依頼/1
俺が店を閉める準備を始めた時に、その客はゆっくりと入ってきた。
長年の勘で、この時間に入ってくる客はとても危険な客か、または上
客だと知っている。
まず、俺は緊急作動のスイッチを押した。
解除の暗証番号を押さなければ、きっかり三分後に天井からスクリー
ンが降り、カウンターの向こうとこちらを隔絶する。
俺の安全が確保された瞬間に大噴射の催涙スプレーをご馳走し、続い
て警察への自動通報という、この界では滅多にお目にかかれない最新型
防犯装置だ。
こいつのおかげで年が明けてまだ三ケ月ほどしか経たない今日まで、二
度は命拾いした。
「善良」と称する市民が2度ほど地獄の底を覗いたようだが、俺の命と
引き換えなら仕方ない。
「最新型」とはたいした事もないくせに、大企業の金に糸目をつけない
宣伝効果により洗脳された庶民が先を争って手に入れるくだらない物だ
と考えていた俺の認識を、こいつは変えてくれた。
黒のジャンパー、紺のズボン、合成皮革の黒靴、年齢はもう六〇を過
ぎているだろうか、最近は年寄りの強盗も結構多いと聞く。安心はでき
ない。
1分5秒が過ぎた。ゆっくりとショーウィンドウの商品を眺めている。
勿論、俺からは話しかけない。
俺達のような店では、まず客から喋るのが普通だ。沈黙に堪えられず
先に口を開くと負けだ。
相手を優位に立たせてしまう。
2分30秒が過ぎようとした時、じいさんは展示されているサンプル
の耳を触っていたが、俺はその手に驚いた。
老人特有のシミが少し出ているが、キレイなアングロ・サクソン系の
白人の手。
俺はその時に確信した。
「上客だ!」
2分55秒経過し、残り5秒だ。
俺は解除のパスワードを入力し、取って置きの優しく丁寧な口調でこ
う言った。
「いらっしゃいませ、何か特別な物をお探しでしょうか?」
この「特別な」という部分を意識的に強調したいのを平常心で押さえた。
そうだ、いつも平常心、どんな状況でもだ。
それが原因で妻が家を出ていったとしてもだ。 旧ニューヨーク市
これが、ここラスティヨークで生き残る秘訣だから。
じいさんはこう言った。
「友人の紹介で、初めてこの店に来たのだが......」
う〜ん、こいつは最高の客だ。
まともな生活をしている人間は俺達がどんな物を売買しているか想像
さえもできないだろう。
友人の紹介、つまり人には言えない物を探している。
それも費用は問わないという意味だ。
「有り難うございます。はい、当店ではお客様のどのようなご要望にも
お応えしておりますのでお得意様からは入手不可能な品は無いとの高い
評価を頂いております。
さて、本日はどのような物をお探しでしょうか?」
暫く、沈黙が二人の間を流れる。
じいさんが口を開いた。
「アイルランド人の十五歳の女の子の右手が欲しいんだが、手に入りま
すかな?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます