深謀 + the Ash-Born Daughter +
科戸瀬マユミ
ディウフレーシュ卿
隕石の如き熱を帯びた船が、ヤ=ムゥの黒い大地にその姿を静止させると、灼熱に染まった機体はすぐに冷えて黒く固まった。 この不時着した小さな浜では、嵐が世界のすべてを掌握していた。融解しかけたハッチが軋みながら開くと、壁のような風と氷の粒を孕んだ雨が艇内になだれ込んできた。一歩踏み出すまでもなく、彼女はその全身で受け止める。
――ああ、これだ。潮のまざった、忌々しいほどの風。忘れていた、故郷の肌触りそのもの。
その整った顔立ちの、下半分は呼吸補助マスクで隠れてた。故郷の大気ですら、毒素と化してしまった自分の軟弱な肺。
自嘲を浮かべたその顔には、磨き上げた宝玉のような華やかな輝こそないものの、 風と砂によって滑らかに磨かれた雪花石膏のようであって、ただ目の下の薄いかげりが、彼女の旅の長さを物語っていた。
ゆっくりと一歩を踏み出した途端、横殴りの突風が彼女の体を壁に叩きつけんばかりに襲った。月光を束ねたかのような髪は、あっという間に水を含み首筋に張り付いた。補助スーツが悲鳴のような駆動音を立て、かろうじてその場に踏みとどまる。顔を覆うマスクの中で、必死に制御された呼気が白く曇っては消える。星外の希薄な空気に慣れきった肺が、この濃密で湿った大気を拒絶し、喘いでいた。
(…何年…いえ、何十年ぶりかしら…)
風をはらんだ外套は濡れて重い枷となり、容赦なく体力を奪っていく。何度も足を取られ、ぬかるみに膝が沈みかける。一度、大きくよろめいた彼女は、苔むした岩に手をついて、マスクの中で荒い息を整えた。
城郭のシルエットが、霧と闇の向こうにかすかに揺らめいている。自分にとっての、世界そのものだった壁。 彼女は思い出す。この星の残酷なまでの美しさを。嵐季の訪れを告げる鐘の音。回廊に響く、少女たちの無邪気な足音。壁のくぼみに灯された冷光の、青白い揺らめき。灰色でも白でもない、今の自分が纏うこの黒は、あの頃の自分には想像もつかなかった色だ。
ウェノマトルの城門は厳しく閉ざされていた。だが彼女が近づくと、音もなく滑るように開く。
中に入ると、横殴りの風はいくぶんましになった。しかし頭上から絶え間なく叩きつける豪雨は、石畳を川のように変え、彼女の歩みをさらに重くする。
やがて、巨大な神殿の麓へとたどり着く。 天へと続く長い長い石段が、絶望的な角度で天へと伸びていた。
記憶の中の、霧に囲まれた美しい城は、悪魔的に思えた。
(ああ…ここを、私は…駆け上がったというのに…)
まだ幼い足で。選ばれ、星へ旅立つ日の朝に。 期待と、そして何よりも大きな不安を胸に抱いて。
彼女は濡れた石の手すりに白く細い指をかけ、己の体を支える。まるで自身の過去を一段ずつ踏みしめて罰を受けているかのように、彼女は、その果てしない階段を上り始めた。
嵐を阻む神殿の正門が開かれた。その混沌の闇を背に、戸口に一つの人影が静止した。
影が内に一歩踏みれ、分厚い扉は再び閉じられると、閑散としたホールに静寂が戻った。ただ、床に滴る水の音と、息の上がったマスク越しの呼吸音だけが響き渡る。
一人の女性が待ち構えていた。その顔には、深いしわこそ刻まれているが、背筋は変わらずまっすぐに伸びている。灰色の僧衣をまとった女君院の長、ズロシナだった。彼女は数歩先で足を止め、恭しく頭を下げた。
「これはこれは、ディウフレーシュ卿」
ズロシナ??誰?の抑揚を抑えた声がホールに響く。少女たちを諭す時のあの声だった。
「例の子は?」
「眠っていますよ、もう何年もね」
その視線はディウフレーシュ卿の足元、石畳に広がる水たまりに注がれていた。
「それにしても、太陽柱自らお越しになるとは。いったいどういう風の吹き回しでございましょうか?」
「当然のことでしょう、後継者は、めったに見つからなくなっていますから。特に『黒い雫』が取れなくなってきてからは」
「その前にまずは身支度を整えられるとよろしい、太陽柱よ」
旅の汚れを落とし、星外の技術で織られた黒に近い灰色の礼装に身を包んだ彼女の姿は、この古びた神殿の中では異質なほどに洗練されていた。
身を整えたディウフレーシュ卿とズロシナは部屋へと向かっていた。
部屋の中は簡素で、中央に置かれた石造りの寝台の他にはほとんど何もない。壁のくぼみで揺らめく光が、横たわる一人の少女の姿を照らし出していた。
聖遺物じゃ。なぞめいたもの。
それをディウフレーシュは見たのじゃ。これは話のはじまりじゃぞい!
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