異世界転生?ただの夢オチ?異世界転生したのに世界が変わらない件 〜女神が無口で陰キャで怖い!チートなしスキルなし!?転生したらただの俺!何も変わらぬ日常を送るはずが、ひとつだけ決定的に違うことがある〜

桃鬼之人

第1話

 信号の色が変わった。

 一瞬だけ信号に目を向けると、青に変わったことを認識する。


 手にスマホを持ち、通学路を歩きながら、俺は胸の奥が高鳴るのを感じていた。心の中で小さな鼓動が速くなり、少しだけ足取りも軽くなる。

 それもそのはず、俺は今、カキヨミに連載中の小説である『異世界転生したら伝説の召喚獣!? なのに主人は乙女ゲームの悪役令嬢で婚約破棄寸前!! 世界平和を目指すはずが、彼女に溺愛されて婚約者役にされるんだが!? 人外×人間の恋愛が始まり世界平和の行方はどうなる――!?』に夢中だ。

 いろんな要素がてんこ盛りで、正直、お腹いっぱいな感じも否めない──そう思うのは素人の証、むしろ、これがいい。これがいいのだよ。異世界転生ネタの小説を読み漁り、どっぷりと浸かっている俺が言うのだから、間違いない。


 この作品は、熱いバトルシーンで胸が高鳴り、恋愛のキュンとする瞬間に胸が締め付けられる。ミステリーの謎解きはつい引き込まれ、涙を流さずにはいられない感動的なエピソードも満載だ。さらに、グルメやホラー、果てはSFまでが巧みに織り交ぜられる。だが、どれもが絶妙なバランスで調和し、決してごちゃごちゃした印象を与えない。こんなにも魅力的な小説が無料で読めるなんて——これ以上の幸せはないだろう。熱狂的なファンを抱え、レビュー数★96,501を誇るその作品は、まもなく★10万を突破し、最強の異世界転生ストーリーとしてその名を歴史に刻むことだろう。


 俺は歩きながら、物語が佳境に差し掛かっているストーリーを夢中で読んでいた。しかし、それが悪かったのだ。歩きスマホがこんなにも危険だとは、あのとき、心から理解していなかった。今だったら、歩きスマホの危険性を他の誰かに熱く語りたくてたまらない。


 そう、俺は交通事故に遭い、死んだ─────




 ☯  ☯  ☯




 暗い——

 いや、瞼を閉じているんだ、暗いのは当然だろう。だが、この暗闇はただの「黒」ではない。まるで底なしの闇に呑まれたような、光の概念すら存在しない空間に思える。

 次第に身体の感覚が戻り、ゆっくりと瞼を開ける。やはり暗い。光はどこにもなく、自分の手すら見えない漆黒の世界。

 しばらくすると、ぼんやりと微かな明かりが灯った。だが、それは申し訳なさそうに揺らぎ、まるで怯えているかのように頼りない。かすかな光が照らし出すのは、ただ濃い灰色に沈んだ空間だけだった。


「こんにちは……」


 突然、か細く湿った声が耳を打ち、背筋が凍る。女性の声だ。だが——何だ、この陰鬱な響きは。不快感がじわりと胸に広がる。

 目の前の女性は、この世のものとは思えぬ美貌を持っていた。絹のように滑らかな長髪が闇を流れるように揺れ、漆黒の瞳は深い夜を思わせる。だが——美しく整った顔立ちとは裏腹に、視線はどこを見ているのか分からず、空虚な闇を漂っているようだった。


「……誰……ですか?」

 俺は震える声で、恐る恐るその言葉を口にした。


「……私は……女神……あなたは……死んだの……そして……異世界に……転生……されるのよ……」


 掠れるような声が、闇に溶けるように囁く。

 女神? 異世界転生?


「……え……? 転生……」


 脳裏に交通事故の瞬間がよぎる。確かに俺は、あの時——大きな車に轢かれた。走馬灯なんてものはなく、ただ、暗転するだけの終わり。けれど今、意識は確かにここにある。

 異世界転生——本当にそんなことが?

 まさか、そんな現実離れしたことが自分の身に起こるとは……。


「……あ、あの……異世界転生って……どこの世界に行くんですか?」


 沈黙が続く。わずかに間を置いて、湿った声が応える。


「……行けば……分かります……」


「じゃあ……何かチートとかスキルとか、そういうのは?」


「………………一応……あるけど……言えません……」


「えっと、じゃあ──」


「……では……ごきげんよう……」


 俺の言葉を遮るように、女神が静かに呟いた。その声がかき消えると同時に、わずかに灯っていた光も儚く消え去る。闇が、じわりと滲むように広がり、俺の意識ごと呑み込んでいく。身体の輪郭が溶けていく感覚、いや、それすらも曖昧になっていく。俺は、ゆっくりと闇に溶けていった─────




 ☯  ☯  ☯




 はっと意識が浮上し、目を開ける。

 ここは……どこだ——?


 そう思いながら周囲を見渡すと、俺は自分の部屋のベッドに横たわっていた。あれ……? 確か、異世界に転生する話になっていたはずだ。けれど、どう見てもここは自宅。見慣れた天井、馴染みのある家具。


 ……なんだ、これ。


 痛っ…。頭がちょっと痛い。鈍い痛みがじわりと広がる。


 違和感を覚えつつも、起き上がり、階下へ向かう。階段を踏むたびに、ギシギシと軋む音が響く。


 ——いつもと変わらない、日常の光景。


 すると、母親が慌ただしく廊下に出てきて、俺を見るなり声を上げた。


「◯◯! 大丈夫なの!?」

 母親が俺の名前を呼んだ。心配そうな顔をしている。


「……え? 何が……?」


「体調が悪いって、朝からずっと寝込んでたじゃない」


「あ……う、うん……もう大丈夫……かな……」


「とにかく無理しないで。今日は学校も休ませてあるんだから、安静にしてなさい。すぐに簡単なご飯作って持っていくからね」


「ああ……そ、そうだね……そうするよ……」


 母親が温かいうどんを作ってくれた。いつもより柔らかく茹でられているのは、消化を考えてのことだろう。好物の半熟卵の黄身を箸で割り、トロリと広がるそれを絡めながら、ゆっくりとうどんを啜る。


 ご飯を食べ終わると、少し気持ちが落ち着いた。


 だが——違和感は、依然として消えない。何なんだ、これは……。さっきの母親——どこからどう見ても、俺の母親だった。声も、仕草も、普段と変わらない。


 そうだ、と急に閃き、「ステータスオープン!」と呟いてみた。だが、何も起こらない。その瞬間、顔が火照るほど恥ずかしくなった。


 じゃあ、あれは……夢? 異世界転生なんて話も、ただの夢だったのか? まさかの夢オチ? いや、そんなバカな。だとしたら笑えるな——そう思いながらも、笑う気にはなれなかった。まぁ、夢オチならそれでもいい。もし異世界転生して、結局この世界に戻ってきただけなら——それも悪くはない。いつもの日常に戻るだけだ。何も問題はない。


 とりあえず、もう眠気はなく、寝付けそうにもない。いつものように、俺はPCの電源を入れ、お気に入りのサイトへとアクセスした。


 しかし——そこで目にしたものに、思わず息を呑んだ。


 画面の中に広がる光景に、背筋がひやりと冷える。

 俺は、理解が追いつかないまま、じっと画面を見つめた。


 ——これは、何だ?


 悪い予感が、じわりと胸を蝕んでいく。

 やはり、俺は、異世界に転生しているのか─────!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る