第18話 「変わってしまった"茨姫"」

 ——風間悠斗さえいなければ。


 光華の心に、その思いが強く根付いていた。

 悠斗が現れるまで、透華は完璧だった。

 誰にも媚びず、揺るがず、まるで孤高の姫君のように学園の象徴として存在していた。

 しかし、悠斗が透華のそばにいるようになってから——透華は変わり始めた。


 悠斗の影響で、透華は「人間」になりつつある。

 それが、光華にはどうしても許せなかった。


 だから、決めた。

 透華を「茨姫」に戻すために——風間悠斗を透華から遠ざける、と。



 


 ******



 


 放課後、光華は悠斗を学校の近くの公園へと呼び出した。

 悠斗が帰ろうとすると校門の前に人だかりができているのが見えた。

 透華がわざわざやって来たのか、とも思ったがそこに居たのは三条光華であった。


「……なんだよ、こんなところに呼び出して」


 悠斗は不機嫌そうに光華を見つめる。

 特に用がなければ関わるつもりのなかった相手に、わざわざ呼び出されたのだから当然だろう。


 しかし、光華はそんな悠斗の態度にも動じず、静かに言った。


「風間くん、あなたに話があるの」


「……話?」


「ええ。透華のことよ」


 その名前を出した瞬間、悠斗の表情が変わった。


「……透華がどうかしたのか?」


「あなたのせいで、透華は変わってしまったわ」


「……は?」


 悠斗の眉がわずかに動く。


「透華が変わった?」


「あら、気づいてないの?」


 光華はどこか意外そうな表情を見せたが、すぐに微笑みを浮かべた。


「この前、彼女が告白を受けたことは知ってる?」


「……いや、初耳だな」


 悠斗の胸にざわついたものが広がる。透華が告白された? しかも、それが話題になっている?


 光華は、そんな悠斗の反応を確認するように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「透華はね、今まで告白されても『興味ないわ』の一言で終わらせていたの」


「らしいな」


 そもそも"茨姫"という呼び名自体、彼女が告白をされたとしてもそれを無惨に切り捨てることから生まれたものだったはず。

 彼女の不器用さから来るものだと悠斗は踏んでいるが、それが彼女の"茨姫"たらしめる所以だった。

 


「……でもこの前は違ったのよ」


「……どういうことだ?」


「彼女、ちゃんと『ごめんなさい』って言って、相手の気持ちに向き合ったの」


「……」


 悠斗は言葉を失った。


 透華が、そんなことを……?

 それはとても嬉しいことだ。透華が不器用ながらも他人の気持ちに頑張って向き合おうとしている。

 とても喜ぶべきことのはずだ。……それなのに。


「当然、学園中が驚いたわ」


 光華はカップを静かに置いた。


「彼女は御影学園にとって特別な存在。誰にも媚びず、完璧で、まるで高嶺の花のようにそこにいるべきなのに……最近の透華は、その『完璧さ』を崩し始めているわ」


「……なんで、それが問題なんだよ」


 悠斗は思わず言い返した。言っている意味がまるで分からない。


「透華が誰かに『ごめんなさい』って言うのは、別に普通のことじゃねぇのか? 何が悪いんだよ」


「普通……ね」


 光華は、ふっと笑った。


「透華は御影学園の『茨姫』。誰にも媚びず、完璧で、孤高の存在。それが、彼女のあるべき姿よ」


「……それが、なんだってんだ?」


「けれど、あなたのせいで透華は変わり始めた。人と関わるようになり、周囲に対して柔らかくなり……そして、迷うようになった」


 光華は悠斗をじっと見つめる。


「だから、あなたには透華のそばから離れてもらうわ」


 悠斗は一瞬呆気に取られたように光華を見た。

 そして、すぐに眉をひそめる。


「……冗談だろ?」


「いいえ、本気よ」


 光華の目には、一切の迷いがなかった。


「透華は、学園にとって特別な存在。誰よりも美しく、誰にも染まらず、完璧であるべきなの。それが、彼女がここで生きていく“意味”だから」


「意味……? 透華がどう生きるかは、お前が決めることじゃねえだろ」


「違うわ」


 光華は即座に否定する。


「透華が“茨姫”であることで、どれだけの人が救われてきたか、あなたは知らないでしょう?」


「……救われる?」


「透華はただ孤高に振る舞っていたわけじゃない。誰もが彼女を尊敬し、憧れ、彼女の存在そのものが学園の象徴だった。透華自身も、それを誇りにしていたはずよ」


「だから何だってんだ」


「少なくとも私は救われた。そのイメージを崩すことが、透華のためにそして周りのためになるとは限らないわ」


 光華の言葉には、一切の迷いがなかった。


「透華自身が変わろうとしているなら、それを止める理由なんてねえはずだ」


「……それは、あなたがそう思いたいだけよ」


 光華は悠斗を冷たく見つめる。


「本当に、透華は“変わりたい”と思っているのかしら?」


「……」


 悠斗は言葉に詰まる。


「あなたは、透華にとって迷惑な存在なのよ。あなたがいるせいで、透華は自分を見失っている」


 光華の言葉は、まるで突き刺すように悠斗を射抜いた。


 悠斗は、拳を握る。


「……ふざけんなよ」


 低く呟いたその声には、怒りが滲んでいた。


「透華がどう生きるか、どうしたいか、それは透華が決めることだ。お前が勝手に“透華はこうあるべき”だなんて決めつけるなよ」


「でも、あなたは透華が変わることを望んでいるんでしょう?」


「……!」


「透華が“茨姫”であることをやめて、人間らしくなることを、あなたは望んでいるんでしょう?」


「それが何だってんだよ」


「だったら、それはあなたが透華を“変えようとしている”のと同じよ」


 光華は悠斗を見据える。


「私は、透華を元に戻したい。あなたは、透華を変えたい。……どちらも、透華に対して“こうあるべき”だと押し付けていることに変わりないわ」


「……」


「ねえ、悠斗くん。あなたは、透華のことをどれだけ知っているの?」


 光華の問いに、悠斗は沈黙する。


「透華がどう生きてきたか、どんな思いでここにいるのか……あなたは、それを本当に理解しているの?」


「……それは……」


 悠斗は、言葉に詰まった。


「知らないでしょう?」


 光華の瞳が、悠斗を鋭く見つめる。


「だったら、あなたが透華に影響を与えることは、あまりにも無責任だと思わない?」


「……」


「私は、透華を守りたいの」


 光華の声は、静かで、それでいて揺るぎなかった。


「だから、あなたに透華のそばから離れてもらうわ」


 悠斗は、拳を握りしめる。


 光華の問いに、悠斗は沈黙する。


(……俺は、本当に透華のことを知っているのか?)


 確かに、透華の過去を詳しく知っているわけではない。

「茨姫」としての彼女が、どんな思いでそう在り続けたのか——それを考えたことがなかったのは事実だ。


(だけど、それは……知ろうとしなかっただけじゃないのか?)


 光華の言葉は、確かに核心を突いている。

 だが、それでも——。


「……俺は、透華のそばを離れるつもりはねえよ」


 悠斗は光華を真っ直ぐに見つめる。


「透華がどうしたいのか、それを決めるのは透華自身だ。俺が知らなかったことがあるなら、それをこれから知っていく。それだけの話だ」


 光華は、悠斗の言葉を聞いて、しばらく黙っていた。

 そして、ふっと微笑む。


「……なら、賭けをしましょう」


「……賭け?」


「もし透華が本当に“変わる”と言えるなら、あなたの勝ち。でも、もし彼女が何も変わらないなら……あなたは透華から身を引いてもらうわ」


「……」


 悠斗は光華の瞳を見つめる。

 そこには、強い意志があった。


 そして、悠斗は——。


「……いいぜ。その賭け、乗ってやるよ」

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