第8話 夜更けの訪問者①


 その後、パーティーはあっさりと終わった。

 ただ、私は皇帝の隣の椅子に座っているだけ。


 私に挨拶にきた貴族もいたが、すべて皇帝がうまく会話を受けてくれていた。

 ただひとり、アニス帝国宰相ヨハン=フォン=マイヤーを除いては。


「ご挨拶が遅れて申し訳ございません、ノア姫」

「あなたは……道中で会った人だね?」

「えぇ、陛下と同行させていただいておりました」


 メガネの男だ。整った顔をしていると思うが、メガネということ以外に特徴がない男でもある。ただ宰相という立場らしく、身に着けている物はどれも高価そうだ。メガネ自体、庶民にはまず手に入れることができない高級品だしね。


 そんな男が、メガネの奥の瞳を細める。


「そのドレス大変似合っておいでですね。とても日中、兵士相手に大立ち回りをした姫君とは思えません。もっと動きやすいドレスのほうがよろしかったのでは?」


 その気遣いは、やっぱり『おまえみたいなチンケな娘には、歴史あるドレスなんか似合ってねーよ』ってことでよろしいのかな? 正直、同意ではあるけどね。でも、売られたケンカを買うのはやぶさかではないぞ? 


 心の中のお兄ちゃんも、きっと初期の段階で白黒はっきりつけておいたほうが、今度の平和のためにいいと背中を押してくれるに違いない。やるか、決闘? 


「ヨハン」


 隣に座るエーデルガルドが短く叱責する。

 ヨハンの笑みは欠片も歪むことはない。しかも周囲をよくよく観察してみれば、そんな皇帝とヨハンのやりとりを見て笑みを隠している者も少なからずいる様子。


 ……皇帝の治世も一筋縄ではないようだね。


 だけど、やれやれである。皇帝が注意してくれてしまった以上、私が暴れるわけにはいかないじゃないか。これでも、世界平和を担っている自覚はあるのだ。


 だから、怒りの矛先を収めるために視線を動かしてみる。

 私の大立ち回り相手のセべクも会場内の警備に当たっていたらしい。私と目が遭えば、あからさまに拗ねた様子でプイッとそっぽを向いてしまった。いや、もうちょっと大人の対応しようよ。変にコソコソしている他の貴族たちよりわかりやすくて、嫌いじゃないけどね。


 これは思っていた以上に癒されてしまった。

 私が「ぷっ」と噴き出すと、エーデルガルドが身を乗り出してくる。


「ノア姫、どうかしたか?」

「いえ……アニス帝国の方々と少しでも交流を図れて嬉しゅうございましたわ。お忙しい中、メイドさんたちも素晴らしい歓迎をしてくれましたし、これから楽しくやっていけそうです」


 私がそれらしい言葉遣いで応じると、ヨハンと、特にエーデルガルドが目を丸くしている。


「メイドたちの、歓迎……?」


 まぁ、このくらいの嫌みなら許されるでしょう。

 案の定、ヨハンはすぐに笑みを作り直すが。


「この国を気に入ってくれたようで何よりでございます。これからどうぞよろしくお願いしますね。ノア姫様」

「えぇ。どーぞよろしく」


 私もにこやかに挨拶を返す隣で。

 しばらくのあいだ、エーデルガルドだけが奥歯を噛み締め続けていた。




 こうして、私のアニス帝国初日が終わろうとしていた。

 私は和平のための生贄である。


 もっと暴言を吐かれて、ドレスを破かれ、命を狙われるようなトラブルの連鎖かと思いきや、拍子抜けするほど呆気ない一日――あ、いや、一応全部体験したのかな?


「あぁ~、もっと腰を強く押して~」

「わんっ」


 一日の終わりのマッサージ。ポチに最初教えたときは本気で背骨が折れるかと思ったが、今やこうして一日の終わりに極楽を提供してくれている。あぁ、今日もポチがかわいい。


 そんなときだった。寝室のドアがノックされる。

 おかしいな。明日の予定は特にないと聞いているし、湯あみのときすら手伝いのメイドは誰一人としてこなかった。だからこのまま生贄らしく、結婚式までのらりくらりと軟禁を強いられる覚悟でいたんだけど。


 ポチも喉を鳴らして警戒している。そんな彼女の背中をとんとん宥めて、私は極力明るい声を出した。


「何の御用ですかー?」

「一緒にお酒でもと思って」


 その声は、皇帝エーデガルトのもの。

 どうして、彼がこんな夜更けに?


 そりゃ夫婦になるんだから、いつかは夜のお付き合いもしなきゃならんのかもしれないけど……まだ式も挙げてないんだぞ? 初夜という言葉は、結婚式のあとに使われるものじゃないのか?


 私が思案しているあいだに、皇帝は「入るよ」と勝手に部屋に入ってしまった。その手にはワインのボトルとグラス二つをそのまま持ってきている。ほかに護衛や付き人はいないようだ。


「……ほらポチ、もう部屋に戻る時間でしょ」

「ううう」

「いやいやじゃないから……」


 私が「ポチ」と低い声で呼べば、しゅんと頭の犬耳を下げて、ポチはトボトボと部屋の外に出ていく。犬耳を動かしているすべは彼女の魔法だろうけど、詳しく聞いたことはない。野暮だからね。


 しょぼくれた姿もかわいいポチはさておいて、入れ違いで入ってくるのは皇帝エーデルガルドだ。ジャケットのかわりに、シャツの上には厚手のカーデガンを羽織ってきている。まだ髪もわずかに濡れているようで、無駄に色気を感じてしまうのは、私が意識しすぎているせいか。


 相変わらず、皇帝は平然と笑みを浮かべているけれど。


「嫌われたものだな」

「そりゃあ警戒しますよ。ポチも私も」

「ふふ、そういうことにしておこうか」


 そういうことって、それしかないと思うのだが?


 こんなに心臓がうるさいのは、初めて戦場に出たとき以来だろうか。仕方ないじゃない。今まで戦場を駆けずり回る野生姫だったんだもの。当然、そんな色恋の経験はない。


 あ~、こちらの反応を楽しんでいるかのような皇帝の顔がムカつく!

 ちゃっかりベッドテーブルを使ってお酒をグラスに注いでいるんじゃない! 

その首を今すぐ切り落としてやろうか!?

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