【KAC202505】下町貧乏少女の成り上がり・序章
青月クロエ
第1話
夕方になるにつれ、歓楽街に活気が生まれ始める。
ぎらぎらとした多くの街灯に照らされたいくつもの通り。男は軒を並べる居酒屋の入り口を潜り、女は通りに立ち、男たちの腕を絡め取る。
老若男女の喧騒が入り乱れる中、負けじと若く清涼な少女の声が辺りに響いていく。
「新鮮なオレンジおひとついかが~、幕間に果汁で喉を潤すとさっぱりするよ~」
声の主こと少女ジェマは、古く小さな二階建ての劇場前にいた。
チケットをもぎりながら、ついでとばかりにオレンジの籠を客へ見せつける。
「オレンジなんかいらないねぇ。それよりお嬢ちゃんが欲しい」
「ごっめーん、非売品なんだよね」
「いくら払えば売ってくれんの」
「ほらほら、ぐずぐずしてると始まっちまうよ?」
「別にいーだろー?お前さんのママだってやってたんだし、一発くらい……」
「はいはーい!そのうちね!」
ジェマは笑顔で早く早く!と客を急かし、中へと強引に押し込む。
客が奥のホールへ消えると、周囲をきょろきょろ。小さな声で「けっ、スケベオヤジ」とつぶやく。
たしかに彼女の母は街頭で身を売っていた娼婦だが、それが元で身体を壊した。
十五歳になったばかりのジェマがこの古い劇場で働くのも、病の母に代わって生活を支えるため。ちなみに昼間は縫製工場で働いている。
昼夜問わず働いても、成人間もない少女(この国の成人年齢は十五歳)が手に取れる給金などたかが知れている。割に合わない、と思うこともしばしば。
それでも、ジェマは身売りだけは絶対にしないと固く心に誓っていた。母のことは好きだが、一方で母のようにはなりたくない。身売りで望まぬ子を宿し、身体を壊して人生棒に振りたくなどなかった。
そろそろ今夜の舞台が始まる頃か。ジェマにとって暇な時間の始まりでもある。
寂れた劇場であっても途中入場する客はあまりいない。だからといって、ちょっとサボってこの場から離れられない。こっそり離れたとしても、だ。
そういう時に限って途中入場の客がやってきたりするし。
とりあえず、入場口近く、小さな丸テーブルに籠を置き、自ら用意した背もたれのない丸椅子に腰かける。鎖骨まで伸びたダークブロンドを指先に巻きつけ、くるくる弄ぶ。半年前、家計の足しにするため、切った髪がようやくここまで伸びてきた。
「なーにしよっかなあ」
こっそりと、縫製工場とは別口の、内職の刺繍でもしようかな。
オレンジあんまり売れなかった分、今夜の日給は大した額もらえないだろうし。
小さな子供みたいに足をぶらぶらさせ、考えていたジェマだったが、辻馬車が行き交う車道を挟んだ向かい側の通りが一際騒がしくなった。たぶん、劇場と真向かいの
華やかかつ物騒な歓楽街、何が起きても不思議じゃない。ジェマもその空気に慣れてきていたので、いつもなら見向きもしなかった。なのに、今夜に限ってはつい見てしまった。
怒鳴り声と嘲笑、どよめきが混ざり合う、とてつもなく嫌な喧騒がやけに耳障りだったせいもある。数人がかりで店から叩き出された客が、車道どころか、ジェマのいる劇場側まで転がってきたからだった。
「えっ、ちょっと、なに、何なの?!」
びっくりして立ち上がると、居酒屋から転がってきた男はちょうど劇場の目の前に寝転がっていた。
素性の知れない者、特に男には近づかないのが賢明……なんだけど、入場口を塞ぐ形で転がられてははっきり言って邪魔だ。
「あのー、だいじょうぶですかー?お」
んー、この人、おじさん?おにーさん?
ひげ生やしてるし、白髪も混じってて、
身なりは悪くないから、たぶん、変なヤツじゃない、と思いたい。
「あのー、おにーさーん!起きてよー!酔っ払ってナニやらかした知らないけど、寝るならベッドで寝てくださーい!!」
「……んん、ベッド、ベッド、ベッド……とは」
東方訛りとは違う、ジェマが初めて聞く訛りと癖の強いこの国の言葉に、ジェマの栗色の目が点になった。
「おにーさん、私の言葉、わかる?」
ゆーっくり、ゆっくり、単語をひとつひとつ、区切って問えば、異国の男性は呆けた顔で大きく頷く。本当かよ。
「この劇場の前、
「シアター……、芝居小屋のことか。ユー・アー・ノット・カスタマー……、お、俺のことか?!客じゃないから早く帰れというわけか?!」
「そこまではっきり言ってないけど?!でも、おとなしく帰って早く寝なよ」
「ゴー・トゥー・ベッド・アーリー……、まだ布団でおねんねする時間じゃないぞ?」
フトンってなによ。
全然帰る気ないね、この人。
「悪いけど、劇場に用がない人にいつまでもかまってらんないの」
「本日の演目は……、うーん、バレエ?」
「途中からでも良ければ観てく?このバレエ団、アマチュアだけどなかなかいいダンス踊るわよ?」
プロのバレエなんて見たことないけど。
一度でいいから、見てみたいとか思わないでもないけど。
「観てく?」
「あー……、俺でも入れてくれるのかい?」
「ちゃんと金払えばね」
「さっきの店は俺の顔見ただけで」
「金払えば何人だろうと関係ないよ。んなこと言う程、うちは敷居高くないから」
だんだん面倒くさくなってきて、ゆっくりかみ砕くように話すのも忘れ、ジェマは
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