第19話 男装皇帝の涙②

「今日、お母さんの部屋に行ったよ。きれいな部屋だったね」

「……たまに、ゆっくりしたいときに……使うんです。未練がましいですよね……お母さんが帰ってくるはずもないのに……」


 それでも、彼女は途切れ途切れに言葉を返してくれて。

 背中をとんとんと叩きながら、私は極力明るい声で会話を続けることしかできない。


「どんなお母さんだったの? やっぱりあんたに似て美人?」

「わたしはどうかわかりませんが……母は、とても美しい人でした。元は旅芸人の踊り子で、父が一目惚れして、妾となって……女ひとりで旅をしていただけあって、なかなかの魔法の使い手だったようです……」

「へぇ、それじゃあ魔法もお母さんから教わった――」


 ここで、せっかく落ち着いてきた彼女の肩が震えはじめる。


「でも……お母さん出ていっちゃった……きっとここでの生活が窮屈で、だから、わたしを置いて……」


 ……あ、そういうオチなのね。

 それはこれ以上聞いちゃダメなやつである。正直、苦手なんだよね。人を慰めるとか。なんせ、こちらは血花のノア。『引かないなら、ごちゃごちゃ言ってないで決闘だ!』をひたすら繰り返してきた女である。


 だけど、ここで逃げたら、心の中のお兄ちゃんに『人でなし!』と泣かれそうで。

私は即座に話を逸らすことにした。


「そういやさ、皇子を誘拐しようとしたメイドから依頼主とか聞き出せなかったの? どうせ誰かからの命令なんだから、大元を叩けば、セべクの追放も誤魔化せるかも――」

「彼女は……自害しました……」

「えっ?」


 私の疑問符に、彼女は懸命に呼吸を整えて。

 ゆっくりと、ゆっくりと事実を紡ぐ。


「どうやら奥歯に毒薬を仕込んでいたようです。治療と称して隔離しようとしたときには……もう、息絶えていました。セベクが来てよかったですね。遅れてたら、あなたがメイドの殺人犯になっていたかもしれません」

「……ま、すでに腕一本は吹き飛ばしてたんだけどね」

「医療班に確認しましたが、止血は問題なくできていたようですよ」


 どうやら、相当忠誠心の厚い誘拐犯だったようだ。

 あるいは、絶対に明かせないほど、大きなバックがついているのか。

 他国の者か、シャルル王国の者……だったら多少は私もわかるけれど。もしアニス帝国内部の貴族だったら、私はほとんど力になれないな……。


 そんな思案をしていると、エーデルガルドがぼそりとつぶやく。


「これで、よかったんです」


 視線を下げると、彼女が力なく笑っていた。


「このままじゃ、いつか、わたしが彼を殺してしまう……」


 諦めたように笑う顔から、未だ涙は止まらない。

 そんな顔で、彼女が窓の外を見ていた。

 暗くて、静かで、何も見えない夜の先を。


「これでよかったんですよ。どこか、わたしの知らない遠い土地で、わたしの知らない人と仲良くなって、結婚して……少し騒がしいながらも、しあわせな家庭でも築いてくれたら……」


 自己満足で自分を納得させようとしている彼女に、私はふと訊いてみる。


「エーデルガルドはセべクのことが好きだったの?」

「……わかりません。皇帝になる前から、正式な別の婚約者もいましたし……恋愛なんて考えたこともありませんでした……」


 自嘲した彼女は、諦めたように言葉をつなげる。


「それでも、彼はわたしの大切な友人で『おにいちゃん』でした」

「でした、じゃないでしょ?」


 私が否定すると、エーデルガルドはようやくこちらを見た。

 だから、私は少しだけ口角を上げる。


「別に、今生の別れじゃないんだから」

「別れですよ。私が生きているうちは帰ってくるなって、宣言しちゃいましたし」

「あれ、あんたはあと十年くらいで死ぬんじゃないの?」


 すると、再び視線を逸らし始めた彼女がこちらを見上げる。

 まんまると見開かれた目が、ショックだと言わんばかりに揺れていた。


「わたし、二十七歳で死なないといけないんですか?」

「そうじゃなくて……皇帝としてってこと。あの皇子が大きくなれば、お役御免なんでしょ? だから、適当に『エーデルガルド皇帝』が死んだことにして、あんたは普通の女性として、どこか遠くで暮らすのかと思っていたんだけど……」


 十年後の十三歳じゃ、まだあのニーチェ皇子に皇帝は厳しいかもしれないけど。


 でも、十五年後か、二十年後か。

 いつか彼女が皇帝をやめて、『エーデルガルド』という一人の女性が自由になれるときが、必ず来るだろうから。


 だから、今度は私が窓の外を見る。

 真っ暗な世界。だけど、この先から私はここまで来たのだ。

 暗闇の先にも世界があることを、私は知っている。


「そうしたら、会いに行けばいいじゃない。私も一緒に行ってあげるよ。あいつのこと、私もけっこう気に入ったんだよね」


 すると、皇帝がこてんと小首を傾げた。


「ノア姫は……セべクを好きになったんですか?」

「そういうのじゃないってば!」

「妬いちゃうなぁ。わたし、ますますノア姫のことが好きになっているのに」

「えっ?」


 私がエーデルガルドを見やると、彼女がいじわるい笑みを浮かべている。

 思わず、私は鼻で笑ってしまった。


「あーもう、心配して損した。もう寝よ。今日は変ないたずらしないでよね!」

「わたしと……一緒に寝てくれるんですか?」

「ダメなの?」


 なんか今更自分の部屋に戻るのも面倒だし、昨日もなんやかんや一緒に寝た仲だし。もしまた一人にしたら、また彼女が泣き出してしまうかもしれないから。


 私の疑問符に、エーデルガルド=フォン=アニスが弾んだ声を返してくる。


「すごくうれしい」


 さっきまで泣いていたからだけど、彼女の笑みは反則だった。

 ラベンダー色のとろけるような瞳で、私を見つめてくるのだ。

女の目から見ても、うっかり惚れてしまいそうなくらい、かわいい笑み。


 こんなただの美少女を、もう『皇帝』などと呼ぶ気にはなれなかった。

 だから私は彼女に背中を向けて、毛布を引っ張る。


「あーはいはい。おやすみ、エル」

「……おやすみなさい。ノア」


 私が呼んだ愛称に、エルも敬称なしで返してくれた。

 なんだか友達になれたみたい……そう満足しかけて、ふと気づく。


 私、この子と夫婦になるんだったな。


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