龍神の嫁
藤之恵
第1話 行きたくない嫁入り
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
朝の静けさに包まれた薄暗い部屋で、リムはゆっくりと目を開けた。
最初に見えた天井は木目がくっきり見える板張りで、そこから顔を動かしていけば窓から光が差し込むのが見える。
じっとりと汗をかいていることに気づきながら体を起こし、はぁーと長くため息を吐いた。
「また、同じ夢……」
1回目は、湖で一人佇んでいると金の竜が空から舞い降りて来る夢だった。
この時点でまずいと思った。
湖は明らかに竜神の湖――リムが仕える龍神ジャウルの祠へと繋がる場所だったし、黄金の竜は龍神ジャウルの象徴だった。
これは明らかに来るように呼ばれている。そう直感でわかったが、リムは何も言わずにいた。
2回目は、さらに場所がはっきりした。
3回目は、黄金の竜が「いざ参れ」と言い始めた。
4回目は、黄金の竜視点で竜神の湖までの行き方がわかるようになった。
この時点で、呼ばれているのは確実だったし、龍神ジャウルの世話焼きな性格がわかって少し面白くなってきていた。
だけど、まだ行かなかった。
竜神の巫女として働いているが、リムにとってその職種はおまけでしかない。
嫁入りを示唆されれば喜んで行く巫女は多い。だが、リムにとっては余計なことでしかない。
5回目は、夢の解説が始まり、巫女としてとても勉強になった。
6回目は、嫁入りの話を具体的にされ、7回目はもう一匹小さな竜が増えた。これはおそらくお付の竜だった。
8回目になると、そろそろ我慢できないと言われた。
そして、9回目。
「来ないと大雨を降らして村を流すとか、急に脅迫すぎる」
無視し続けた自分も悪いが、展開が早すぎる。
いくら嫁入りに興味がなくても巫女は巫女。
周りに危害が加えられるようじゃ、ここでの生活も成り立たなくなる。
「面倒だけど、仕方ない」
リムがここでの生活にこだわるのは、ある人を探しているからだった。
竜神の巫女はそのために必要な肩書でしかない。だから嫁入りなんて嫌だったのだ。
布団から出る。
こうなってしまっては、黙っておくわけにもいかないだろう。司祭さまに会って話をしなければならない。
リムは朝日を浴びながら、のろのろと顔を洗いに行った。
*
司祭さまは竜神の祠がある方角を祀る神殿にいることがほとんどだった。
質素ながらも磨き上げられた神殿は朝日を受けて荘厳な雰囲気をまとっている。
ここの掃除も巫女の仕事なのだが、なかなかの重労働で巫女には人気がない。
「なんで早く言わなかった?」
「すみません」
開口一番言われた言葉にやっぱりと胸の中で呟く。予想通りの展開にリムは頭を下げる。
「昔から伝わる龍神の嫁入りを知らせる夢ではないか! 巫女として働く者たちの多くが夢見ることだ」
司祭さまは喜びと呆れと怒りをごちゃ混ぜにしたトーンで忙しなく動き回っている。
目の前で川の流れのように表情を変える司祭を見てリムは感心した。人間の表情はこうも様々に変わるものなのだなと思った。
内心で軽くため息をつく。こう言われると思っていたのだ。
どういえば良いのか色々と言葉を探し、結局、そのまま言うのが一番だと思った。
「だからです」
「だからとは?」
「私は嫁入りしたいと思っていません。もっと言えば、嫁入りしたくない」
「なんとっ」
信じられない者を見るように司祭さまの瞳が見開かれた。
リムはちらりと表情を窺い、虎の尾を踏まないようにしながら説明を加える。
「私がここにいる理由は、竜神の湖でお姉さんに助けられたからですから」
リムの白と赤の巫女服の中には小さな首飾りがしまってあった。
小さい時から――ここに流れ着いてきた時から、ずっと身に着けていた首飾りだ。小さな木彫りで見事な竜の模様が彫ってある。
竜神の湖で出会ったお姉さんに「この首飾りをもって神殿に行きなさい」と言われ、孤児だったリムはこの神殿にたどり着いたのだ。
リム以外が持ち去ろうとすると酷い衝撃が走り、動けなくなるほどの加護がある。
何の力もないリムはこの首飾りのお陰で巫女になれたとも言える。
司祭さまもその逸話を知っているからか、口元をもごもごと動かした。
「……お主にその首飾りを授けたという巫女か」
「ええ、まだ見つかってませんが」
私の目的はお姉さんを探すことだ。竜神の嫁になることじゃない。
リムはそうはっきりと認識していた。
嫁になることや使えることが目的の他の巫女とは違うのだ。
司祭さまは仕方ないと言うように深く息を吐き、それから厳かな声で告げる。
「お主の思いもわかるが、これは龍神様の思し召しだ。すでに8回無視している以上、猶予はない」
「はい」
「至急、龍神様の祠に向かいなさい」
リムは何も言わず頭を下げた。
行きたくないが、行かないわけにもいかない。
無言で頭を下げるのが精いっぱいだ。
そんなリムに司祭さまは言い聞かせるように言った。
「いいか、龍神様へ嫁入りできることはとてつもなく光栄なことだ。粛々と受け入れるのだぞ」
「わかっております」
リムは胸元の首飾りをそっと握りしめ、複雑な表情で神殿を出た。
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