第四章 それぞれの家族
第56話 遭遇
北見はカフェで勉強をしていた。
空いている店内。テーブルにスマホを置く。
数学の問題を見直す。
ーー旅行翌日から、夏期講習の日々に戻った。
神楽とも、廊下で軽く声を交わす程度には普通の友人になった。
もっと親しくなってもよさそうなものだとは思う。でも、旅先で変わった距離感をすぐに日常に持ち込むのは難しい。神楽は人懐っこく笑いかけてくるけど。
ペンを走らせていると、突然、目の前の椅子に人が座った。
え?
顔を上げると、中年の女と目があった。
知らない顔だ。ガラス玉のような大きな瞳が観察するようにじっとこちらを見ている。
服装は胸元のざっくり開いたサマーセーター。無造作にアップにした髪が首筋に落ちている。見た目におかしなところはないが…。
気味悪ィな。なんだよ。
北見は周囲を見回した。開いているテーブルがいくつもある。ここに座る理由がない。
親父のファンか? ーーヤバそうだし、関わらないでおこう。
早く店を出ようと伝票に手を伸ばす。
「待ってよ」
北見は手を止める。
友達に話しかけるかのような気やすい口調。
全く知らない顔だが。
顔を向けると、にこにこと親しげに笑いかけてくる。
そっと目をそらし、立ち上がる。
すると女は、テーブルの上にあった北見のスマホを自分の手元にひきよせた。
「あっ」
間に合わない。スマホを人質にとられてしまった。
「ちょっと付き合ってよ」
なぜ!?
背筋がぞわりとする。
「……返してください。僕のスマホです」
手を差し出すが「うーん」と言って首をかしげている。
スマホを手に取り、指でつまんでブラブラさせ始めた。
見た目に反して子供っぽい行動。
北見はイライラしながら強い口調で注意する。
「返してください! 急いでるんです」
女が真顔になった。
「冷たいなぁ。じゃあ、郁人さんが帰ってきたら伝えておくね。玲くんに叱られたって」
「はっ?」
北見は驚愕して声をあげた。親父の出張を知ってるのか? オレの名前も。
女はよそ見をしている。
……なんだこの女。
関わりたくないのに、無視するには不安が勝る。
親父絡みだろうが、心当たりはない。
新しい愛人とか?
ただ、言われてみれば初対面の気がしない。
どこかで会ったことがある。
そしてそれは、そんなに楽しい思い出ではない。
女が髪を耳にかける。少し目を伏せた時の長い睫毛に見覚えがある。
いつ見た?昔?最近? どちらもある気がする。
女は思案するように天井を見た。
「郁人さん言ってたことホントだったんだぁ。昔のこと忘れてるって。ま、いいや」
スマホを返してくる。
白くて細い綺麗な指。
「久しぶりだもん。もっと話したかったのにな」
こちらを見ながら思わせぶりに笑う。
それから、顔を上げてまっすぐに視線を向けた。
「12年ぶりだね、玲くん」
「!」
どくん
心臓が大きな音を立てた。
そうだ、この…女……。
昔聞いたことのある声、話し方。
大きな目と……長い睫毛。苦労なんてしたことなさそうに見える滑らかな指。
ああ、そっくりじゃないか。
神楽の笑顔が脳裏をよぎる。
この女、神楽の母親だ。
最近まで『北見百合子』……義理の母親だった女。
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