第190話 聖騎士の執事〜メイスン・ブランダード3
セニアとの訓練を早めに切り上げ、メイスンは執事としての仕事に戻った。帳簿の整理から、屋敷の従業員の管理までやるべきことは多岐に渡る。
自室に戻るとルーシャスが待ち構えていた。
「申し訳ない」
メイスンは第一声とともに頭を下げた。
セニアとの訓練に付き合えば、執事の業務は滞る。かなりの部分でルーシャスには助けられていた。
「いえ、侯爵とはいえ聖騎士、武人の方にお仕えするわけですから、理解していますよ。訓練に付き合えるのはメイスン殿だけです。業務の傍ら、大変ですな」
穏和に笑ってルーシャスが労ってくれた。
自然、メイスンも頭が下がる。理解ある言葉が身に沁みた。
「ただ、あなたは執事でもある以上、厳しくすべきは厳しく、私も指導させていただきますよ」
長く仕えていた別の貴族家から第1皇子シオンに引き抜かれた人材だという。今年でもう54歳になり、元々勤めていた家の執事は息子に譲っている。
「ええ、宜しくお願い致します。私も早く一人前の執事とならねば」
重ねてメイスンは頭を下げた。
自分も今年で28歳になる。新しいことを覚えるのは大変になりつつあった。
ルーシャスが持ってきた経理の帳簿を開く。
「メイスン殿、確認しましたが、帳簿のつけ方が違います。あと、ここの計算も間違ってますぞ」
座ったメイスンの肩を、立ったままのルーシャスがペシペシと叩きながら指摘する。
細かいが大事なことだ。万が一にもセニアに非がいくようなこととなってはならない。メイスンも真摯にルーシャスからの指導を受け止める。
(むしろ、剣ばかりの人生だった私に教えるのは大変だろうに。申し訳ない)
計算やら帳簿など貴族学校で少しかじった程度であるが、メイスンは懸命であった。
初日よりは早くも良くはなっている自覚は持てている。指摘される間違いが確実に減っているのだ。同じ失敗も繰り返してはいない。
「今日はこれくらいで」
一通りのことを終えてからルーシャスが退室した。 メイスンは食堂へ向かって遅い夕飯を受け取り、自室へ持ち帰る。既にセニアは夕飯どころか就寝している時間帯だ。 食事にしろ睡眠にしろ、セニアには健康的な生活をしてもらいたい、とメイスンは思っている。
「メイスン様」
元気なノックの音ともにセニア専属の侍女シエラがあらわれた。
「どうした?」
メイスンは微笑みを見せた。
いつも元気に駆け回って仕事をし、ハキハキと話すシエラのことは気に入っている。何よりあの、リュッグの恋人なのだ。 珍しく困ったような、なんとも言えない表情をシエラが浮かべている。
「それが、その、セニア様がおやすみの挨拶をしに行きたいっていうんです。メイスン様に挨拶するまで寝ない、とも言い出してて」
思いもよらぬことにシエラも困り果てていたのが言葉や表情から伝わってくる。 メイスンも同様だ。
「さすがにそれは、シエラ。年下ではあるが、君からもたしなめなさい。年頃の、貴族子女が使用人の男の部屋をこのような時間に訪れようなどと、あまりに端ないことだ」
シエラに怒っても仕方のないことだから、優しくメイスンは諭す。
「そんな者がこの屋敷に勤めているとは思えないが、外に漏れれば醜聞にもなりかねん」
重ねてメイスンはシエラを諭す。
セニアに気に入られて専属となった以上、13歳のシエラにもどうしても責任というものがついて回ってしまう。話自体はしないわけにはいかないのであった。
「私も、そう思ったから、セニア様に駄目ですよって。きっとご迷惑ですよって。行こうとしたのを止めたんです」
シエラも頷いて言う。13歳にして、そこまで気を回せたなら大したものだ。内心でメイスンは称賛する。
「そしたら、セニア様が、じゃあせめて、行っても良いかおじ様に聞いてきて、って。私、何がせめてかよく分からないけど、そうでもしないと諦めてくれそうになくって、困っちゃったんです」
シエラにとっては、ただただ迷惑な依頼だったのだろう。 むしろ、よくぞ止めてくれた、とメイスンは重ねて思った。
「分かった。大変だったな。対応は間違っていない。私も駄目だ、と言っていたとハッキリ伝えなさい」
あくまでシエラは悪くない。出来るだけ柔らかい口調でメイスンは告げた。
頷いてシエラが駆けていく。こういうときにも駆け足で活発に動けるのがシエラの良いところだ。
健気な侍女を見送ってメイスンはため息をつく。
翌日も昼食後に剣術の稽古をねだるセニアに神聖術の訓練を施す。
セニアの木剣から閃光が迸る。
近くの木々を掠めた。
「おじ様、葉っぱが落とせました!」
嬉しそうにセニアが言う。 確かに風のない晴天の日だ。光集束が当たったことで落ちたことにメイスンも否やはない。 しかし、それを嬉々として告げるのはどうかと思う。
とても褒めてもらいたそうなセニアを見て、どうすべきなのかメイスンは悩む。シェルダンの言う通り厳しくすべきなのだろうか。
(違う。教えるのは根気、根気が必要なのだ)
メイスンは首を横に振って自分に言い聞かせ、ただセニアに微笑みかけた。言葉だけは上手く出てこない。
「セニア様っ」
なんとか無理にでも褒め言葉を出そうか思案していたところ、助け舟のようにシエラが叫んで駆けてくる。
「どうしたの?」
セニアがシエラの方を向いて問う。
「て、手紙がっ」
シエラが手にしているのは、可愛らしい薄い桃色の封書だ。 本来、郵送品をメイスンが検めずにセニアの元へ届くなど、あってはならないことだ。シエラとはいえ嗜めるべきだが、メイスンは思いとどまる。
シエラの様子が尋常ではない。息を切らして目の隅には涙すら浮かべている。
「しょ、招待状ですっ!」
シエラがセニアに封筒を手渡した。息も切らしている。相当慌てているようだ。
「私に?何の?誰からかしら?」
セニアが首を傾げる。
下らない貴族子女からのお茶会などの誘いは全てメイスンの段階で却下していた。情けない話ながらドレシア帝国にも、セニアを個人的に利用しようという向きが全くないでもない。
(お茶会などの誘いは、セニア様の志を理解しない連中に限って贈ってくるのだからな)
本当にセニアのことを理解して、応援している人間は違う。第2皇子クリフォードのように、神聖術や魔塔攻略のことで協力しようとしてくれる。
「珍しいわね。誰も剣術馬鹿の私なんか招待しないと思ってたけど」
訝しげな顔をして招待状を見ていたセニアの表情が突然固まった。
そして両手で顔を押さえて涙を流す。持っていた、せっかくの招待状が地面に落ちた。
「そんなっ、嘘っ、そんなっ」
地面に突っ伏すようにして泣きながらセニアが膝を折る。
何かと思いながらメイスンは招待状を拾い上げた。
届出人を見て納得する。
ペイドラン・ヒュムとイリス・レイノルの連名だ。
2人からの、セニア宛の結婚式の招待状だった。
なお、どういうわけだかもう1通、メイスン宛のものもある。
「間違いない。この可愛い、丸っこい癖字はイリスだわ」
セニアが嗚咽を漏らしながら告げる。ただ顔は喜色に溢れていて、嬉し涙だと分かった。
(あぁ、考えることが多すぎてイリス嬢の生存をお伝えしていなかったな)
メイスンは申し訳無さを覚えるのであった。
自分も再会出来たことで思いの外、浮かれていたのかもしれない、と反省する。
「グスっ、お兄ちゃん、イリスさん、生きてるのにすぐ教えてくれないんだもんっ、バカァ」
シエラが貰い泣きしながら兄を罵倒する。
メイスンはセニアと視線を合わせて苦笑するのであった。
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