地味なわたしと博士と美少年(女)が、食材ゼロからはじめる異世界ライフ、究極レシピ!

雨 杜和(あめ とわ)

第1部

第1章

母との関係はちょっと複雑で愛おしい




 わたしは……

 自分でも嫌になるほど、普通で、平凡で、地味な女だと思う。


 顔は普通、スタイルは地味。

 一度会ったくらいでは、誰の記憶にも残らない。それが逆に心地よいわたしにとって、困った問題がひとつある。


 名前がチェリーだってことだ。

 普通で、平凡で、地味な日本人女性がカタカナ表記の名前って、殺意すらわいてこないか?


 北条チェリーという名のアラサーに、人は、どんな女を想像するだろう。


 十代なら、まだギリ許せる。

 しかし、わたしは、もうすぐ三十歳になる中堅商社の経理課OLで、ついでに自虐情報を付け加えるならば、学生時代からつき合っていた男に振られたばかりだ。


「俺たちさ、ここまで来ちゃったけど、この先の未来が見えないんだ」と、名前も言いたくない男が、上目遣いでオドオドと告げたのは誕生日の一ヶ月前。


 それは、普通の誕生日じゃない。

 女にとっては衝撃的な二十代から三十代へと世代が変わる節目の年で……。そこで受けた苦痛は、爪を剥ぐ中世の拷問以上のダメージだと想像できるだろうか。


 奴の言葉を咀嚼そしゃくもできなかった自分が、今思うと健気で泣けてくる。それでも勇気をふり絞って愚かな質問をした。


「未来って?」

「わかるだろ」


 ──わかるはずないという言葉を喉もとで押し留めた。


 男が言った意味の『未来』は、わたしの考える『未来』とは平行線上にあるのだと察したからだ。


 つまり、わたしは……


 三十歳の誕生日直前に、男に振られた『北条チェリー』で。

 別れようと言われて、妙に白けた『北条チェリー』で。

 ひとりになって、ぎゃあぎゃあ泣いた『北条チェリー』なのだ。


 どんなに羅列しても、この華美な名前と経験値がそぐわない。

 その上、この名前に両親の強い思い入れがあるなんて、そんな安い話でもないのだ。


 わたしの母は北条玲子といい、五十二歳になる大学教授。地味なわたしと似ていないのは、血のつながりがないからだ。


 性格も知性も凡庸ぼんようとは言い難い母は、大学教授として、かなり名の知れた人物である。




 あれは、小学一年生の頃だった。


「学校でね。自分の名前の由来を聞いてくださいって宿題がでたの」

「そうですか」


 なにかの論文を読んでいた母は顔をあげた。


 母はメガネを顔の中心に、一ミリも狂いもなく置くよう修正して考える余裕を作った。

 母は黙考した。

 そして、考えた末に導きだした結論が……。


「あなたの名前の由来は、生まれたときチェリーパイが産婦人科のデザートとして出たからです」


 チェリーパイ。


 つまり、これには隠れた要点がふたつある。

 チェリーと名付けた理由を母は知らないということ。それは、わたしが養女であるということ。


 母は分子生物学を主に研究する非常に賢い女性だが、時に、しゃあしゃあと、あまりにもわかりやすい嘘をつく。


 こんな母と、どう向き合ってよいかわからず、悩んだ末に母を『博士』と呼ぶことにしたのは、わたしの小さな抵抗でもあった。


「チェリーパイが出たからって、子どもにその名前をつけるなんて普通じゃない」

「そうですか」と言ったあと、博士は、わたしが聞きたい答えとは別の、想像のななめ上の解説をした。

「それはありふれた普通の問題ではありません。どのような事象にも発端と理由があるのです……(この後、難解な博士の説明がつづき、中略)。この点において、あなたのいうは、突き詰めていけば、人を傷つけたくないのか、自分が傷つきたくないのかという問題に集約されていきます」


 博士と話すと、わたしは思考停止状態に陥って、最初に何を話したかったのか忘れてしまう。

 会話は常に想定外になり、飛躍することがデフォルトだった。


 たとえば、学校行事に参加する母親たちが、「自分の子どもが、いかに頭が悪いか」を競いあうなかで、博士は会話に加わろうとして意見を述べる。


「そうですか。オタクのお子さんは、脳のニューロン伝達に致命的な欠落があり、情報のやりとりに不具合が生じているのですね」という具合だ。


 まあ、その結果は、ご想像通りだ。

 博士の言葉に、きらびやかに装った母親たちはあんぐりと口を開ける。


 そして、ドギマギしながら礼儀として、次の質問をしたりすると、博士はスマホで探した脳細胞のスライスなどを見せつけるのだ。


 誰もがぎょっとする映像だ。そこで喜ぶ母親はいない。

 相手は引く。

 いや、脳のニューロンがでてきた時点で、すでに5キロほどは距離をおいている。映像の段階で別世界へと転移する。


 そうした時の博士の気持ちを、わたしだけはよく理解できるのだ。


 本来なら好きな宇宙や時空の歪みについて議論をしたかったろう。しかし、場の空気に合わせたつもりで、専門外の脳の仕組みについて解説して、親切のつもりでスマホで検索した脳スライス画像を見せ、逆に周囲を凍りつかせた。


 わたしが必要以上に自分を『普通』だと感じるのは、こうした普通じゃない母と、それから、もうひとりの存在がいるからだ。


 幼なじみである瀬川沙羅せがわさらのことだ。

 わたしは、昔から瀬川沙羅せがわさらのような賢さと冷酷さを持つような、魅惑的な人物になりたいと思ってきた。


 沙羅はアラサーとは思えないほど可憐な容姿をしているが、性格は偽悪的だ。


 わたしが普通に「今日もいい天気ね」と挨拶するのと、「いい天気しか、取り柄がないとは残念な日だ」と、沙羅がアンニュイに答えるのは、どこか普通じゃない頭の違いみたいなものを感じる。


 沙羅もまた、別の意味で、博士と同じ世界の住民だった。





(つづく)

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