ペンデュラム・コード

萌伏喜スイ

第1章

第1話 召喚

「…………大きい」


 少女の紫紺の目に写るのは、とても大きな獣だった。


 体高が少女の身長の倍程はあるだろうか。

 現実味のない現実を受け止めきれず、ぽかんと口を開けている少女を、獣はじっと見下ろしていた。

 ターコイズブルーの目を瞬いて、不思議そうに首を傾げている。


 見るからに厚い毛皮は、淡い灰色に黒い斑点が踊っていた。体と同じくらいもふもふとした尻尾は長く、静座した体にくるりと巻き付けられている。


 現実味が逃げ出す要因は他にもあった。


 その獣は、目と同じ色合いの宝石をたくさん身に付けているのだ。もふもふの体毛の中でも、よりふさふさとした首周りには、どこの貴族だろうかという豪奢なネックレスがキラキラと輝いている。


 少女が召喚したかったのは、使い魔になってくれる獣だったのだけれど。


 どう見ても、誰が見ても、少女の目の前の獣はむしろ「王様です」と言われた方が納得できるくらいの気品と威厳と、凄まじい魔力に溢れていた。並んでみたら、少女の方こそ使い魔だろう。


「あの……、どちら様…………でしょう?」

「…………」


 必死につむぎ出した言葉は、伝わっただろうか。

 首の角度を反対に傾げ直して、じっと少女を見下ろす獣は、何かを測っているかのようだった。


「あ、アミィ……アミィ……、それ、使い魔じゃなくない?」

「うん……違う。絶対違う」

「か、帰ってもらえって。ごめんって言ってさ」

「ど、やって?」

「わかんないけど……」

「でもこのままじゃ、試験どころじゃなくない? 使い魔召喚は必須なのに、試験受ける前にわたし達食べられちゃうんじゃ……」


 少女・アミィと一緒に見習い卒業試験を受けているミーナとノエルは、アミィの後ろで青ざめていた。既に召喚・契約済みの二人の使い魔は、主人の背後――見習いの証である紺色のローブの裾に隠れて震えている。ちなみに、ウサギとフクロウだ。


 アミィはネコを召喚したかった。出来れば黒いネコを。この獣はたしかにネコっぽいけれど、こんなに猛獣猛獣しているのは想定外である。


 アミィは意を決して獣に話しかけてみた。ゆるく編んだ自身のふたつのおさげを、ぎゅっと握りしめる。意図せぬ召喚だったことを誠心誠意あやまって、穏便に帰ってもらいたい。


「ごめん……なさ、い。わた、し……間違った、みたいで……?」


 ところが獣は首を傾げるばかりで、ウンともスンとも返事をしてくれなかった。やはり伝わらないのかもしれない。


 獣から溢れる魔力を察知したのか、村の中心部の方が騒がしくなる。

 ここは、村はずれにあるアミィの家の、さらに裏手の人気のない場所なのだけれど。小さな村だから、あっという間に人は集まってくるだろう。


 ぴくりと耳を動かした獣は、空を見上げ、再びアミィを見おろした。ちらりとアミィの背後にも視線をやって、最終的に自分の足元を見る。


 石畳に描かれた魔法陣はゆっくりと明滅を繰り返し、役目を終えたと言わんばかりに輝きを消そうとしていた。


「き、消えちゃったら制御出来なくなるぞ!」

「待って待って! ……って、言ったのに……」


 ノエルの忠告を聞くまでもなく、アミィは持っていた杖に魔力を込めたけれど。

 半人前が描いた魔法陣なんてこんなものだ。

 じわじわと明度が落ちて、魔法陣はただの形になった。


「契約……済んでないのに……。どうしよう……」


 契約の済んでいない使い魔は、使い魔では無い。ただそこにいるフリーな獣だ。好きなように動けるし、好きなように食べられる。


 この獣がそう望めば、魔法使いの卵レベル三人ごときを排除するのなんて、雑巾を引き裂くよりも簡単だろう。きっと止められない。


「今は状況が把握できないから大人しいだけだ。逃げなきゃ」

「あんな大きな前脚で叩かれたら、私たちなんか簡単に――」


 ミーナの言葉の先を、アミィは想像してしまった。

 あの大きな前脚と爪で横っ面を叩かれて、自分の頭がぐちゃっとなったところまで想像し、ストンと腰が抜けた。


「ふたりとも、逃げてぇ……」


 せめてミーナとノエルだけでも逃がさないと、という一心で首をギコギコ動かして、声を絞り出す。


「あ、アミィも、逃げよ」

「腰抜けたの。私のことはいいから、ふたりは逃げて」

「……ミーナ、行こう。ダッシュで人を呼んでこよう」

「そんな、ノエルッ!?」

「ミーナそうして、お願い。私のせいでふたりに何かあったら嫌だもの」

「……アミィ~。すぐ戻って来るからね」


 ボタボタと大粒の涙を零すミーナの手をノエルが引いて、走っていく。ふたりの使い魔になりたての子達も、ぴょこぴょこぱたぱたと後をついて行った。


 そしてアミィは、猛獣とふたりきりになった。


「…………おと、なしい?」


 魔力が薄れ輝きを失った魔法陣の中央で、猛獣は大人しく座っている。じっとアミィを見下ろしているけれど、その瞳には明らかな知性があって、やっぱりただの猛獣や魔物ではなさそうだ。


「……なにしてんの?」

「へ?」

「さっきから何してんのか、よくわかんないんだけど」


 どういう理屈だろうか。

 獣の口から転がり出てきたのは、アミィが理解できる人の言葉だった。 

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