第210話 元重装歩兵のデレク2

「その人は食わせ者だから、気をつけた方が良い」

  メイスンが笑って言う。

(そんなこたぁねぇだろ)

 気を許している相手に対しては、信頼できる上司でいてくれている、とデレクは思っていた。 頭打ちだった重装歩兵隊での将来に見切りをつけた自分の力を最大限に引き出し、活かそうと考え続けてくれているのも何より嬉しい。

「部下の俺等にゃ、力の活かし方を考えてくれる良い上司だよ。ガードナーもリュッグも。あんたやペイドランって小僧も。この人が育てたようなもんだ」

 首を横に振ってデレクは言う。

  失敗だった。

「そんな風に思ってくれていたなんて嬉しい」

  とうとう酔っ払ったシェルダンが泣き始める。

 メイスンが驚いていた。今までは部下に、この姿を見せてこなかったらしい。

(あーあ、ハンター殿なんかの前でも絶対にここまでは呑まねぇのにな)

  カティアの家まで送っていくことが確定した。酔い潰れたなら間違いなく連れてくるよう、約束させられているのだ。甲斐甲斐しく世話を焼きたくて仕方ないらしい。

(まったく、お熱いこって)

  一度、執務室に送ってやったところ、翌日の夕方には苦情を言いにカティアがあらわれたのだ。酔った夫を職場に置いて醜態を晒させるなど、何事だ、と。記憶が確かなら婚姻はまだの筈だ。しかし、指摘できる雰囲気ではなかった。

「まぁ、本題はそれですよ」

 メイスンが苦笑いして告げる。本題、とは穏やかではない。何か目的があって、今日の飲みに参加しに来たのだ。 シェルダンに代わり、デレクは身構える。

「その、人を伸ばす力や見識を、少しは聖騎士セニア様にも向けてほしいのですよ」

 メイスンが何やら碌でもないことを言い出した。

  聖騎士セニア、と出てきたのでデレクは用心する。未来のシェルダンの妻カティアからは要注意人物として知らされているのだ。

(俺は、もっとのんびりした娘がいいかな。まぁ、結婚できるなら、だが。美人かどうかなんて、気にできる身でもねぇしな)

  デレクは、死んだふり発覚後、口うるさく注意事項を、酔い潰れて泣くシェルダンの隣で自分に告げてくるカティアを思い起こした。

  優雅な見た目とは裏腹に、なかなか束縛の厳しい女性だ、とデレクは見ている。逆らって敵に回せば今後のシェルダンとの親交に差し支えるのは分かり切っていた。

「何、嫌だぞ」

  心底嫌そうにシェルダンが告げる。

(いや、カティアさん、隊長はあんた一筋ですぜ)

 デレクは日頃からカティアにデレデレしているシェルダンと今の姿を重ねて思う。

「ルベント滞在中の内にセニア様と会ってあげてほしい。私にはどうしても甘えてしまうのでね」

  嫌がる様子を気にもとめずにメイスンが要請する。

  会ってどうしろというのだ。シェルダンにも聖騎士セニアの取り巻きに加われ、とでも言うのだろうか。 自分のいないところで聖騎士セニアとシェルダンが会うことになる、となればカティアが怒り出すだろう。おそらく自分にも、とばっちりが来る。

「絶対に、もう嫌だ」

  重ねてシェルダンが嫌がる。

 口をへの字に結んでいた。 純情な上司を見るにつけ、デレクは微笑ましくなってしまう。助け舟を出すこととした。

「聖騎士セニアにゃ、親戚だっていう、あんたもいるんだろ?今更、シェルダン隊長を会わせるこたぁねぇや」

  デレクも口を挟んだ。おめおめと、酔い潰れたシェルダンが聖騎士セニアと会う約束を交わしてしまった場合、怒られるのはたぶん自分なのだ。ということもある。

「シェルダン殿ほど聖騎士や魔塔に精通している人間は他にいない。千年にわたる知識の蓄積は計り知れない」

  メイスンが自分の方を向いて告げる。 そんなことを言い出したら、また魔塔へのぼる、のぼらない、の話になってしまう。

「嫌がる隊長に元部下が無理強いするんじゃねぇや。隊長は2度もきっぱり嫌だって言ったぜ」

 デレクはメイスンを睨みつけて言う。

 シェルダン本人は卓に突っ伏していた。

「一度だけでいい。イリス嬢とも決別し、ペイドラン君とも離れてしまった。かなり落ち込んでいる。ここで魔塔攻略に参加しないまでも、シェルダン殿から助言を貰えれば、またセニア様は立ち直れるはずだ」

 しつこく言い募るメイスン。完全に聖騎士セニア側の視点だ。そもそもメイスンの言う通りなら聖騎士セニアというのは随分情けない人間だとも思う。

「だから」

  辟易しつつデレクはシェルダンに代わって突っぱねようとした。

「一度きり、か」

 シェルダンが顔を上げてメイスンを見る。明らかにまだ酔っているのだが。しっかりした口調だった。

「えぇ、一度きり、これで最後です。シェルダン殿もここでしっかり、自分でけじめをつけたほうが、スッキリできますよ」

  メイスンが真面目な顔で言う。相手を騙そう、という雰囲気がまるでない。誠実だからたちが悪い、ということもあるのだが。

「分かった、行く。一度だけなら、何かしらかは話す」

  何を話すか言えず、何かしら、となってしまっているところに、常ならぬ酔いの影響も見えるのだが。 とうとうシェルダンが自ら了解してしまった。

「2度、同じ手が使える相手ではないが」

 メイスンがポツリと呟いた。

「てめぇ、他人の酔いにつけこんで口約束させやがって」

 こんな口約束は無効だ。デレクはメイスンを殴り飛ばしてやろうかと思った。

「素面なら、意地になって断ってた。2人とも、俺を気遣ってくれて嬉しいよ」

  おいおいと泣き出してしまうシェルダン。

「嫌は嫌なんだろうが、騙していたのも事実なんだ。一度だけ会う、というのはシェルダン殿にとっても悪い話じゃないさ」

  メイスンが申し訳無さそうに肩をすくめて言う。 会計だけは約束をさせた罰としてメイスンに支払わせた。

  別れた後、デレクは、酔ったシェルダンに肩を貸して、カティアの住むルンカーク家へと向かう。近づくにつれて足取り重く、憂鬱になる。

「シェルダンッ!困った人ね、また酔っ払っちゃって」

 カティアが嬉しそうにシェルダンを玄関口に座らせて介抱する。

「デレクさん、ありがたいけど、どうしたの?怯えた顔をして」

 訝しげにカティアが尋ねてくる。

「いや、その、言いづらいんだが」

 デレクは恐る恐る事の次第、メイスンと酒を飲み、聖騎士セニアとシェルダン面会の約束について説明する。話が進むに連れてカティアから笑顔が消えるのが恐ろしい。

「そう」

 予想に反して、カティアが激高することはなかった。考えるような顔でシェルダンを見下ろしている。

「シェルダン、あなたのことだから、何か考えがあって?」

  静かにカティアが尋ねる。しゃがみこんで酒の匂いにも構わず視線も合わせて。

「本当に素敵な人と交際できて、俺は果報者だ」

 泣き上戸が涙ながらに、切り出した。

  途端にカティアの顔がほころぶ。 見ていられなくてデレクは横を向くこととする。

「まだ、メイスンが言いに来ているうちに立ち位置をはっきりさせたほうがいいから」

  照れるカティアに、酔ったままのシェルダンが告げる。約束してしまったときと同様、なんとかしっかりした口調だ。

「そう、ね。シオン殿下の口添えがあるとはいえ、一度は、話をしないと、よね」

  辛そうにカティアが言う。

 やはりカティアにとっては嫌なことなのだ。 好き合っている者同士だとして、別な女性を男が気にかけるのは嫌なことなのだろうか。縁のない人生を送るデレクとしては想像するしかないことだった。

「俺が、カティア以外に心奪われることは絶対にない」

 改めてシェルダンが断言する。

「だから」

 何を言おうとしているのか。デレクは聞かないこととして、ルンカーク家を後にする。おそらく歯の浮くような言葉をお互いに言い合っているのだろう。

(本当にヤバくなったら俺も助けますよ)

  敬愛する同い年の上司と婚約者に向けて、デレクは思うのであった。

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