ピアス~どこまでも深く穴を掘る~
遊月海央
第1話
「柊子(しゅうこ)さんピアスしたの?」
給湯室で朝のお茶当番時に、一緒に作業している後輩が聞いてきた。
「うん、先週ね」
人生がかわると聞いて開けたとは口が裂けても言えない。
「うわー、じゃあ、まだ薬つけてるところですね。痛かったです? 」
「麻酔していたから痛くなかったよ」
後輩の方を見ることなくそう答えると、茶碗を並べたトレイを両手で持ち給湯室を出た。
「後片付けお願い」と伝えると「はーい」と幼稚園児みたいな声が返ってきた。
いや、社会人としてそれはと注意したくなるが、これ以上ピアスの事なんて思い出したくないので、とっととその場を離れた。
どうして真砂人はあんな子を選んだんだろう。
廊下を歩き始めて一人になると、そのことが頭にリフレインする。
あの子のことは、亜美さんのカフェで二度ほど見かけただけだ。若いかもしれないけれど、垢抜けていないし、何よりまだ子どもだった。見た目が幼いというより、世間を知らなくて、所作が幼い感じ。
大学に入ったばかりと話していた。真砂人と私は高校からの同級生で同じ年。彼女が今十九歳だとしても我々より六歳も下になるわけで。
もはや犯罪だろう、それ。
「それじゃあ女子大生に同棲相手を取られちゃったの? 」
「そうらしい。もうびっくりよね」
トレーを片手に給湯室へ戻ると、さっきの後輩が別の同僚と私のことらしい噂話をしていた。
彼の新しい相手が女子大生であることは自分の同期にしか話していない。よし。噂の出所がはっきりしており、むしろ清々しいくらいだ。
「取られたんじゃなくて、あげたの」
そう言いながら給湯室へ入っていく。
負け惜しみに聞こえるのは承知の上。コソコソ噂話されていることを気にしていると思われるほうが嫌だ。
負け惜しみ上等。だってそもそも、女子大生に彼氏を取られたって時点で、どう考えても勝てるはずないでしょうが。
二人は一瞬やばそうな顔をしたけれど、すぐにケタケタと笑いながら
「やだー、熨斗を付けてあげちゃう系ですか」とか「柊子さん、やっぱさすがですね」などと言いながらそそくさと給湯室を出て行った。
今時の子たちは要領がいいので逃げ足は早い。
二人が去ったあと、茶葉が入ったままの急須が置きっぱなしになっていた。
「後片付けお願いって私、言ったよね?」
誰もいないのに声に出す。
二人とも新入社員だったけれど、あと一ヶ月もすれば先輩になるのにと、彼女たちの教育係の後輩の顔が浮かぶ。
まあ、一緒にお茶当番だった今日の自分も強く叱れなかったから仕方ない。
今どきの子たちはあまり強く怒ると辞めちゃうから優しくねと人事の上司が言っていた。なんだそれ。
ちょっと若いからって甘えないでよね。
「大丈夫か」
背後から声がして振り返ると、同期の後藤が立っていた。
ああ、同期Bだ。言いふらしたのかもしれない容疑者だ。
あの夜のことは悔やんでも悔やみきれない。いつだって悪いのは私だよ、そうだよ。
同期の飲み会で同期Aから「同棲している彼氏とそろそろ結婚しないの?」と探りを入れられて。
あの日は出ていかれてすぐのことで、私もまあまあ病んでいて、結構酔っぱらっていたし、判断力が鈍っていたのだと思う。
「女子大生のほうがいいって出て行っちゃったあ」とあっけらかんと笑って見せた。
ほんとうは、誰かによしよしってしてほしかった。
誰にも言えずにひとりで苦しむことがちょっとしんどかったから。
その後同期Cも同期Dもみんな同情して「とことん飲んじゃおう」とか「よし、今日は俺らがおごるよ」とか口々に慰めてくれたじゃない。
うっかりいい同期に恵まれたなんて思った自分を呪いたい。
「何が? 何に対しての大丈夫なの」
心配した言葉に絡むのは私が悪い。だけど言葉にとげがあることを止められない。
「いや、あの、さっきの会話、聞こえたから」
「ああ、私が女子大生に彼氏取られた噂広がっていることね」
「そうみたいで」
空のコーヒーカップを持って立っている後藤を睨みつける。
お茶当番では、あくまで上司へお茶を配るだけだから、給湯室で自分でわざわざ作って飲んだのだろう。
「なんか、ごめん」
「あなたが言いふらしたの? 」
ああもう自分が嫌だ。ひと睨みした後、落ち着こうと大きく息を吸い、急須の中の茶葉を専用のごみ箱へ開ける。
「俺は言っていないけど。誰ってこともないけど、連帯責任だから」
「いいよ、もう」
黄色い蛍光色のスポンジに食器用洗剤をかける。
「あのさ、もし、愚痴とかあったらさ、俺、一応口堅いから、聞くからさ」
「は? 」
スポンジを持ったまま身体ごと振り向いたので、彼のスーツにスポンジが当たったので、彼は一瞬体を反らした。それがなぜかとてもカチンときた。
「何? 失恋したばかりの女子ならすぐなびくとかそんな感じ? 私軽く見られているの?」
そんなわけないってわかっているのに口が勝手にそう言っていた。さすがに後藤の顔色が変わる。
言い過ぎたと思った私は、彼のカップを洗ってやろうと手を伸ばしたが、彼は手に力を入れてそれを振り払い、
「お前、自分がいい女かなんかだと勘違いしてんじゃねえのか」と捨て台詞を吐いて廊下に戻っていった。
ああーーー!
去っていく足音を聞きながら、大声で叫びたいのと、スポンジをシンクに叩きつけたいのを堪え、急須の外側をスポンジで洗った。
何をやっているんだろう。
ピアスの穴が少し痛んだ。耳たぶに穴をあけたくらいで、自分が変わるはずもなく。
シンクいっぱいに広がるほど、大きなため息をついて涙を堪えた。
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