塩谷凛 第6話
少しだけ風が冷たくなった秋の始まり。広い公園の中に通る一本の川にかかる橋を渡る。渡った先のベンチに座っているのは俺の彼女だ。
「おっそーーいっ!!」
「ごめんお待たせ、凛」
今日に至るまで中々長かった……
あの日以来、俺はグループの仲間たちと距離を置いた。そんな俺に対して自然と周りは腫れ物を見る目を向けた。その視線はとてつもなく残酷で、普通の子供の心を折るに充分なものだ。だけど俺にはそんなものは通じない……
本当の苦しみ……痛み……
痒み…………
あの地獄の一年の中で、粉々になった俺の心にはこんなものは比べるまでも無いものだ……
愛すべき存在達との別離……二度と会える事が無い恐怖……自分そのものを否定された現実……二度と取り返せない夢の日々……
「電車乗るんだよね? どこまで行くの?」
「初めてのデートだし、取り敢えず吉祥寺行こうか? 映画もまだ夏の人気作とかやってるしね」
「うん!」
心が何故か穏やかだ……かつての俺はこの子をこんな澄んだ気持ちで見れていただろうか? もちろんそんな訳は無い……
(本当に恥ずかしいな……恋とか愛とか……俺は何も分からず、ただ興味や体だけで女性を見ていた)
「凛、手を……」
「……あ、うん……」
「さぁ行こう、今日はエスコートするよ」
「…………先輩」
彼女の手を掴むと、スッと握りを変える。恋人繋ぎだ……これくらいは色んな女の子と過去に幾らでもしてきた……
少し頬を赤らめて俯きがちに手を引かれる凛は、少し色っぽい。それでも俺にとってはまだまだ子供だ。
(地元は庭だ……だけどこの当時は、俺が遊び歩いていた時代とは違う……店とか調べたかったけどスマホも無い……)
現実世界の便利さを痛感する……
ただ俺には過去にこの子と言った場所や、この半年ちょっと後に付き合った祥子と、デートした記憶がある。
(……まぁなんとかなるだろ)
期限は春休みまで……
(ーーこの子とは別れないといけない……)
歴史を何処まで変えて良いのかは分からない。余りに急激な変化を起こしてしまうと、俺の知る未来は全く別物となり、未来を知ってるというアドバンテージは消え去ってしまう。それは俺の今後にかなりのマイナスになる。俺は俺の未来だけ変えれば良い……
(だけど……それだけか?)
駅に向かう道すがら、俺は自分の価値観に向き合う……
隣で俺の手を強く握ったまま上機嫌で道を進む彼女。俺の見た目はもう不良と言われるモノじゃ無いし、イジメられる寸前の様な状態の俺は、もう学校内のカーストは最低だ。
それなのに、彼女は何故今日こうしているのだろう? 本当に俺の事が好きだから? いや違うだろう……
中学生の恋愛など、所詮は予行練習の様なものだ。
相手を本当に好きになったと思い込み、ただ真似事をする。
大人の恋愛で考えてみよう……
人と人が本当に相手を好きになるには、容姿や能力、将来性、生涯年収といったスペックというものからでは無い。それはお見合いやマッチングと同じだろう……そこはあくまで事前データという入口でしか無く、そこから相手の事を深く知り、自分と合う相手なのか、好きになれるのか、一緒にやっていけるのかを判断していく。
勿論、せっかく出会ったからお試しにとか、運命的な偶然を信じたいとか、そういうものもあるだろう。だが、それらは好きになったからと言うより、好きになったかもであって、そこから本当に自分は相手の事が好きか? を見定めて行く事になるものだ。
この年代で付き合ったり別れたりする様な男女には、そういったものを考える者はいない。ちゃんとそれを考えたりする子は、この短い期間では判断が難しいと思い、恋愛に踏み切る事は出来ない。
接点をそれ程作れない学生生活において、深くまでお互いを知る時間も無ければ、相手との相性などを判断する為の知識や経験など無い。
大人であっても見誤る様な難しい物事を子供達に出来るわけがない。
なのでこれくらいの歳で恋愛に踏み切る者にとって大事なのは、恋愛をしたいという気持ちであり、相手を選ぶ基準は容姿などのスペックや、ちょっとしたトキめく出来事があったなどが殆どだ。凛は恐らくトキメキを恋と思い込んでいるのだろう。
ハッキリ言って、相手の事を殆ど何も知らないのに好きだなんて……そんなもの嘘でしかない。
(……この頃の俺がソレだったからな)
やはり自分の四十年で培ってきた価値観から、彼女は俺の事を本当の意味で好きでは無いだろうと結論づける。
(それにどう振り返っても、俺はこの子を好きだった記憶が無い)
やはり男兄弟だったのもあって、異性への強い興味や性への憧れが俺を突き動かしていただけだ……
(……それと嫉妬と敗北感か)
情け無い。自分は本当に情け無い人間だ……
「先輩? どうしたん? なんか辛そうじゃない?」
「え? あぁそんな顔してた? ちょっと考え事をね」
「……あ! なんか先輩最近孤立してるって噂聞いたんだけど、マジ?」
「あぁ……一年にまで広まってる? ちょっと色々あってね? 凛は気にしなくて良いよ」
普段は馬鹿みたいな言動が多いが、実は中身はシッカリもので聡い子だ。
「ねぇ…………それ私の所為?」
そう行き着くか……どうするべきだろうか? 真実を言って別れる方向への布石とするのか、それとも隠して要因を見つけるまで待つか……
決まってる。答えは一つだろう……
「ーー違うよ、俺がちょっと先輩達怒らせただけさ」
「そうなん? ダメじゃん!! 早く謝って許してもらいなよっ!!」
「……あ、ああ……そ、そうだね……休み明けにそうしてみようかな?」
「あ! 私結構可愛がられてるし、私も一緒に行こうか?」
「い……いや、大丈夫……女の子に助けて貰うなんてカッコ悪いし……」
「えーーーー、そんな事気にしなくていいのにぃ〜〜」
違う……
「じゃあ早く先輩達と仲直りしてね? もぉー結構心配してたしっ!」
「あぁ……うん、ごめんね」
こっちじゃ無い……
「あ! 駅見えてきたっ! ほらっ行こっ!!」
「ーーあっ、待ってよ凛」
小走りに切符売場へと賭ける彼女の背中は、まるで大好物のお菓子を見つけてはしゃぐ幼い子供のようで……
正面から見なくとも分かる……
彼女はきっと……
満面の笑みを浮かべてるのだろう……
(俺は……なんで……)
その時、自分の暗く深い所にある何かが……
小さくだが、脈動している様に感じた……
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