バス通学の園川さんと寮生の三牧くん

仲室日月奈

前編

 この春入学した高校は県北にあり、山と田んぼがあるだけの田舎なので交通の便はあまりよくない。そのため、大半の生徒は寮に入る者がほとんどだ。残りの一部は、わたしのように駅から出ている送迎バスで通っている。

 とはいえ、駅から学校までの距離もそこそこあるので、バス通学でも軽く一時間はかかってしまうのだけど。

 それでもわたしがこの高校に決めた理由は、県内随一の桜山があるから。


 ◇◇◇


 あれは忘れもしない。一年前、家族と花見で訪れたときのことだ。

 父が驚くぞと得意げに言った言葉のとおり、一面が見事に桜色で染まった山々は圧巻だった。春風で花びらが舞う様子がなんとも神秘的だったし、雄大な自然に囲まれた景色は、受験生となった自分にとって癒やし効果抜群だった。

 後ろ髪を引かれる思いで駅までの道を歩いていると、紺のブレザーを着た高校生とすれ違った。帰宅後、近くに高校があるのを知った。友達を誘って体験入学に行ったとき、校舎の裏手にある庭園を見つけて、ときめき指数は頂点に達した。

 鉄柵の向こうには、色とりどりの花が咲き誇っていた。手入れが行き届いている庭園は西洋風で、芝生の上には左右対称の模様に沿って白い花が植えられていた。学校案内の資料を持っていた友達いわく、緑地土木科が卒業研究のため毎年手を加えているらしい。年々どんどん豪華になっているのだとか。

 薔薇のアーチをくぐり抜けた先には噴水があった。高く吹き上げられる水しぶきの音が心地よく、休憩用のベンチも備え付けられ、こんなところで読書できたら最高ではないだろうかと夢見てしまう。

 それまで白紙だった進路希望調査票に志望校を記入し、わたしは人生で一番勉学に励んだ。学校の宿題と塾で出された宿題をこなし、どうにか合格圏内まで順位を伸ばした。担任の先生は泣いて喜び、そこまで心配をかけていたと知らなかったわたしは困惑した。


 かくして第一志望校にめでたく受かった、まではよかった。


 しかしながら、わたしは朝がめっぽう弱い。

 父や兄も同類だ。時間通りに起きられるのは、我が家の愛犬と母だけだ。それ以外の家族は母によって問答無用で叩き起こされる。大きな雪玉のように布団にくるまって熟睡していると、容赦なく布団から引き剥がされ、強烈な朝日を浴びせられる。

 目がチカチカしながらベッドから起き上がり、のそのそと支度するのが毎朝の光景だ。脳が覚醒するまで時間がかかるタイプで、寝ぼけながら朝ご飯を食べていると言っても過言ではない。現に兄は食べながら寝るという器用なことをやって毎朝、母に雷を落とされている。我が家は母がいないと誰一人、自力では起きられないのだ。

 制服に着替えて姿見で全身チェックしてから時間を確認し、凍りつく。

 時計の針は家を出る予定時間を過ぎており、わたしは尻尾を振る愛犬に見送られながら「いってきます!」と家を飛び出す。駅まで全力で走り、発車時間ギリギリで送迎バスに乗り込む。毎朝の光景なので、運転手さんにもしっかり顔を覚えられてしまった。

 安堵と疲労感に包まれる中、後方の窓際の座席に座り込む。いつもの定位置だ。終着点は学校なので、バスに乗車すれさえすれば、もう心配はいらない。

 学校に着くまで約一時間。早起きはつらいけど、睡眠が至福の喜びのわたしにとって堂々と二度寝できる環境は天国だ。今日も走り疲れで襲ってくる睡魔にあらがうことなく、バスが山道をゆっくり上る心地よい揺れの中で爆睡していた。

 いつもの感覚で、そろそろ学校に着く頃だと体が反応して目が覚めた。


「……んん?」


 窓にもたれかかって寝ていたはずなのに、ひんやりとした窓ガラスとは違う温もりに違和感を覚える。この抜群の安定感。頭を預けるのにちょうどよい肩の高さ。その正体に感づき、驚いて飛び起きる。

 あろうことか、わたしは男子生徒の肩にしっかりもたれる格好で寝ていたらしい。


「ご、ごめんなさい」


 恥ずかしさのあまり、蚊の鳴くような声しか出なかった。それでも一応聞き取ってくれたみたいで、隣に座っていた男子が小さく会釈を返す。同じ高校生なのに、なんて優しい人なんだ。うちの兄なら小言が飛んでくるところだ。

 バスが終点に着き、彼が先に降りていく。わたしもよろよろと起き上がり、後に続いた。

 いつからもたれていたのか記憶にないけれど、意識のない人間はきっと重たかったはず。さぞかし邪魔だっただろうに、起きるまで耐えててくれて非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 うつむいていたから顔まではわからなかったが、同じ過ちを繰り返さないように気を引き締めなければならない。寮生のほうが多いので、バス通学の人間は結構絞られる。わたしは乗車後はすぐに寝るため、残念ながら顔はほとんど覚えていないけれど。


(今度は誰かに迷惑をかけないよう気をつけよう……!)


 決意を胸に正門をくぐる。先ほどの男子生徒の背中はすでに小さくなっており、だいぶ距離が引き離されていた。かと思えば、後ろから寮生がわらわらと集団でやってきて、バス通学の生徒は飲み込まれていった。


 ◇◇◇


「……あれ……?」


 翌日。揺れる車内で二度寝をしていたわたしは、既視感のある光景にさぁっと血の気が引く。あわてて身を起こすと、隣にいた男子生徒が身じろぎする。

 なんとことだ。またしても、人様の肩を借りて夢の世界に旅立ってしまったなんて。二度はすまいと心に誓ったのに。

 うつむきながら、心から謝罪する。


「すみませんでした……」

「大丈夫だよ。顔を上げて、園川そのかわさん」

「へ?」


 きょとんとしていると、目の前にいたのは同じクラスの三牧みまきくんだった。

 温和な性格と中性的な顔立ちがクラスの女子のハートをつかみ、彼女たちが鑑賞用として密かに愛でている男子だ。確か女子たちの中で「爽やか王子」と呼ばれていた気がする。

 教室でも伏せ目がちに本を読む姿は、写真に残しておきたいほど様になっていた。いつ妖精の森に誘われてもおかしくないという意見もおおむね同意だ。

 けれども、個人的には王子様より天使のほうがしっくりくる。わたしが筆記用具を床にぶちまけたときも率先して拾ってくれ、それからも困ったときは何かと手助けしてくれるのだ。前世は天使に違いない。

 三牧くんは長い睫毛を瞬かせ、優しく語りかける。


「睡眠は大事だよね。僕のことは背もたれだと思って、気兼ねなく寄りかかってほしいな。園川さんは羽みたいに軽いから全然気にならないし」

「……で、でも読書の邪魔に……」

「ならないよ。園川さんの安眠のために役に立てるなら本望だから」

「え、え?」


 聞き間違いかと思って目を白黒させると、三牧くんは読んでいた文庫をパタンと閉じ、優しく言い添える。


「僕の肩でよかったら、いくらでも貸すよ。僕は読書に集中する。君は睡眠時間を確保できる。二人とも時間を有効活用できるなんて、いいことしかないよ?」

「……そ、そうかな」

「うん」


 穏やかな笑みとともに肯定されて、しばらく悩む。

 どうやら社交辞令というわけでもなさそうだ。本人が嫌がっていないなら、かたくなに申し出を断るのも角が立つ気がする。


「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」

「いつでもどうぞ」


 すべての罪を許すような落ち着いた声音に、わたしは曖昧に頷いた。


 ◇◇◇


「……園川さん、園川さん」

「ふぇ?」

「学校に着いたよ」


 ゆっくりと窓の外を見ると、学校の近くの交差点に差しかかるところだった。

 あわてて自分の体勢をチェックする。窓にも三牧くんにも寄りかかっていないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。


「……お、おはよう。三牧くん」

「うん。おはよ」


 清々しい笑顔とともに挨拶が返ってきて、わたしは思わず目を細めた。

 至近距離でのイケメンの破壊力を侮っていた。これは心の準備もなしに見るものではない。普通に心臓に悪い。いやでも朝から三牧くんのご尊顔を拝するなんて、幸先がいいとも言えるのではないか。キラキラのエフェクトを背負ったような微笑みはまるで天使。もはや幸せの象徴である。

 さすが爽やか王子と呼ばれるだけはあるな、と感心しながらバスを一緒に降りる。

 のんびりとマイペースにてくてく歩くと、横に三牧くんが並んだ。クラスメイトだから向かう下駄箱の場所も同じである。

 三牧くんは歩幅を合わせ、わたしの顔をのぞきこんだ。


「園川さんって、マシュマロが好きなの?」

「……へ?」

「ごめん。その、寝言が聞こえたから」


 申し訳なさそうに言われ、わたしはあんぐりと口を開けた。

 さっきまで幸せな夢を見ていた気がするけど、内容までは全然覚えていない。というか、同級生に寝言を聞かれていたなんて社会的な死に等しい。今すぐ時間を巻き戻して「絶対に寝ないで。寝たら後悔するよ!」と一時間前の自分を揺さぶりたい。

 一体、何を口走ってしまったんだ。他にも余計なことを口にしていないだろうか。睡魔に屈してしまった過去の自分を呪いつつ、冷や汗をかきながら弁明した。


「え、えっとね。マシュマロはもちろん好きだけど、うちで飼っている犬の名前がマシュマロなの……」

「へえ。そうなんだ。犬種は?」

「ま、マルチーズです」

「……なるほど。さぞ可愛いんだろうね」

「うん! それはもう! 思わず食べちゃいたいくらい!」

「ちなみに命名したのは……?」

「わたし!」


 胸を張って元気よく答える。

 何かがツボに入ったのか、三牧くんが顔を横に逸らして肩を震わせている。その反応は親友の小奈都こなつちゃんと同じもので、わたしは思わず唇を尖らせた。


「マシュマロの魅力は実際に会ってみたらわかるよ。三牧くんだって虜になること間違いなしの愛くるしさなんだから」

「……き、機会があれば、ぜひ」

「むう」


 三牧くんはまだ笑いをこらえている。

 頬を膨らませていると、三牧くんが「ふふっ」と声を上げて笑った。あどけない笑顔につられて、わたしも笑ってしまった。

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