「憧れたあの背中」②

 ぼやけた視界が回復していくとともに、今自分がいる場所が変わっていることに気づく。それは本来日本に無い場所。僕が憧れたスペインのあるチームのホームスタジアムのベンチに座っている。そして、大きな声援が鳴り響いている。

 急な展開に頭は追いつかない。状況を確認しようと、とりあえず周りを見渡してみる。コートには両者がそれぞれのポジションにつき、キックオフの合図を待っていることが分かる。さらに、スタジアム内の電光掲示板を見つけるとどうやら、後半に入るところのようだ。しかも、0対2で負けている状況。マジかよ。そう思っているうちにホイッスルが吹かれた。

 普通であれば、訳の分からない展開に困惑するはずが憧れたチームのベンチに座っていることがそのことを忘れさせる。とりあえず、この目に焼き付けようと思っていると知らない人から声をかけられた。

『海斗、15分後に出るぞ。準備を始めろ。』

 そう確実に日本語ではない言語で言われるも、何故だか理解できる。そんな疑問に戸惑うまでもなく、身体は勝手に動き出す。

 そのとき、初めて気づく。自分の体ではないことに。肌の色からアジア系のように考えられるが目線が普段見ている高さよりも20cm以上高く感じる。また、よくよく周りを見渡してみると、まったっく知らない人ばかり。選手も監督もすべて。ただ、確かなのはここが僕が憧れ続けたスタジアムで、大好きなチームだということ。これだけ頭の中は興奮と困惑で混ざり合っているというのに身体は止まらない。勝手知ったるように、この身体はアップするための場所に向かい、自分の出番を待ち続ける。自分がチームを勝たせるんだという強い気持ちと共に。

 そこに、普段の自分が試合前に感じる緊張とミスするかもしれないという感情は一切ない。鏡がないから分からないが、自分の目に闘志が宿っているように感じる。


 コート横で準備をしていてもわかる世界最高峰の舞台。そして、クラブを本気で応援しに来ているファンの本気の応援。ただ、それらの圧力にも委縮することなく、心の中の闘志はどんどん燃え上がるだけ。まるで「自分が自分じゃない」ように感じる。

 そう思いふけりながらも、時間は過ぎていき、後半開始から13分が過ぎた。反撃の狼煙がなかなか上がらず、しびれを切らしたのかスタッフが走ってやってきた。

『海斗行くぞ。』

 そうして走って向かうベンチへ。憧れていたユニフォームに袖を通す。チラッと背番号を見ると9だった。憧れていた選手がこのクラブで最初に着けた番号であることに、頬が緩むが気持ちを切り替える。

 監督からの指示は何語で言われているのかは分からない。けれでも、頭の中では理解することができる。どうやら、4-3-3のフォーメーションの左ウィングで出ることになるそうだ。とにかく、与えられた指示は単純。ゲームの流れを変えてこい。あわよくば、ゴールを決めてこい。

 それは現実の僕には言われたことの無い言葉。それを聞いた瞬間、高ぶっていた興奮は爆発し、逆に冷静になった。

 監督に背中を叩かれ、選手交代へ向かう。ボールがコートを出たとき、主審の笛が鳴り、4審が交代ボードを掲げる。交代される選手からやってこいという、強いハイタッチをもらい、尻も叩かれる。戦闘準備はもう済んだ。

 もう僕の目には、相手のゴールしか見えていない。爆音のはずのスタジアムが無音に感じた。


 出番は早々にやってきた。味方のクリア気味のロングボールをセンターフォワードが足元でキープする。ヘルプにやってきた、左のインサイドハーフに落とす。その瞬間、僕の身体は動き出そうとしていた。現実ではこうはいかないというのに。

 それに対応するように、インサイドハーフの彼は、相手のサイドバックとセンターバックの間を抜けるような鋭いパスを出す。本来なら追いつけないほどの速さだ。

 ただ、身体はそのパスのスピードが自分にとっては当然のように走り出す。サイドバックの左側から膨らみながら。ボールの行く先へ。


 本来の自分とは、あまりにも違う身軽さとスピード。それに心は驚きながらも、目線はもうゴールしか見えていない。僕のスピードに誰もついてこれていない。

 独走状態になり、左斜め前からペナルティーエリアに侵入しようとしたときに、キーパーが動き出したのが視界の隅で確認できた。ドリブルのスピードを少し落とし、完全にボールをコントロールできる状態にしていく。その頃には、キーパーがあと3メートルぐらいの位置まで来ていた。条件反射的に、ボールの下に足を入れ、ループシュートを放つ。

 それはまるで、いつも自分がサッカーゲームでやっていたように、または画面上の選手がやっていたように弧を描いて相手のゴールへ吸い込まれていく。

 この時間は、人生で最も長く感じた。

 そして揺れるネットとスタジアム。その状況が、僕がゴールを決めたという事実を感じさせてくれる。あれだけ、脚光を浴びなかった自分が数万人の歓声を浴びている。その事実に涙が流れそうになるが、ふと振り返る。まだ、1対2だ。試合状況を思い出した途端走り出す。


 揺らしたはずのボールを抱え、センターアークへ向かう。空いている手で、チームメイトとハイタッチするのと観客を煽ることも忘れない。まるで、それを行うのが当然のことのように。


 スコアに動きがあったことは如実に試合に変化を与えた。こっちは残り約30分で逆転勝ちするため。相手は、勝ち点3を守るため。激しさは増した。その結果、プレー事態も激しくなり、主審が試合を止める回数も増えた気がする。ただ、それに動揺するようなメンタリティは今の僕には無かった。とにかく、まずは試合をタイに戻す。それだけしか、頭に無かった。まるで、これが現実で起こっていることであることは当たり前かのように。


 相手は僕を警戒したのか、右サイドバックを交代してフレッシュな選手に代えた。それと同時に、パスの供給元である、インサイドハーフを潰しにかかる。

 その作戦は功を奏し、パスをもらえない時間が長くなる。揺れ動いたはずの試合の流れは元に戻ろうとしていた。その様子にしびれを切らしたのか、サポーターの応援や怒号は大きくなっていく。それもそうだろう。もう、試合終了まで約15分しかない。けれども、僕の目線は絶えずゴールに狙いを澄ましていた。

 その時だった。ゴールキーパーからビルドアップを目指していき、なんとか右のインサイドハーフが自陣の深いところではあるが前を向けた。その瞬間、僕はディフェンスの裏へ走り出す。それにつられ、下がる相手のディフェンスライン。その一瞬のタイミングを逃さず、センターフォワードが若干下がってきて、ほぼフリーの状態でボールを受け取ることに成功した。マークが十分についていないことを確認しつつ前を向く。そして、僕より低い位置にいる右ウィングにパスをする。

 その選手のことを実際では見たことがないはずだ。しかし、今は彼が1対1に絶対の自信を持っていることを知っている。それを信じ、スピードを緩め、彼が相手選手を抜いた後に上げるであろうクロスに向けて備える。

 彼のポテンシャルは、僕だけでなくても知っているのだろう。彼と相手の左サイドバックとの1対1の状況が作られたときに一気にスタジアムの期待感が上がった気がした。それは歓声が大きくなったのかもしれない。もしくは固唾をのんで静まったのかもしれない。どちらにせよ、近づく運命の瞬間。

 その駆け引きは、あっけなく終わった。彼自身のスピードを思いっきり活かすため、大きく前へボールを蹴りだす。そして、瞬く間にギアを上げ、相手とボールの間に体を入れ、ゴール前を確認する。そこには、センターフォワードが準備をできているが、僕はあえて遅れて走っていた。


 そして、上げられるクロス。それはゴール前にいたセンターフォワードの選手を目指すのではなく、大きく弧を描くようにゴールから遠ざかる。そのボールの行方はペナルティーアークからペナルティーエリアに侵入しようとしていた僕に向いていた。

 走りながらも、相手の自身に対するマークが間に合っていないことは確認済みだ。ボールの落下地点はペナルティーマークよりも手前だと容易に予測することができる。そして、シュートをすることも可能な体勢だ。

 それはサイドは違うが、数年前に見た日本代表のボレーシュートの場面に似ていた。左サイドバックからあげられたクロスをトラップすることなくダイレクトでボレー。それをアジアカップの決勝の舞台でしかも優勝を決めた劇的なゴールである。

 その場面が脳裏に浮かびながら、ボールをミートさせるべく集中する。まるで、迫りくるボールが遅く感じるように、ボールの縫い目の一つ一つが見える。それを丁寧にかつ全力で振り切る。そうして放たれる強烈なボレーシュート。

 それは、弾丸のように相手ゴールの左上の隅を貫いた。


 ワンテンポ遅れたようにやってくる歓声と仲間たち。もみくちゃにされながら、またゴールを決めたんだという高揚感とひとまず試合をタイに戻せたという安心感が混ざりあう。

 ゴールを決めた喜びを仲間と分かち合う時間も終わり、各々持ち場に戻る。それと共に冷静にこれからの短い残り時間のプランを考える。けれども、このチームに許されているのは勝利のみ。自ずと目指すべきものは一つしかない。


 後半開始前までは予測していなかったであろう展開にサポーターの熱量は爆発し、求める勝利への声援。それは僕らを後押しし、相手を委縮させる。ただ、相手もまずは試合を落ち着かせようとシンプルなプレーを心掛ける。この試合はリーグ戦のたった一試合。それでも僕らのようなチームに勝ち点が一つ取れるだけでも十分な内容だった。それ故に、攻撃のテンポは単調だが、守備の強度は増してゆく。前半に可能性があった勝ち点3という最高の形で試合を終えることは難しいかもしれないが、自分たちが決めた2ゴールの価値を守るため死ぬ気で自陣のゴールを守り抜く。

 それは、ある意味焦りだした僕らにとっては効果的であった。勝つことしか優勝しか許されないクラブにとって、試合終了のカウントダウンが近づいてくるということと、あと1点で逆転できるということ。それは大きくなり続けるサポーターの歓声とともにプレッシャーも大きくのしかかる。

 しかし、百戦錬磨のチームは最後まで自分たちのサッカーをやり続ける。相手が自陣に籠ってまで守るのであれば、ゴールネットを揺らすまで波状攻撃のように仕掛けるのみ。誰も堅い守備に心を折れて下を向くような選手はいなかった。

 それは、僕も同じだった。まるでずっとこのチームにいたかのように、勝利を目指し続ける強者のメンタリティを持っていながら、堅守の間にいつかできるかもしれない隙を待っていた。


 ただ、待っていてもその時間はやって来なかった。無情にも知らせるアディショナルタイムの表示。僕らに残された時間は3分だ。

 それまで打ちまくったシュートに疲弊しながらも、勝ち点1を守りきるため、戦略を遂行するために相手の堅守は崩れなかった。

 ならば、残された手段は一つしかなかった。僕が憧れた背番号「7」の象徴でもある選手のように。理不尽なゴールを決めきるしか。


 その気持ちは夢が覚めたように本来の自分のメンタルに戻っているかのような僕を、この舞台にふさわしい僕に戻してくれた。僕がゴールを決めるんだ。ハットトリックを達成するんだ。このチームを勝利に導くんだ。現実では思いもしない感情が、まるでそう思うかが当然のように僕の心の中に湧き上がる。その瞬間、僕の脳内にはゴールへの道筋が見えたような気がした。

 相手陣地に攻め込み続けていたため、ペナルティーエリア付近にいることが多くなっていたが、確実にボールをもらうため、エリアから4、5メートル手前に下りた。相手からのマークが若干緩んだところにすかさず、パスを供給してくれる味方。首を振り、前を向くためのスペースがあることを確認して前を向く。さすがにその時には、すぐにはシュートを打てない位置取りをしている。けれども、仕掛けるのには十分なスペースが今の僕にはあった。

 右足の甲の付近で、ボールを2回ほど押し出す。それと共に徐々にスピードを上げていく僕と、下がり始める相手ディフェンダー。そのスペースを見て、動画で見てきたように連続でシザースを始める僕。それは現実とは異なり、スムーズで美しく素早い。それでいながら、相手と周りとキーパーの位置を確認しながら、ドリブルのスピードを上げていく。

 ペナルティーエリアまで3メートル、2メートルと迫った時、相手の守備陣との間に隙間が見えた。自身とゴールを繋ぐ一直線が通るような隙間が。その瞬間、右足のアウトサイドでボールを若干右側にずらし、右足を振りぬく。それは、小さな穴を通るようにディフェンダー陣の間を抜け、ゴール右上に突き刺さりネットを揺らした。

 たったほんのちょっとの隙間。それを見逃さず、土壇場で決めに行く実行力とメンタリィティ。そして、個でチームを勝たせる圧倒的主人公。それは今の僕の影に、憧れた彼がいるように感じた。

 鳴りやまぬ声援とチームメイトからの抱擁。電光掲示板に映る3対2という文字が、よりその事実を強調させる。僕がチームを勝たせたんだ。まだ、終了の笛はなっていないがその事実に、身体が熱くなった。


 そして。「ピィーピィーピピィー!!!」

 鳴り響く終了の笛と、勝利を称えるサポーターの大歓声。湧き上がる勝利の喜び。それに応えるように、ガッツポーズ同時に「シャー!!!」と叫んだその瞬間。

 思い出させるように視界は真っ黒になった。

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