写真だって直せちゃう-2

 真田くんの部屋は玄関から1番近い、窓がない4畳半くらいの部屋だった。男子の部屋に入るのは生まれて初めてである。割と荷物が少ない部屋で、私が抱いていた男子の部屋とはちょっとイメージが違った。イーゼルに描きかけの水彩画があり――これも油絵と一緒で風景画だった――床に水彩画の絵の具セットが置いてある。本棚には美術系の本。棚に工具がいっぱい入っている。何に使うのか分からないものもあるし、明らかに自作のものもある。そして勉強机の代わりに天井まで届くワークデスクがあって、そこに液晶モニターとデスクトップPC、スキャナとプリンターがシステム棚の中に収まっている。


「今、飲み物を持ってくるね」


 真田くんは座布団に座るよう私たちに言い、部屋を後にした。


「水彩絵の具の匂いがする部屋だ」


 私は部屋を見渡すが、自分の絵を飾っていたりはしないようだ。


「私、男の子の部屋に来たの初めてだけど、これは一般的な男子の部屋じゃないな」


 柚乃は少々がっかりしている様子だった。


「押し入れを開けても整然としていそうだ」


 引き戸が開き、真田くんが烏龍茶のペットボトルとグラスを持って来た。


「お茶をしたいとは言ったが、このシチュエーションは想定外だった」


 柚乃は真田くんからペットボトルを受け取り、真田くんの手にあるグラスに烏龍茶を注いだ。


「お茶じゃない方がよかった? コーヒーいれてこようか」


 真田くんは柚乃の顔色を窺っているようだ。


「大丈夫。そういう意味じゃないから。落ち着こう」


 私が真田くんを安心させるように言うと、彼は難しい顔をして、ワークデスク前の椅子に腰掛けた。


「じゃあ、さっそく修復作業に取りかかろうかな。写真、貸してくれる?」


「確かにさっそくだ」


 柚乃はスマホカバーに挿していた写真を真田くんに手渡す。あまり歓迎されていないような気がする。それはそうかも。いきなり押しかけたようなものだし。


「すまないねえ。いきなり」


「大したことないよ」


 真田くんはスキャナーで写真を取り込む。取り込んだ結果が気に入らないらしく、角度を調整して2度3度とスキャニング。3度目でお気に召したらしく、PCで画像の修正作業に入る。折れ目や禿げている部分にマーキングし、実行。それだけで折れ目が消え、禿げている部分も復元される。スタジオの中なのでバックはシンプルにスクリーンなので復元された部分に違和感はない。指摘されても分からないだろう。


「第一段階はこれでOK?」


 ほんの数分で画像が再現され、柚乃はびっくりしていた。


「う、うん。簡単なんだね」


「テレビCMとかでも見たことあると思うんだけど、画像から余計な人物を消す作業と同じアプリを使っているんだ。欠けているところはAIが補ってくれる」


「確かに同じ理屈だ」


 私は頷く。柚乃が不思議そうに聞く。


「どうして真田くんはこんなに修理ごとに長けてるの? 単に修理が好きなだけでこんなにするものなの?」


 それは私も聞いてみたかったことだ。


 真田くんはどうってことないよと言いたげな顔をして答えた。


「それが僕の存在意義だから」


「何言ってるのかわからん」


「薫がわからないんなら私だってわからん」


「いや、言葉の通りだよ。僕の部屋に女の子が来るなんて特別なイベントが発生したのは、僕が校内での修理屋であるっていうポジションだから、に他ならない。僕が氷川さんのヘアクリップを直さなかったら、今、こうしてお2人はいないでしょう?」


 私と柚乃は頷く。


「僕、小さい頃、友だちがいなかったんだ。でも、あるとき、クラスメイトの筆箱を直してあげたり、ちょっとした繕い物をしてあげる機会があって、それが縁で友だちができた。僕にとっては誰かのものを直すことは、人間関係を築くことに直結している。しかも実はそれ以外の手段を知らなかったりする」


「なるほど。納得」


 柚乃が大きく頷く。私は呟くように言う。


「人に頼りにされたことが、真田くんの心に大きな波紋を作ったんだね」


「そうかもね。そしてそのときの気持ちを今でも忘れられない。それになんか直し続けていたら、こんな美人とかわいい女の子が家に来てくれたんだもの。続けていると何があるかわからない、本当にさ」


 どうやら女子2人が押しかけたことはまんざらでもない様子だ。ホッとする。


「私はでっかわいいだけどね」


 柚乃が自嘲気味に言う。


「しかし真田くんはさらっと女子に美人だのかわいいだの言えるよね」


「他意がないから。下心がないと言うべきなのかな。その相手が恋愛対象だったら言えないと思うよ。かわいいとか美人とか褒めたって、僕なんかを好きになってくれる女子がいるはずないから。単に僕が感じた事実を述べているだけで、その先は考えてない」


「真田くん、それは自己評価が低すぎるよ」


 私は眉をひそめてしまい、真田くんはそれに自嘲で応える。


「背も低いけど」


「それを言ったら私は背が高すぎるよ」


 柚乃が真田くんの自嘲に対して声を大きくする。真田くんは即応する。


「沢渡さんは背が高いのがバスケットボールで役に立ってるからいいじゃない」


「にしても別に背が低いからって女子が真田くんを恋愛対象にしないってことはない。誠実だし、真面目だし、スキルもあるし、気を遣ってくれるし、加点方式ならぜんぜんありだと思うよ。蓮見さんなんかけっこう真田くんのこと気に入ってるしさ」


 私は言わない方がいいと思いつつ、蓮見さんのことを口にしてしまった。


「私だって好感度高くなかったら、あんな画像を薫に送らせないよ」


「あんたは人に送らせるなよな」


「自分で送ったら痴女だって言っただろ!」


「その節はどうも……」


 真田くんが赤くなっている。赤くなるなら柚乃の方だろ、と思う。


「あ、そうだ。忘れてた。今回の報酬」


 柚乃は着ていたブラウスのボタンを外し始める。


「な、な……」


 真田くんは声を詰まらせながらも目を離さない。ブラウスのボタンが全部外れると柚乃がビキニトップを着装してきたことが分かった。


「あんた、着替えたと思ったらそういうこと?!」


「いや、ほら、直に修理した結果を確認して貰ってもいいかなと」


 最終的に真田くんは声を失い、目を瞑って叫んだ。


「沢渡さん、服を着て、着て!」


「だって水着だよ」


「やっぱ痴女だ……ここはプールじゃなくて男子の部屋だぞ……」


 真田くんには刺激が強かったことだろう。


 柚乃は渋々ブラウスのボタンをはめ、ようやく真田くんが目を開けた。


「正直いうと見たかったけど、人間としてやっぱり見るべきではないと思いました」


「見たくないのかと思ってちょっと落ち込んでしまいました」


 柚乃は安心したように言い、続けた。


「今度機会があったらゆっくり見せてあげるね」


「柚乃!」


「プールだよ、プールサイドで」


 くう。二の句が継げない。


「それって次があるってこと?」


「真田くんとだったら2人きりでもいいよ。こんなデカ女でよければ」


「柚乃……そうきた? それは想定外だった」


「健全にね、健全にだから。誤解するなよ」


 柚乃は苦笑し、続ける。


「真田くんはさ、見返りを求めないから。それって損をしていると思う。でも、もし見返りがあったとしても、その対価はきっとお金やモノなんかじゃないよね、とも思う。その私なりの答えかな」


「なるほど。氷川さんからは勉強を教えて貰ったしな。お弁当もくれたし」


 真田くんは納得したような顔をする。


「で、でも! 今日のこれはやり過ぎだと思う。嬉しいけど!」


「遠慮しなくていいのに」


「で、デートはするの?」


 私は真田くんに聞く。


「そりゃしてくれるなら嬉しいけど、僕なんかと? 本当に?」


 雲行きが怪しくなってきた。このことを聞いたら蓮見さんはどういう反応をするだろうか。柚乃に釘を刺しておこう。


「もしデートになったとしても、私たちも一緒に行くと思う」


「独り占めはできないかー。でも薫たちだって一緒に美術館に行ってるじゃないの?」


 柚乃はまた苦笑する。


「蓮見さん的な正当な対価の支払いだよ。でも、確かに美術館は楽しかった」


「氷川さんにそう言ってもらえるのはとても嬉しい。僕ももともと美術が好きだったわけじゃないんだけど、将来、美術修復師になれたらなって考えはじめて、美術の勉強を始めて、知れば知るほど面白くなってきて……」


 そういう真田くんの顔は年相応の男の子の顔だ。意外。もっと枯れているかと思っていた。


「じゃあ、次は近くの美術館にみんなで行こうよ。きっと楽しいよ」


 柚乃が言うと真田くんは頷いた。


「うん。この前、サントリー美術館に行ったからその気持ちがまた膨らんできていてさ……美術館、行きたいね」


 どうやら今回の本当のお礼は美術館見学になりそうだ。それに今回の柚乃の場合、お礼と言いつつ、単に男子に水着を見せたかっただけのような気がする。親友に痴女の気があるとは思ってもみなかった。


 真田くんはその後、画像にいろいろな処理を施し、数種類の復元画像を作成した。セピア色をモノクロに戻したり、モノクロをカラーにしたり、解像度を上げたり、明度や彩度を調整したり、本当に楽しそうに作業してくれた。


 そしてデータをコンビニのコピー機にネット経由で送り、帰りに印刷をしに行くことにした。


 去り際、玄関で靴を履いていると、心配そうに彼のご両親がリビングから顔をちょっとだけ覗かせていた。それはそうだろう。あまり友だち付き合いがない息子がいきなり女子を2人も連れてきたのだ。心配にもなる。私が小さく頭を下げて挨拶すると、お2人はさっと顔を引っ込めてしまった。


 ふふ、と私は笑ってしまう。真田くんと柚乃はご両親に気が付いていないようだった。


 近くのコンビニまで真田くんと一緒に行き、柚乃がプリントを済ませる。カラーはもちろん、セピア色のものも、モノクロのものも印刷する。カラーになった写真はまるで今の写真のようだった。いや、格好が古風だからコスプレ写真だな。よく復元できるものだと感心した。柚乃は真田くんにお礼を言う。


「ありがとう。今日は無理を言って」


「ううん。楽しかった。あとでデータを送るね」


「うん。楽しみにしてる」


「元の写真も大切にしてね。きっと沢渡さんのおじいちゃん、おばあちゃんにとってはその写真こそが本物なんだからさ」


「わかってる」


 あれあれ。なんか2人の間に妙な空気が流れているぞ。それくらいは私にも分かる。


 その後すぐにコンビニ前で真田くんと別れ、私と柚乃は駅まで歩いて行く。


「柚乃さあ……」


 なんでだろう。真田くんを柚乃がどう思っているのか聞こうと思っていたのに、私は言い出せない。柚乃は小さく首を傾げる。


「どした?」


「ううん。なんでもない」


 私は言うのをやめた。真田くんと今度、美術館にいく日を決めたいと思う。蓮見さんと柚乃が行ける日。できれば南さんにも来て欲しい。いい空気を作って欲しいから。


 柚乃は不思議そうな顔をして言う。


「変な薫」


 私はそういう彼女の言葉に小さく頷いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る