第7話 古いラジオを直す

古いラジオを直す-1

〔真田くんってラジオを直せると思う?〕


 そんなメッセージが蓮見さんから来たのは、後期の夏期講習が始まったばかりの夜のことだ。私と蓮見さんは夏期講習に出るために登校していたが、講習が終わって美術準備室に顔を出しても、ここ2日間、真田くんの姿はなかった。


〔前になんでも直していたって言ってたから、聞いてみる価値はあると思う〕


〔……迷惑かなと思って〕


 直接彼に直せるか聞かない理由はそれか。真田くんの「時間がない」という話は、たぶん本当で、切実だ。美術修復師になるために美大を目指すなら、集中して絵の勉強をする必要があるはずで、彼には絵の経験値が足りなすぎるらしいから。


〔でも彼は、何かを直すことを自分の存在意義だと思っているんだから、いいと思うよ〕


〔じゃあ、連絡とってみるかな〕


〔ラジオなんてどうしたの?〕


〔この前、母の実家に行ったら、古いラジオを見つけて、使っていないっていうから貰ってきたんだ。けどボリュームを調整しようとするとガリガリ音がしてすごくストレスで〕


〔ガリガリ君?〕


〔文字なんだからそんなボケしないで〕


〔ごめん〕


〔ネットに載っていた情報にボリュームを30回くらい回したら直るってあって、やってみたんだけど改善しなくて……〕


〔なるほど。まず自分でやってみるのはとってもいいね〕


 なんでもかんでも真田くん任せでは、単に会えないから修理仕事の依頼をしていると思われても仕方がない。あ、でも実際に蓮見さんはそうなのかな。


〔よし、連絡してみるか〕


〔健闘を祈る〕


 私は彼女の背中を押す。確かにほとんど毎日顔を合わせていた真田くんが学校に来ていないのは寂しい気がする。


 その夜はもう蓮見さんからのメッセージは来なかったが、翌朝、夏期講習のために登校して彼女に会うとその結果がすぐに分かった。


「大きいねえ」


「大きいんだよ」


 蓮見さんは大きめの紙バッグに入れて、木目調のラジオを持って来ていた。よく見ると木目調ではなく、本物の木製の外装だった。電源コードも後ろからにょきっと出ている。


「出していい?」


「そりゃもう」


 紙バッグからラジオを出すと大きさが具体的にわかる。A4サイズより大きい。厚みは月刊少年誌の3冊分くらい。スピーカーは1つ。アナログのチューニング窓とアナログのチューニングダイヤル。音質ノブ、そしてボリュームノブ。AMとFMの切り替えスイッチもある。ラウドネスってなんだろう。後ろから電源コードとちょろっと電線が出ている。アンテナだろうか。


「ホームラジオっていうんだって」


「昭和のラジオだ。ラジオっていうから、もっと小さいのを想像してた。もしくはもっと大きいの。CDとかカセット? とかついてるやつ」


「それも十分レトロだけどこれはもっとレトロだよね」


 たぶん、お金持ちの家にしかラジオがなくて、ラジオが娯楽の中心だった時代の製品の直系の子孫だ。テレビがオワコンと言われて久しいが、ラジオは未だに根強い人気がある。真田くんも聞いているし。


「それでさ、なんでラジオなんか貰って来たの?」


「美術準備室で真田くんがラジオを聞いていたから、ちょっと興味を持って」


 やっぱりそうか。いや、待て待て。私はにやけそうな表情筋をどうにかコントロールする。でもそれと同時に、ちょっと胸が苦しくなる。本当に難しい感情が私の中に並行して存在するのが分かる。


 気持ちを落ち着かせてラジオを見ると、SONY製かつ日本製と分かる。確かにレトロだし、日本製というのが貴重な気がする。


「直るといいね」


「ネットで調べたんだけど、直すのには分解掃除をしないとならないみたい」


「なるほど。それはハードルが高いわ」


 そのタイミングで先生が教室に入ってきて、私は紙バッグにホームラジオを戻した。ホームラジオを持って来たということは、今日は真田くんが来るのだろう。私が彼に会うのは県立美術館以来になる。彼がどんな顔をしていたかちょっと思い出せない自分を見つけて驚いた。


 それでも午前中はしっかり勉強に打ち込み、夏期講習が終わってから2人で美術準備室に行く。美術準備室はまだ無人で蒸し暑かった。私は勝手に冷房のスイッチを入れる。


「来るんだよね」


「来るって言ってた」


「じゃあ、お昼を食べて待とう」


 私はお弁当を取り出し、蓮見さんもお弁当を出して食べ始める。最初から午後に来る話だったのだろう。蓮見さんのお弁当は1コだけだった。思い出したように蓮見さんが言った。


「沢渡さんのお弁当、豪快だったね」


 ドンと盛られたナポリタン弁当だった。大盛りナポリタンで有名なお店のそれかと思ったくらいだ。


「柚乃の性格がよく出ていた。真田くんへの配慮があったのが驚きだけど」


「そうなの」


「意外と周りが見えない性格だから」


「わかる。グイグイいってるよね」


 蓮見さんはお弁当を見つめて、手を動かさない。


「想像するに真田くんが体育会系男子とは違うからだと思う。柚乃、仕切りたがりだけど同じ体育会系の男子だとそうはならないことが多そうだし、あんまり男バスと仲良くなさそうだし、真田くんは癒やしなんじゃないかな」


 なるほど。口から先に出てきたが、私はそう分析していたらしい。


「癒やしか……」


 蓮見さんは考えるところがありそうだ。彼女はスマホを見る。待ち受けは噴水でも撮った、いい歳して脚まくって腕まくって水遊びをしたアホみたいな集合写真だ。でも、いい夏の思い出だ。忘れ得ない。


「楽しかったね」


「うん」


 真田くんからの連絡はまだないようだった。


 それからほどなくして真田くんが美術準備室に姿を現した。


「ごめん。遅れた」


「ううん。待ってないよ」


 蓮見さんが笑顔で彼を迎える。私たちはお弁当箱を片付けたところだった。


 真田くんは彼女が持って来たホームラジオを受け取り、電源コードをコンセントに挿す。スイッチとボリュームが一体化しているタイプなので、スイッチが入った途端、ガリガリガリと不快な音がスピーカーから出てくる。ボリュームノブを止めればガリガリ音は止まる。チューニングノブを回すと、80年代ポップスが流れてくる。


「これは見事なガリガリ音」


「使えるようになると嬉しいんだ」


「でも、ラジオなんて今はスマホでも聞けるじゃない?」


「アンティークな雰囲気を味わえるかなと思って」


「ラジオを聞いてくれること自体は嬉しい」


 2人の会話のキャッチボールは続いていく。私は邪魔しない。


 真田くんはホームラジオの後ろ側の蓋を外す作業にとりかかる。真田くんは裏が白い紙を持ってきて、外したネジをその紙にセロハンテープで貼っていく。ネジを外した位置と紙に貼った位置は対応している。私は不思議に思って聞く。


「同じネジなんじゃないの?」


「微妙にクセがついていたりするから、外したネジは同じところに戻すのがセオリー」


「へえ。そうなんだね」


 世の中に知らないことはいっぱいあるものだ。


 蓋を外すとスピーカーの裏側と電子基板が見えるようになる。中はスカスカだ。


「この機種のガリガリ音の直し方をブログに上げている人がいたので安心」


 真田くんはそう言いながら電子基板をスマホで撮影。次に基板の形を紙に描いてからネジを外し、紙に描いた基板に貼り付けていく。基板を外すとノブ類がついている基板の裏側が見えるようになる。


「たぶん半田を外さないとならないんだよな」


 真田くんは独り言。私たちは黙って見ているだけだ。


 ボリュームノブと音質ノブがついている基板を外し、ノブを前面パネルから引き抜く。


「やっぱりか~ 当たり前だな」


 真田くんはノブがついている基板をバイスで固定し、半田ごてを持ってくる。半田ごてが温まってから、半田吸い取り線で半田を吸い取っていく。地道な作業だ。最初にボリュームノブが外れ、続いて音質ノブも外す。精密プライヤーとマイナスドライバーでノブのロックを外し、ノブ部分を分解する。中は真っ黒だ。真田くんはスプレーを吹きかけ、ウエスで拭き取る。真田くんが私たちに気を遣って言う。


「見ていても暇でしょう。まだまだ時間がかかるよ」


「でも1時間もかからなそう」


 蓮見さんはこのまま見ている旨を答える。


「予習してきたからね」


「手際がいいと思ったら」


 私は感心して笑いつつ、勝手にヤカンを火にかける。


「お茶入れるね」


「ありがとう」


 真田くんは作業から目を離さず応える。

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