第9話「……落ち着かない……。」
夜の館は、いつにも増して静かだった。
けれど、私の心臓の音だけがやけに響く。
(……もう無理……!!)
私は そっと自室を抜け出し、館の奥にある両親の寝室へと足を運んだ。
今は誰も使っていない、大きなベッドのある部屋。
そこなら、少しは落ち着ける気がした。
――ギィ……。
重たい扉を開けて、私は中に足を踏み入れた。
静寂に包まれた部屋。
かつて両親が暮らしていたこの空間は、今でもあの頃のままだった。
(ここなら、誰にも見つからない……。)
私は ため息をつきながら、大きなベッドの上に座った。
(……はぁ。)
一日にして、あまりにも色々なことがありすぎた。
ギルバートのこと、レヴィやラグナのこと、そして……
「……ミラージュのことも。」
思い出すだけで、顔が熱くなる。
(私……どうしてこんなことになっちゃったんだろ……?)
全員を選ぶなんて、本当にそれでいいの?
私は 大きなベッドに横になり、天井を見上げた。
――その時だった。
「……お嬢様?」
ガチャ。
「っ!!?」
扉が開き、そこに立っていたのは――。
「っ!!?」
私は ベッドの上で跳ね起きた。
そこに立っていたのは――ミラージュだった。
銀色の瞳が 月光を反射して、妖しく輝いている。
「……どうして、ここに?」
私は 警戒しながら尋ねた。
ミラージュは 微笑みながら、ゆっくりと扉を閉める。
「君こそ、どうして?」
「……。」
(それは……。)
落ち着くため? それとも、逃げるため?
自分でもわからなかった。
ミラージュは そんな私の心を見透かしたように、くすりと笑う。
「ふふ……もしかして、お嬢様……逃げてきたんじゃないかい?」
「……!!」
図星だった。
「そんなに焦らなくてもいいのに。」
ミラージュは ゆっくりと近づいてくる。
「……ほら、ベッドの上で小さくなっている姿、まるで迷子の子猫みたいだよ?」
「……っ!」
(また、からかう……!!)
私は 慌てて身を起こし、ミラージュと距離を取ろうとする。
――だけど、それよりも早く。
「ふふ……。」
ミラージュは 私の手を取り、引き寄せた。
そして――。
「ねぇ、お嬢様?」
耳元で、そっと囁く。
「……君は、本当に “全員” でいいの?」
「……!!」
(そ、それは――!!)
私は 一瞬、言葉に詰まった。
ミラージュの銀の瞳が、 ゆっくりと私を見つめる。
「それとも……」
「私だけがいい?」
「~~~~~っっっ!!!///」
私の思考が、一気に真っ白になった。
私は 顔を真っ赤にしながら、思わずミラージュを押しのけようとした。
だけど――
ミラージュは微笑んだまま、私の手をそっと握り、動きを封じる。
「……そんなに怖がらなくてもいいのに?」
「こ、怖がってなんか……!」
「ふふ……嘘はよくないよ、お嬢様。」
ミラージュの 銀色の瞳が、夜の闇に溶けるようにゆらめく。
「君のことを “試してる” だけさ。」
「……試す?」
「そう。」
ミラージュは まるで幼い子供に言い聞かせるように、私の頬に触れた。
「お嬢様は “全員” を選ぶって言ったよね?」
「そ、それが何?」
「ならば、私は “本当にそれでいいのか” を、確認しているだけだよ。」
「……!!」
(また、こいつは……!!)
「ねぇ、お嬢様。」
ミラージュは ふっと表情を緩め、私の髪を優しく撫でる。
「君は “愛” を知ったと思っているかもしれないけれど……」
「本当に、そうかな?」
「……!!」
私は 息を呑んだ。
「“誰かを愛する” というのはね、そんなに簡単なことじゃないんだよ。」
「それを理解せずに “全員” なんて選んで……本当に幸せになれるの?」
「……!!」
私は ギュッと唇を噛んだ。
(そんなの……わからない。)
(でも、私は……!)
――だけど、ミラージュの言葉は止まらなかった。
「“本当の愛” を知りたくないかい?」
「……っ!?」
ミラージュは 私の顎をそっと持ち上げ、銀の瞳でまっすぐに見つめる。
「もし、“本当の愛” を知りたいなら……」
「私が君に “教えてあげる” よ?」
「~~~~~っっっ!!!!///」
私は 心臓が爆発しそうになった。
ドサッ――。
「!?!?」
気づいたときには、私はベッドに押し倒されていた。
ミラージュの 細くしなやかな指が、私の頬を優しく撫でる。
「……ふふ、可愛いね。」
「な、なにするのよっ!!」
私は 必死で身を起こそうとする。
だけど――
「……怖がらなくてもいいよ?」
ミラージュの 手が私の肩を押さえ、逃がさないように固定する。
「っ……!」
(動けない……!?)
銀色の瞳が、 まるで獲物を見つめるように光る。
「ねぇ、お嬢様。」
ミラージュは ゆっくりと顔を近づけてくる。
「“愛” を知りたくはないかい?」
「っ……!!」
(ま、またそれ……!!)
「“愛” ってね……もっと深くて、もっと狂おしいものなんだよ?」
「な、なにを……」
「ふふ、簡単なことさ。」
ミラージュの指が 私の唇をなぞる。
「“誰の愛” が本物か、君自身に “確かめてもらおう” と思ってね。」
「……!!?」
(ま、まって!!)
私は 思わず目をぎゅっと瞑った。
ミラージュの 吐息が、すぐ目の前に感じられる。
(だ、誰か……!!)
――その時だった。
「……そこまでにしておけ、ミラージュ。」
「っ!!?」
部屋の扉が勢いよく開いた。
「っ!!?」
バンッ!!!
扉が勢いよく開かれた。
「……おやおや。」
ミラージュが ゆっくりと私の上から身を引く。
そこに立っていたのは――
ラグナさんだった。
「はぁ……まったく。」
彼は 面倒くさそうに頭をかきながら、こちらに歩み寄ってくる。
「お嬢様を押し倒して何してんだ、アンタ?」
「ふふ、見ての通りさ。」
ミラージュは 何事もなかったかのように微笑む。
「ちょっと “愛の話” をしていたところだよ?」
「……ほう?」
ラグナさんは 呆れたように目を細めた。
「そいつはまた “歪んだ愛” の話じゃねぇだろうな?」
「ふふ、どうだろうね?」
ミラージュは くすりと笑いながら立ち上がる。
(……ラグナさん……!!)
私は 思わず胸を押さえながら、安堵の息をついた。
「……ったく。」
ラグナさんは 私の腕を引いて、ベッドから降ろしてくれる。
「大丈夫か?」
「……う、うん……。」
私は 小さく頷いた。
「ラグナさん……どうしてここに?」
「ん? そりゃあ、俺の可愛い弟が “お嬢様が消えた!” って騒いでたからな。」
「レヴィが?」
「おう、そんで館中探してたら、ちょうどここの前で “妙な気配” を感じてな……。」
ラグナさんは ミラージュをじっと睨みつける。
「お前の気配はすぐ分かるんだよ。“まともじゃねぇ” からな。」
「ふふ、光栄だね。」
ミラージュは 肩をすくめた。
「まったく……。」
ラグナさんは ため息をつくと、私の肩をぽんっと叩いた。
「ほら、お嬢様。こんなところに隠れてねぇで、部屋に戻ろうぜ。」
「……うん……。」
私は 頷きかけたけれど――
「……。」
ふと、ミラージュが こちらを静かに見つめているのに気がついた。
――まるで、何かを試すように。
「……。」
(ミラージュ……。)
本当にただの “からかい” だったの?
それとも――?
「さぁ、お嬢様?」
ミラージュは 意味深に微笑む。
「“誰” を選ぶのかな?」
「……っ!!」
(こ、こいつ……!!)
私は 再び顔を真っ赤にしながら、ラグナさんの腕をぎゅっと掴んだ。
「ラグナさん! 部屋に戻りましょう!!」
「あ、ああ。」
(ミラージュの “思うツボ” にはならないんだから!!)
――そう思いながら、私はラグナさんとともに部屋を後にした。
◆――ミラージュ視点
私は 消えゆくお嬢様の背中を見送りながら、楽しげに微笑んだ。
「ふふ……やっぱり、ラグナを選ぶんだね?」
「チッ……うるせぇ。」
ラグナは 苛立たしげに私を睨みつける。
「別に、お嬢様がどんな奴を選ぼうが、俺には関係ねぇ。」
「本当に?」
「……。」
「そんなに睨まなくてもいいじゃないか?」
私は くすりと笑いながら、ラグナの前まで歩み寄る。
「ねぇ、ラグナ?」
「……なんだよ。」
「君は “選ばれる” つもりでいるのかい?」
「……っ!」
一瞬、ラグナの眉が ぴくりと動いた。
「“選ばれる” じゃなくて、“選ばせる” のが君のやり方だろう?」
「……。」
私は ふっと笑みを深める。
「でもね……それじゃあ、君は “誰かの手のひらの上” でしか生きられないよ?」
「……言ってろ。」
ラグナは 私に背を向ける。
「お嬢様が選ぶのはお嬢様の自由だ。俺は、その結果を受け入れるだけだ。」
「……ふふ、なるほどね。」
私は 口元に手を添えて笑う。
「君は “待つ” ことを選んだんだ。」
「……。」
「まぁ、それも悪くはないさ。」
私は 軽く肩をすくめた。
「でもね……お嬢様は、そんな “受け身” な愛し方で満足するかな?」
「……っ!」
ラグナの 足が止まった。
「ふふ、君が “愛される” ことを願うなら――“奪う” くらいの覚悟がなければね。」
「……。」
私は銀の瞳でラグナの背中を見つめ、優雅に微笑んだ。
――さて、これでどう動くかな?
◆――ラグナ視点
俺は 夜の廊下を歩きながら、苛立ち混じりに髪をかき乱した。
(ミラージュの奴……何が “奪え” だ。)
(俺はそんなこと、考えたこともねぇ……。)
だけど――
ふと、脳裏に浮かんだのは、あの夜のことだった。
――お嬢様を、レヴィと2人でからかった夜。
◆
「なぁ、お嬢様。どっちがいい? 俺か、レヴィか?」
「なっ……!?」
「兄貴、やめろよ!! お嬢様が困ってるだろ!」
「はは、なんだよ、お前も一緒にからかってたくせに?」
「俺は “兄貴だけには負けない” って言いたかっただけだ!!」
「へぇ、負けないってことは、最初から “勝負” するつもりだったってことだよな?」
「~~~~っっ!!」
レヴィは 顔を真っ赤にして、怒ったように俺を睨んだ。
その隣で、お嬢様は 目を泳がせながら困惑していた。
「……っ、もう!! ふざけないでよ、2人とも!!」
「ははは、悪い悪い。」
お嬢様が怒った顔をするのが 可愛くて、俺とレヴィはつい笑ってしまった。
――けど。
お嬢様が 少しだけ頬を赤らめて、目を逸らしたのを見逃さなかった。
(……あれは……なんだったんだろうな……。)
「……っ!!」
俺は 気づけば、足を止めていた。
(あの時は、ただの “遊び” だったはずなのに……。)
(なんで……今更、こんなにも……。)
ミラージュの言葉が、また頭の中で響く。
――「君が “愛される” ことを願うなら、“奪う” くらいの覚悟がなければね。」
「……奪う、ねぇ……。」
俺は 苦笑しながら天井を見上げた。
(そんなの、俺には向いてねぇよ。)
(俺は……ただ……。)
お嬢様が 困った顔をするのが好きだった。
お嬢様が 笑うのを見るのが好きだった。
(……だけど、それだけじゃ……足りないのか?)
「……チッ。」
俺は 舌打ちをしながら、再び歩き出した。
だけど――
この “違和感” の正体を、もう俺はわかってしまっていた。
(……くそ……なんで、今更……!!)
俺は、たぶん――
もう、逃げられないところまで来ちまってるんだろうな。
自室の扉を開けた瞬間、 俺はその場で固まった。
「おかえり、兄貴。」
「……なんで、お前が俺の部屋にいるんだよ。」
「んー?」
レヴィはベッドに寝転がりながら、退屈そうに俺を見上げた。
「別に? ちょっと話したくなっただけ。」
「……人の部屋で勝手にくつろぐなよ。」
俺はため息をつきながら 適当に椅子に座る。
「で、なんの話だ?」
「……お前さ。」
レヴィは じっと俺を見つめる。
「最近、お嬢様のこと、意識してね?」
「……っ!?」
俺は 思わず息を詰まらせた。
「な、何言って――」
「ほら、図星。」
レヴィは ニヤリと笑った。
「お前、わかりやすいんだよ。ミラージュの奴に何か言われたんだろ?」
「……別に、なんでもねぇよ。」
「へぇ?」
レヴィは 俺の反応を楽しむように、枕に頬を乗せた。
「じゃあ、お嬢様と俺のどっちが好き?」
「……は?」
「お前、俺が間に入ってお嬢様にちょっかいかけると、微妙に機嫌悪くなるじゃん?」
「はぁ!? なんの話だよ!!」
俺は 思わず椅子を蹴って立ち上がる。
(こいつ……!!)
「……はは、ほら、怒った。」
「怒ってねぇ!!」
「嘘つけ。お前、いつもなら “あーはいはい” って適当に流すくせに、今日はやたら食いつくな?」
「……。」
(……マズい。)
こいつに 気づかれるなんて、ありえねぇ。
俺は なんでもない顔をしようとした。
だけど――
「……お嬢様のこと、好きなの?」
レヴィの 真剣な声が響いた。
俺は 息が止まった気がした。
「……。」
「……。」
沈黙。
俺は 口を開こうとする。
でも、言葉が出なかった。
「……ふぅん。」
レヴィは 俺の反応を見て、フッと笑った。
「まぁ……別にいいけどな?」
「……?」
「お前が “本気” なら、別に止めねぇよ。」
レヴィは ベッドから起き上がり、肩をすくめた。
「でも……俺も、負けるつもりはねぇけど?」
「……!!」
「だからさ。」
レヴィは 俺の肩をぽんっと叩く。
「遠慮すんなよ、兄貴。」
「……っ!!」
俺は 何も言い返せなかった。
こいつが本気なのは 昔から知ってる。
でも――
(俺は……どうすればいいんだ?)
レヴィは 俺の困惑を楽しむように、笑いながら部屋を出て行った。
俺はただ、 暗い天井を見つめたまま動けなかった。
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