第16話 3-4 ベンタと海斗 練習漬け

 それからの海斗とベンタは、今までにも増して練習漬けの毎日が待っていた。

 海斗はデビュー戦が終わるまでの間、アルバイト先の『お食事処ごんべい』を午後三時で上がらせてもらい練習時間を増やした。とにかくひたすら走って走って足腰を鍛えた。

 まるで駅伝やマラソンの選手並みに一日平均一〇キロから一五キロ以上を走りに走った。

 多いときには二〇キロを走破した。時折短距離ダッシュや坂道ダッシュを入れて足腰に負荷をかけながら走った。そしてデビュー戦の日程がまだはっきりと決まらないベンタも、時間が許す限り同じ練習をさせられた。いつデビュー戦が決定しても良いようにとの徳川会長と田口の配慮からだった。バイト先のリネン工場の時間調整も忙しい時以外は柔軟に対応してくれた。二人の仕事が休みの日は、一日中朝から夜まで練習漬けとなった。

【ジムワーク】練習メニュー

 ベンタと海斗の二人のジムワークは、様々な練習メニューが工夫されていた。

 一、ストレッチ(マット運動・柔軟体操 3ラウンド9分)

 二、縄跳び(2ラウンド6分)

 三、ブリッジで首を鍛える(3ラウンド9分)

 四、腕立て伏せ(五百回)及び腹筋(五百回)

 五、パンチングボール

 六、シャドーボクシング(5ラウンド15分)

 七、ミット打ち又はマスボクシング

 八、サンドバック(3ラウンド9分)

 九、スパーリング(10ラウンド30分)

 十、ストレッチ(1ラウンド3分)

 ※特に手首の強化・握力の強化・首回りの強化トレーニング

 ※気分転換にエアロバイク(30分)を入れる。


 ジムワークが終わると、サーキットトレーニングを行った。

【サーキットトレーニング】練習メニュー

 一、腹筋(五百回)

 二、ディップス(一回目)(二十五~四十回)  ※大胸筋と上腕三頭筋の強化

 三、腕立て伏せ(五百回)

 四、ディップス(二回目)(二十五~四十回)

 五、シュラッグ(五十回)ダンベル・バーバル他 ※僧帽筋の強化

 六、ブリッジ(首周りの強化)(3ラウンド9分)

 七、エアロバイク 

 ※一~七を数セット

 八、特に手首の強化・握力の強化

 九、足腰の強化(特に臀部と太ももの強化)

 最後にストレッチ(1ラウンド3分)(筋肉の疲れをとり終了)


 ボクサーなら誰でもやっている基本的な練習を毎日考えながら変化を加えて繰り返した。

 ミット打ち、サンドバッグ、マスボクシング。スパーリングの練習のときは田口マネージャーや村木トレーナーの厳しい声が毎日飛んでくる。

ベンタと海斗がサンドバッグの練習に入ると、必ず田口と村木が二人の後ろで大声を出している。

「ファイティング原田や大場政夫のように一発でも多く打ち込め。パンチの雨を降らせろ!」

「内山高志のように色んなジャブを打て。打ちながらタイミングと距離を掴め」

「セレス小林のように相手のどこにパンチを入れるのかを考えながら打て」

「体が疲れてくると誰でも手打ちになる。しっかり腰を入れて打て!」

「体力がないと思ったらとにかく走れ。ひたすら走れ。走ることが自分に勝つことだ!」

「渡嘉敷勝男のようにパンチを打ちながら相手を観察しろ。攻撃パターンの癖を見つけろ!」

「体が無意識に反応して出るパンチこそ、練習を積み重ねたパンチだ」

「リングではどんなトラブルがあるかわからないぞ!」

「サミングやローブロー、ひじ打ちや裏拳、特にバッティング(頭突き)に気を付けろ」

「利き腕だけに頼るな」

「右構えでも左構えでも左右どっちのパンチも同じ強さでダウンさせるパンチを打て」

「左構えになったら、具志堅や長谷川穂積のように基本に忠実なボクシングをしろ!」

「川島敦志のように、ディフェンスとオフェンスの切替を早くしろ!」

「ワンツーをおろそかにするな。山中慎介のようにワンツーを磨いて世界を獲れ!」

「ボディーだ。井上尚弥のように強いボディーブローを打て! 相手の心が折れる!」

「フックは人間の本能で打てる。ストレートを打て」

「相手に見えないノーモーションでパンチを打て!」

「フックは諸刃の刃だ。武器にもなるが、カウンターの餌食にもなる」

「単調になるな。一流の選手はその瞬間を狙ってくるぞ」

 周りで見ている練習生から驚きの声が上がる。

「おい、あの重くて硬いサンドバックを揺らしてるぜ。信じられねえ。俺たちが打ったってびくともしないどころか、手首や拳を痛めるレベルのサンドだぞ」

 四回戦、六回戦といったプロボクサー数人が腹筋やストレッチをしながら、ベンタと海斗の練習に見入っていた。

「田口さんと村木さんはマイク・タイソンを育てたカス・ダマトや、メキシコの名伯楽イグナシオ・ナチョ・ベリスタインや、リカルド・ロペスを育てたクーヨ・エルナンデスの練習方法を研究して取りいれているらしいよ」

「徳川会長が現役の頃、米国に渡ってあのカス・ダマトに直接教えを受けたおかげで世界タイトルを獲ることが出来たって話だよ」

「カス・ダマトか? 俺たちにとったら名前しか聞いたことがない伝説のトレーナーだな」

 徳川は会長としての所用で出掛ける時以外は、できる限りジムで練習している選手の様子を確認していた。Tシャツ姿で首にタオルを巻きながら、ジムに入るすべての選手に目を配り、田口や村木と一緒にアドバイスを送っていた。

 ベンタと海斗が明日のデビュー戦を前にジムでの練習を終え、いつもと同じように選手寮でみんなと夕食をとりながら談笑した。

 矢尾板と小島と【マーさん】に、

「じゃあ寝ますんで失礼します」

 と、海斗が声をかけた。

 ベンタも、

「失礼します。おやすみなさい」

 と、続いて挨拶をした。

「おお、ゆっくり休め」

 矢尾板が声をかけた。

「あんまり考えすぎるなよ。寝れなくなるからな」

 小島が声をかけた。

「はい。おやすみなさい」

 と、海斗が挨拶をしながら自分の部屋に入っていった。

 部屋に戻っていく二人の後姿を目で追いながら、小島が矢尾板に話しかけた。

「矢尾さん、あの二人の練習は相変わらず凄まじい内容ですね」

「ああ、とにかく休憩をとるとか休むとかそういうことが練習メニューに入っていない」

「ひとつ明らかに違うことがある」

 矢尾板が呟いた。

「えっ、矢尾さん、何のことですか?」

 小島が味噌汁を飲み込んだ。

「田口さんと村木さんだ。海斗とベンタの二人には、明らかに今までと違う教え方をしている。普通の選手の育成方法とは、何かが違うと思うんだ」

 小島のご飯を食べる手が止まった。

「やってることは俺達と大して変わらない、一見同じように見えるが……」

 小島が唾をごくりと飲み込んだ。

「徳川ジムに入門してから、一貫して強いパンチを打つための身体作りを優先している。だからウエイトや階級を前提にして最初から肉体に制限を加える事をしていない。そしてパンチを貰わないための技術や軽減させる方法を徹底的に教え込んでいる。まあ、ざっとこんなとこかな」

 矢尾板が感じたポイントを小島に列挙した。

「なるほど。手首と足腰の強化。特に臀部と太ももの強化。普通は最初からあそこまで突き詰めて鍛えないっすね」

 小島も納得した。

「会長があの二人のために新しく購入したサンドバックは、ヘビー級用のサンドバックに仕上がっている。あれをガンガン揺らすぐらいのパンチを打てるようになったら、大変なボクサーになる」

 矢尾板が真剣な表情で小島を見た。

「少しずつですけど結構叩いてましたよ」

 小島も驚きの表情で矢尾板を見た。

「ベンタと海斗がスパーリングを始めて一年が経ったけど、コジは何か感じないか?」

「いやもう、有りありですよ」

 小島が力を入れて話し始めた。

「田口さんと村木さんは、正真正銘、世界ランキング入りしたOPBF(東洋太平洋)のチャンピオンだった人たちですよ。田口さんは世界挑戦までした人です」

 小島が右手に持っていた箸をおいた。

「そんな人たちの一流のフェイントやパンチを、たった一年であれだけ避けられるようになるなんて俺は信じられないっすよ」

 小島が納得出来ないとでも云いたそうな顔で矢尾板を見た。

「俺も小島も階級が違うとはいえ、苦労してここまで上がってきた。反則すれすれの動きをする奴や、カウンター一発のパンチの怖さも知っている」

 矢尾板が真剣な顔で小島を見た。

「そんな俺たちから見ても技術はともかく、ベンタのあのズシリと重いパンチ。海斗のまるで突き抜けるようなパンチは、他の誰とも質が違う。とてもボクシングを始めたばかりの十六七の子供のパンチとは思えない」

 矢尾板も同じ事を感じていたのかと小島は心の中で納得した。

「特に不思議なのは海斗だよ」

 矢尾板がどうにも腑に落ちないないというような顔をした。

「あいつはもっと出来るのにそれを見せないように覆い隠しているように感じるんだ」

「えっ?」

「本当はもうすでに四回戦どころか六回戦以上の選手と戦ってもやれるんじゃないかと思わせる何かを感じさせるんだよ」

 と胸につかえていたものを矢尾板が吐き出すと、

「それは俺も感じてました。ちょっと尋常じゃないというか、何か得体のしれないものを持っているような。田口さんと村木さんは、多分とっくに気づいていると思いますけど」

 矢尾板が、お前もかという顔をした。

「言葉では云い表せないような体の使い方というか、パンチの避け方というか?」

 小島も敢えて今まで口には出さなかった不可思議な思いを初めて矢尾板に話した。

「やっぱりお前もそう感じていたか?」

 矢尾板が腕組みをしながら小島を見た。

「筋肉質だけど鞭のようにしなって突き抜けるような異質なパンチ。柔らかい体の使い方。まるでベンタのパンチとは百八十度真逆なものを見せられている感じだよ」

 矢尾板の言葉に小島が頷いた。

 矢尾板と小島が、難しい顔つきになって考え込んでしまった。

「まあまあ、そんな難しい話は私にはよくわからないけど、矢尾ちゃんもコジちゃんも、海斗君もベンタ君も、四人全員みんながチャンピオンになる姿をわたしに見せてちょうだいねっ!」

 傍で聞いていた【マーさん】が二人の肩を両手でたたきながら、優しい笑顔で二人に微笑みかけた。

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