第187話 敗報を受けて2

 異相のマクイーン公爵がエヴァンズの執務室に入ってきた。黒光りする背広の上着に、同色のズボンを身に着けている。普通の服装のはずがどこか毒々しい。

「ひどいことになりましたな」

  断りもなくエヴァンズの向かいにある椅子に座るマクイーン公爵。小柄な体が椅子に沈み込むように埋もれる。 いつ見ても薄気味悪い風貌だ。横に広い唇の線がどこか魔物を思わせる。目もギョロリと大きく、見据えられると寒気をエヴァンズも覚えた。絶えず指を動かす癖があり、やはり多頭の魔物を連想させる。

「誰の軍が足を引っ張ったのか、分からないとは言わせませんよ」

 同じくエヴァンズも挨拶も抜きにして告げる。

 本来ならば、未だ王位に就いていない自分がぞんざいに扱える相手ではなかった。筆頭公爵であり、軽視できない実力を常に有している。 だから咎めるのに際しても丁寧な口調を崩すことは出来ない。 エヴァンズは心の内で、罵倒したいのを耐えていた。

「さてと、とりあえず、おめおめと恥を晒した無能共は私が命じて首を晒させておりますよ」

  さらりと口にするマクイーン公爵。面白がるような眼差しが気持ち悪い。内容と事も無げな態度がどうしても一致しないのだ。

  ハイネルが息を呑むのが分かった。 自分も絶句して平静の顔ではないだろう、とエヴァンズは思う。

「何ですとっ、何を勝手に」

  エヴァンズは色をなす。

 裁判も何もなしに首を討ったというのか。 ギョロリとマクイーン公爵の目が自分に向けられた。

「誰の軍かと問われましたな。私の軍ですから。統括する私の名と責任の下に処断いたしました」

 確かにアスロック王国軍の軍法に照らせば違法な行いではない。ただ、歴代の筆頭公爵にそこまで非情に、且つ責任を取ろうとする者が滅多にいなかっただけだ。

  エヴァンズもグッと言葉を呑み込む。

「まぁ、主だった奴らは逃げましたが。逃げる頭も無いような輩はなお、使い道もないでしょう」

  クックッとマクイーン公爵が笑みをこぼした。つくづく絶えず動き続ける十本の指が気持ち悪い。

 あくまで王族であるエヴァンズへの丁重な態度も崩さないのだった。心の底から敬われていると感じたことも一切ないのだが。

「分かりました。マクイーン公爵が仰るなら否やはない」

  釈然としない思いを抱きつつも、エヴァンズはそう答えるしかなかった。ハイネルもグッと投げつけたい言葉を抑え込んでいるようだ。

「して、殿下。ワイルダー殿のことは、どうなさるおつもりで?」

  マクイーン公爵が話題を変えた。巧みに会話の主導権を握られてしまっている。

「何?」

 だが、幼い頃からの学友でもある、腹心の名前を出されるとエヴァンズはどうしても平静ではいられない。

  現在、ワイルダーは自らの率いる魔術師軍団とともに、王都アズルの郊外に駐留している。いざというときの守りのつもりらしい。 一方で敗戦の責任をとって、首を差し出すので国のためにも軍団の面々の責任は問わないで欲しい、とも言ってきている。

「はっきり言って今回の敗戦は、私の正規軍の不甲斐なさに因るものですが」

  マクイーン公爵の厄介なところは、いざ相対すると当人は至って真っ当であるということだ。容貌は醜悪なのだが。本人だけ見ているとなぜ正規軍や周囲の貴族たちが腐敗しているのか分からなくなるほど。

「ただ名目上の大将はワイルダー殿でしたな」

 マクイーン公爵が黒光りする瞳を自分に据えたまま続ける。 いよいよ本性をさらけ出そうというのか。エヴァンズは身構えた。

「あぁ、そのとおりですが」

 慎重にエヴァンズは話を進めた。 ワイルダーの責任を問うて追いやり、精強な魔術師軍団の実権をも手にする。マクイーン公爵の目論んでいるであろうことをエヴァンズは想像した。 あまりに意図が見え透いている、そうはさせん、とも思う。

「処罰するのはあまりに可哀想ではありませんか?」

  微笑んでマクイーン公爵が言う。微笑んでも幅広な口のせいで獲物を見つけた肉食獣のように見えるのだが。

 同じ顔で『処刑する』と言われても違和感がない。

「は?」

  予想もしていなかったマクイーン公爵からの言葉に、エヴァンズは間の抜けた声を上げる。

  同じく睨みつけていたハイネルも予想外だったようで、驚いた顔をしていた。

「私からもワイルダー殿には情けをかけてさしあげてはいかがですかと。そう申しましたが?」

 重ねてマクイーン公爵が述べる。

  当然、エヴァンズもワイルダーを罰したくはない。そもそも選択肢として考えてもいなかった。 ただ、マクイーン公爵の言い草では、まるでやむを得ずエヴァンズがワイルダーを罰するしかない、と思っていたように感じられてしまう。

「そ、そうか。公爵からもそのように言ってもらえると助かります」

  処断せよ、と強弁されるより余っ程良い、と思いエヴァンズは言った。 だがマクイーン公爵を呼び出したのはエヴァンズの方であり、本来したい話は別なのだ。

(ワイルダーをダシに話をさせぬつもりだとしても、今日はそうはいかない)

  国の命運を左右するような話をしなくてはならないのだ。

「ワイルダーへの口添えはありがたいが、マクイーン公爵。そもそもの正規軍の体たらく、公爵に正規軍を任せてはおけません」

  硬い声でエヴァンズは告げる。

 ハイネルが感嘆とした眼差しを向けてきた。やはり間違ってはいないのだ。同志からの応援にエヴァンズは力を得た。

「そうですな。確かにこの非常時。慣例とはいえ、生粋の軍人でもなく出陣に帯同することも出来ぬ私には、軍の統括は荷が重い」

  笑ってマクイーン公爵がすんなりと認めた。

 意外な無抵抗にエヴァンズもハイネルと顔を見合わせる。

「ハイネル騎士団長。あなたが正規軍を締め直してはいかがかな?」

  マクイーン公爵のギョロ目がハイネルに向けられる。

「はい?なんですと」

  当のハイネルも予想だにしない話の流れに不意を討たれたようになる。

「この非常時ですからな。私の監督が行き届かない以上、軍の統帥権をあなたに委ねたいのです」

 不気味な微笑みを浮かべたまま、マクイーン公爵が告げる。 願ってもない申し出だ。なにか裏があるのではないか。

「殿下」

 喜色もあらわにハイネルが言う。

「ありがたい。こちらからも頼もうと思っていたことを。まさか公爵から仰っていただけるとは」

 用心をしながらもエヴァンズは申し出を受け入れる。 何か企んでいるのか。貴族が既得権を手放すなど、そうそうあることでもない。

「なに、口だけで済ませられる用事ですし、現に軍を腐らせてしまった。本格的に責任を問われる前に手放しておきたいだけですよ」

 鷹揚に笑ってマクイーン公爵が立ち上がる。

  確かに本来ならば咎めるべきことだが、本職でもなく慣例で受けていただけ、既に握っている権力に財力。エヴァンズの方から手を出せる相手ではなかった。

(確かにこれ以上の失態を重ねるよりは手放したほうが、マクイーン公爵にとっては安全なのか)

  マクイーン公爵の思惑はどうあれ、エヴァンズらにとっても、正規軍の統帥権を握ることは良い話だ。

「では、お暇します」

  背中を向けてマクイーン公爵が執務室を出ようとする。

「その方がもっと混沌としますからな」

 呟く声がどこからか聞こえたような気がした。

「殿下、これは。体勢を整えれば我が国はまだ戦えますぞ」

 しかし、すぐに高揚するハイネルの言葉で、エヴァンズの頭からは消えてしまうのであった。

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