その2 魔族の少女

 ──暗く、深い、水底に沈んでいく様な感覚の中、誰かの声が聞こえてくる。

『お願い、目を覚まして……』


 ──その声を聞いた瞬間、意識が覚醒する。


 そして視界には、黒いローブを身に纏い、柑橘かんきつの様に爽やかなだいだい色の長い髪をなびかせた、10代後半ほどの少女が、自分の顔を心配そうに覗き込んでいた。


「よかった!生きてた!」

 ……なんだ?何が起こった?自分は……助かったのか?

 混濁こんだくする意識の中、自分は身体を起こし、辺りを見渡すと、直ぐにあるものを見つけた。


 馬車だ……崖から落ち、殆どが崩壊した馬車が、視界に映った。

 そしてその近くには、ピクリとも動かなくなった御者と、馬車から飛び出したあの男と同じ様な、白いローブを身につけた二人の女性が、馬車の下敷きになっているのを見つける。

 三人とも恐らく生きてはいない……辺りに飛び散った血潮から、そう察した。


 目の前の光景は確かに、自分は馬車から落ちたという事実を物語っていた。

 しかし自分はこうして生きている、同じように落ちたはずの御者や馬とは違い、傷ひとつなく。

 自分が今、生きている現実と目の前の光景が上手く嚙み合わず、頭が混乱してくる。


「ねぇ、大丈夫?」

 そんな自分の様子を見て、少女は心配そうな表情でこちらの顔を覗き込んでくる。

「……分からない」

 現実感のない出来事が続いた為か、自分は呆然としつつ、少女の問いに答えた。


『アンタにはある人物を目的地まで届けて欲しい』

『その人物は橙色の長い髪をした女だ。目的地はこの袋にある』

 ……そうだ、確かあの男はそんな事を言って自分に袋を手渡していた。


 依頼を受ける……という訳ではないが、何か情報が得られるかもしれない。

 しかし袋は、馬車から落ちた時落としてしまったのだろうか、自分の手元には無い。

 あるとしたら……恐らく馬車の中だろう。


 そう思った自分は、心配する少女を尻目に、馬車に向かい歩き出す。

「あっ……多分……もうその人達は……」

 少女は声をかけるが、自分はそれを無視して馬車の幌をめくる。

 するとそこには、あの男に渡された銃と袋が落ちていた。


 ……せめて何か分かればいいが。

 そう思いながら銃を懐にしまい込み、袋を開ける。


 何だこれは…。

 袋の中には、数発の弾丸と、ズタズタに破かれた紙片…そして一輪の赤い花が入っているだけだった。


 あの野郎…人を崖から突き落としたうえに、数発の弾丸と紙片の入った袋で依頼を受けろだと?

 一体どういうつもりなんだ?

 怒りと困惑が入り混じった複雑な感情が、胸の内にこみ上げる。


「その紙、ボロボロだね」

 複数の紙片を見つめる自分に、少女が後ろから声をかける。

「ちょっと貸して、直してあげる」

 そう言うと少女は紙片を集め、手の内に握り込み、祈るように手を組む。


「何をしている?」

 少女にそう問いかけると、少女の手から淡い光が溢れ出す。

 やがて光が収束すると少女の手には一枚の紙が握られており、それを自分に差し出してくる。

「はい!これで綺麗に直ったよ!」


 差し出された紙を受け取ると、先程まで破けていたはずの紙片はまるで、綺麗な一枚の書簡しょかんとなっていた。


「どう?読める?」

 少女は書簡を覗き込みながらそう問いかける。

「何をした…魔法か?」

 そう問いかけると、少女は少し困った様な表情を見せつつも答える。

「んー…みたいなもの、かな?」


 みたいなもの…少女の言葉に、もしやと思い、自分は少女の瞳孔を深く観察してみる。

「わっ!?ちょ…なに!?」


 少女の瞳を覗くと、翡翠ひすいのような淡い緑色の、、コチラを見つめていた。

 重瞳ちょうどうの瞳に、魔法とは違う、奇怪な力…間違いない…自分の疑惑は確信に変わった……。


 ──この少女は、魔族だ。


「…ありゃりゃ、バレちゃった?」

 少女はイタズラっぽくニヤリと微笑み、おどけてみせる。


「でも安心してよ、みんなが言うみたいに人を襲って食べたりしないから」

 魔族…それは『ノフィン統一戦争』末期に起きた事件『魔物大戦』により生まれた存在だ。


 赤い雨…その雨を浴びると、人は魔物となり、自我を失う。

 そして魔族は、自我を保ちながら魔物の姿を隠して人に扮し、人を襲うと言うが…。


「ねぇねぇ、その紙、何が書いてあるの?」

 そんな事を考えていると、少女が書簡を読むよう催促して来た。

 …今はそんな事を考えても仕方ない。

 自分は書簡に書かれた情報を読むことにした。


『御名答、どうやら君はその少女の力を目の当たりにしたようだ。

 見ての通り、その少女は魔族…忌むべき人類の負の遺産の一つ。

 しかしその少女は、我々『フローシフ教団』にとってこの世界を救済する存在なのだ。


 君には依頼として、その少女を我らフローシフの元へと送り届けてほしい。

 赤く咲いた花が道導みちしるべとなる。

 それを頼りに我らフローシフの元へと辿り着くのだ。


 依頼が達成されるまでの間、我々フローシフは君の命の保証をする事を約束しよう。

 しかし、この依頼を拒むというのならそれはフローシフに対する明確な敵対行為と見做みなし、我々は君に対して刃を向ける事となるだろう。

 賢明な判断を期待する。


 追伸・少女を送り届けるなら、決してほだされるな。

 それが少女の望みでもある。』


 要約すると、少女をフローシフの元に届けろ、この依頼を断るのなら殺す。

 そういう事だろう…どこまで人をコケにすれば気が済むのだろうか。


 本来ならこんなふざけた依頼など受ける道理は無いが……あの男がフローシフの一員だとすると、この場の惨状から察するに、フローシフ教団は殺しを躊躇しない集団なのだろう…。


 どうにも癪であるが、今はこの依頼を受けるしかない。


「……着いてこい」

 自分は書簡を懐に仕舞うと、少女を先導しこの場から立ち去った。

「え!?あ、うん!」

 今日はもう日が暮れる…獣や族が出ないうちに、この場を離れる事にした──


 ──深い藍色あいいろの空が辺りを暗く染め、自分と少女は淡く燃える小さな焚き火を囲み、それぞれ体を休めていた。


 自分は銃を手にし、その構造を改めて確認する。

 単発式の短銃…塗装も装飾も施されていない無骨な鉄製のそれを、以前戦場で見たことがある。


七十九ななじゅうきゅう式単発装填しきたんぱつそうてん短銃たんじゅう』だろう。

 一発ごとに弾の装填が必要だが、短銃とて威力は折り紙つきだ。


 そしてふと銃の持ち手に目をやると、そこには不思議な刻印こくいんが施されていた。

 一つの瞳に複数の瞳孔を持つそれは、魔族の瞳の様にも見える。


「それ、フローシフの刻印だね」

 いきなり背後から声をかけられ、ギョッとするが、少女はそんな事お構いなしに話を続ける。


「君、フローシフの人?私みたいに黒いローブは着てないけど…」

「…ちょっと待て、アンタはフローシフについて何か知っているのか?」

 そう少女に問いかけると、少女はキョトンとした表情を見せた後、ニヤリとしながら口を開く。


「なーんだ、君フローシフの人じゃなかったんだ…勘違いしちゃった」

 そう言うと少女はローブに付いていた頭巾を被る。

 するとその頭巾には、銃の刻印と同じ様にフローシフの刻印が施されていた。


「私はフローシフ教団の勇者、魔族にして世界を救うものなり〜!」

 少女は戯けるようにそう言うと、手を腰に当てながら胸を張ってみせた。


「……はっ、勇者だと?」

 自分は思わず、その少女の言葉に笑いが込み上げる。

「むっ!さては君、私が勇者かどうか疑ってるでしょ!」

 少女は自分の態度が気に入らなかったのか、頬を膨らませ、自分に詰め寄る。


「……当たり前だろう、殺しもいとわない、イかれた宗教集団の言う事だ」

 そう言って自分は少女を指差し、言葉を続けた。


「アンタが勇者だろうが魔族だろうが、知った事はないが、もう少し所属する場所は選べ、アンタの様な子供は特にな」

「子供じゃないです〜!もう18歳です〜!!」

「充分子供だろう」


「じゃあ今証明してあげる!ほら、服脱いで!エッチな事するから!」

「止めろバカ!!」


そう言って少女は「ビス!ビス!」と訳のわからない掛け声をあげながら、自分の体を突っつき回して来た。


 ──本当に、訳の分からない状況だ。

 そう思いながら、微かな笑いが溢れた。

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