ鮮明に刻まれていた。


「ほおの…ほおおういおおおふほ…」


「?」


「な、なんだ……何をしている?」


 ドレッシーが眉をひそめる。


 クラウディアは舌を引っ込め、咳払いをひとつ。


「……失礼。

“この刻印”に見覚えはあるだろう、ルーチェ?」


「…………あっ」


 ルーチェの目がかすかに開かれる。

虚ろだった視線が、ほんのわずかに現実に戻ったように見えた。


「……思い出しました……僕、ほんとうにひどいことしましたね……」


 しかしその声は、以前の軽薄な明るさなど微塵もなく、まるで喪に服す僧侶のような沈みきったトーンだった。


 ドレッシーが勢いよく足を踏み出す。


「クラウディア、大佐……いや、元大佐だったな。

私とお前が戦場で交わした“決闘”の約束……あれを一方的に放棄しておいて、何を抜け抜けと戻ってきた?」


 彼女の声には、抑えきれぬ怒気が混ざっていた。


「……あれは、部隊同士の衝突による甚大な損失を防ぐための、代表者決闘だったはずだ。

勝者に従い、敗者は無条件に降伏するという誓約を……お前が破ったんだ!」


 クラウディアはその言葉に、鼻で笑った。


「誓約? 約束? そんなもの──馬鹿正直に信じたお前が滑稽だっただけだ」


「……何?」


「我々は、ただ時間を稼ぎたかっただけ。

戦線を引き延ばして、補給を受けるまでの“囮”が欲しかった。

本気でお前と決着をつけるつもりなど、初めからなかったんだよ」


 その冷笑に、ドレッシーの眉が吊り上がる。


「……なるほど。

つまり、馬鹿を演じた私に感謝してるということだな」


 今度は、ドレッシーが鼻で笑う。


「で?

結局はその目論見も失敗して、この変態にまんまと嵌められて、刻印まで刻まれて、敗北して、降伏したってわけだ?」


 彼女は挑発的な笑みを浮かべ、肩をすくめた。


「無様だな、クラウディア元大佐?」


 次の瞬間だった。

クラウディアの全身が震え、鋭い視線がドレッシーに向けられる。


「…………今、何と言った……?」


 ドレッシーが肩をすくめたまま答える。


「“無様”だと──聞こえなかったか?」


 クラウディアは拳を握り締め、咆哮した。


「私の……婚約者を──馬鹿にするなああああああああああああああああああああ!!!!」


 その絶叫が、街に響き渡った。

周囲の通行人たちは一斉に逃げ出し、鳩が一斉に飛び立った。


 ドレッシーは目を見開き──


「……は?」


 とだけ呟いた。


「クラウディア様と騎士団長殿は……因縁があるんですね……」


 ルーチェはまるで別人のような虚ろな声でつぶやいた。

相変わらず、抑揚のない、抜けたような声だった。

だがその目は、どこか“思案”を含んでいる。


「では……お願いがあるんですが……」


 ルーチェはふたりの女性をゆっくり見回し、静かに言う。


「──お二人、睨み合っていただけませんか?」


「……は?」


 ドレッシーが目を丸くする。


「な、何の話だ?」


「私は睨んでも構わないが?騎士団長殿」


 クラウディアが静かに一歩踏み出し、鋭い視線をドレッシーに突き刺す。


「しかし貴様は…私が“怖い”のではないか?」


「……ああ? 誰が怖がると言った?」


 ドレッシーも負けじと睨み返す。

一触即発の空気が漂う中、ふたりの視線が激しくぶつかり合った……その瞬間。


「──っ!!」


 ふたりの“乳”がぶつかった。


「……ぐっ……」


「……なっ……」


 睨み合いは、その場で物理的に止まった。


「態度も無駄にデカいが……乳まで無駄にデカいとは、呆れるな」


 クラウディアが冷笑を浮かべる。


「ふん……その“無駄乳”……今ここで切り落としてやろうか?」


 ドレッシーも応戦。完全に言い争いの様相だ。


「乳に頼らないと威圧できない女なんて──威厳じゃなくて“重量”で押してるだけだろう?」


「貴様こそ乳だけの“巨乳団長”じゃないか。

威厳を乳にでも宿しているのか?」


「……ッ、貴様ッ!!」


 バチバチと火花が飛び交い、両者一歩も譲らぬ言い合いのさなか──


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」


 突如として、ルーチェが叫び声をあげ、空を仰いだ。


「ありがとうございます……

ありがとうございます……

僕は……僕は今、完全に戻ってきたぁぁぁ!!」


 歓喜とともに地面に膝をつき、両手を胸元に当てて深く頭を下げる。


「クラウディア様……ドレッシー様……二人の睨み合いとぶつかり合いと……会話の熱により、僕の魂は蘇りました……!」


「えぇ……」


「いや、ちょっと何言ってるのかわからない……」


 ふたりが困惑する中、クラウディアが即座に手を伸ばした。


「ならば話は早い。

ルーチェ、今すぐ私と結婚してくれ!」


「ちょ、ちょっと待て!!

なに当然みたいに進めてるんだ!!」


 ドレッシーが慌てて止める。


──そしてそのやり取りは周囲にも聞こえていた。


「えっ……死にかけてたあの男……急に立ち上がったぞ?」


「騎士団長殿が……何かしらの洗脳を!?」


「いや、裏の組織と関係が……!」


「もう一人の女性の人も絡んでるぞ!婚約者とか言ってる!」


「騎士団長が……無理やり!?」


「いやあああああああああああああああ!!!」


 ドレッシーが頭を抱えて叫ぶ。


「ち、違う! 違うんだ!! これは誤解だ! 変態が勝手に復活しただけで! 婚約なんてしてない! 私は洗脳もしてない! してないからぁぁぁぁぁぁぁ!!」




─────そして



───ダッチェス家、執務室。


 ノラムは静かに、紅茶を口にしていた。

目の前では、ルーチェ、ドレッシー、クラウディアが並んでいる。


「……で?」


 ノラムが、低く問いかけた。


「ルーチェは“復活”したけど、また“問題”が増えたってことでいいのよね?」


 紅茶を置き、ため息。


「……疲れたわ」


 言葉少なに呟いたその声に、執務室の空気はどこまでも重く沈んでいった──。

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