第163話 イリスからの提案2

「シェルダンって人が来たのは、私に裏工作するためだって。ペッドがシオン殿下の従者をやるように、上手く言いくるめろって」

  見下げ果てたシェルダンの言葉をイリスが暴露した。

(どいつもこいつも、イリスちゃんを何だと思ってるんだよ)

  今にも立ち上がって、シェルダンに飛刀を叩き込みたい衝動にペイドランは襲われる。かつてのクリフォードと同じではないか。

「あの人、そんなこと。俺には、俺たちのこと心配してるからぐらいの感じだったんだ」

  激高するペイドランに対して、言われた本人のイリスの方が冷静だ。優しい笑みを浮かべている。怒ってくれてありがとう、の笑顔だ。

「イリスちゃんは、そんなこと言われて腹立たなかったの?」

 思わずペイドランは尋ねてしまう。咎めるような口調にはならない。ただ疑問だった。

「ううん。がっかりはさせられたけどね、それだけよ」

 イリスが首を横に振った。笑顔が寂しげなものへと変わる。

「あんなこと言うような人に、ちょっと助けられたぐらいで憧れちゃってさ。損した気分にはなったわよ」

 出会った当初、『鎖の人』などと言ってシェルダンに憧れるようなことを確かにイリスが言っていた。ただ助けられたという事実だけがあって、人柄などは当時、知らなかったのである。

「でも、だからまたあの人に再会する前にペッドと出会えて良かった。私、あのままだったら、憧れたままだったら、どんな利用のされ方してたか、ちょっと知れたもんじゃないわ」

 自分と出会う前のイリスがシェルダンに良いように利用されて、ボロ雑巾のようになる姿を、ペイドランは漠然と想像した。

「そんなこと、させるもんか」

  ペイドランは固く決意して告げた。想像しただけでムカムカとしてしまう。

「うん、ありがとう。でもね、私のしたい本題はそこじゃないのよ」

 イリスが話を先に進める。紅茶を口にした。

「シェルダンさんもクリフォード殿下も、シオン殿下もゴドヴァン様たちも。悪気があるにせよないにせよ。自分の都合でペイドランを利用しようとする人ばかり。私ね、そこがまずもう、嫌なの」

  憤りを滲ませてイリスが言い、言葉を切った。

「あんな人たちのために、可愛いペッドが泣いたり怒ったりさせられるの見るの、本当に嫌なの」

 真摯な思いがイリスの言葉には溢れている。 ペイドランはすっかり胸いっぱいになった。

「俺、イリスちゃんさえ居てくれればいい。今回だってイリスちゃんまで危なかったから、俺は怒ったんだよ」

 自分のことだけならまだいいのだ。イリスが自分を気にかけてくれることはこそばゆいが。

「俺、シオン殿下の従者になんかならない」

  ペイドランは決断した。権力者に関わってまた危ない目にイリスを遭わせるのは御免だ。

「私、考えたんだけどさ、ペッド」

 イリスが静かな口調で言う。まるで落ち着かせようとしているかのようだ。

「シオン殿下の従者、お仕事自体が嫌じゃないなら、それは受けたら?」

 さらりとイリスが告げる。

「え?」

 意外な言葉に、ペイドランは驚く。

 話の流れからしてシェルダンの思惑阻止のため、断われということだと思っていたからだ。

「だって、これから二人で生きていくならお仕事しなくちゃ。私も当然、頑張るけど」

 イリスはきちんと冷静に2人の将来を考えているのだ。 ペイドランは自分の短慮を恥ずかしく思う。

「うん、従者なんてやったことないし、そこは不安だけど。嫌でもないよ。ただ、なんか全部シェルダン隊長の思い通りみたいで、それは嫌だね」

  結局は思ったとおりに動かされて、苦労をさせられるのだろうか。 ペイドランは苦いものを噛み締める。

「全部、思い通りになってやることはないんじゃない?」

 イリスがいたずらっぽく笑って言う。いかにも悪巧みをしているの、という顔が可愛らしい。

「え、どういうこと?」

  話が始まってからずっと驚かされてばかりだ。  

 イリスがいなかったら自分はどうなってしまうのだろう、とペイドランは思った。

「私、死んだふりなんて嫌よ。だって、関係ないじゃない。ペッドがシオン殿下にお仕えするのに」

 イリスの言うとおりだが、懸念事項もある。

「でも、そしたらセニア様たち、また魔塔へ上ろうって言いにくるよ。特にセニア様はまた悪気なく泣き落とししてくるかも」

 ペイドランはゲルングルン地方の魔塔攻略前の経緯を思い出して指摘する。

「はっきり断ろ」

 きっぱりとイリスが言う。

「だって、私、嫌よ。せっかくペッドと結婚しても、誰からもお祝いしてもらえないなんて。死んだふりしたら、そのために手放す嬉しいこともあるのよ」

 本当にしっかりと自分との将来を考えてくれるイリス。 当初は可憐な見た目に一目惚れしたことから始まっている恋だ。

 ペイドランはついにイリスの人柄にも完全に惚れ込んだことを自覚した。

「うん」

  ペイドランは頷くのがやっとだった。

「セニアにもゴドヴァン様にもルフィナ様にも。あと、クリフォード殿下にも、ちゃんと分かってもらえるようにお話しましょ」

 イリスが身を乗り出してペイドランの手を握る。言うほど簡単なことではないかもしれない。大変なことをやりきる力を注ぎ合っているかのようだ。

「うん、そうだね」

  ペイドランは頷く。つまり、イリスが言っているのは自分との結婚式のことだ。

「そもそも失礼だわ。ちゃんと話もしないで、押し付けられるって決めつけるの」

  本当にそのとおりであり、イリスがペイドランもシェルダンに感じていた歪さを見事に言葉にしてくれた。

「あの人さ、腕良いのに、よく分からない理由で平の下級兵士しているから、ひがんでるのよ。だからペッドも道連れにしようとしてるんだわ」

  イリスが断言した。 そこまで器量の狭い人にはペイドランには感じられなかったのだが。庇い立てする義理もペイドランにはない。

「私、あんな人の思い通りになんかさせたくない」

  イリスが宣言した。

「だから、もう一個、考えてることあるの」

  さらにイリスが言う。

「イリスちゃん、それ以上、出来る子されると、俺、完全にべた惚れになっちゃう」

 ペイドランはいっぱいいっぱいになって、告げた。これ以上、自分を魅了してどうするつもりなのだろうか。

「いつも、そんなようなことばかり言ってるくせに」

 イリスが苦笑する。

「ごめんね。考えって何?」

 ペイドランもぐっと真面目な顔を作って尋ねる。

「あの人さ、泣き所、あるじゃない」

 イリスが切り出した。

(泣き所ってなんだろう)

 ペイドランは首を傾げる。

「あの人、カティアさんにべた惚れなんでしょ?」

  カティア・ルンカーク。セニアの元侍女だ。同じ主人に仕えていたのだから、イリスも面識があっておかしくはない。

「カティアさん、キレイだけど、変わってたからね。変な人同士で気が合ったのよ、きっと」

 心底おかしそうにイリスが言う。 その辺のところはペイドランには分からない。

「イリスちゃんのほうが断然可愛いから、俺にはよくわかんない」 

  口をへの字にして、ペイドランは言う。

「もう、なんでご機嫌斜めになるのよ。難しい旦那さんだわ」

  イリスに皮肉られてしまった。

「とにかくね、私が言いたいのはさ」

 イリスが手を離してから立ち上がり、ペイドランの頭をよしよししてくれる。

「シェルダンて人を懲らしめるためにカティアさんを狙いましょってことよ」

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