出題編:10

 翌日の、放課後。

 僕となっちゃんは探偵部の部室の前で待ち合わせてから、渡り廊下を通って、美術室へやってきた。

 一応、ノックをしてから横開きの扉をゆっくりと開ける。

 もちろん勝手に侵入しているわけではなく、いつき先輩の許可は貰ってる。とはいえ、何だか悪いことをしてるような気がして緊張してしまう。

「お邪魔しまーす」

「邪魔するんやったら帰ってやー」

 緊張感のない人だなあ。

 でもまあ、なっちゃんのおかげで少し気持ちがほぐれた気がする。

 美術室はシンと静まり返って、人の気配は感じられない…と思ったら、

「なんだ、また来たの」

 と声がして思わずドキッとしてしまった。

 昨日と同じ位置に、昨日と同じ体勢でキャンバスの向こうから横澤さんがいて、昨日と同じ嫌悪感に溢れた視線で僕らを睨んでいる。

「あ、ど…どうも」

「横澤ちゃん、今日も絵を描いてるんやね」

「まあね。昨日は邪魔が入ったから予定より遅れてるのよ」

 そう言って口の端でニイッと笑うとキャンバスに戻った。

 相変わらず嫌な笑い方ではあったけど、昨日ほどは敵意をむき出しにした口調でもない。

 …どちらかというと、緊張感。

 僕とは少し違う、でも確実に、横澤さんからわずかに緊張した様子が感じ取れるのだ。

「余計なことは言わないでおこう」…そんな感じで黙っている…ような気がする。

(昨日も、何か言いかけてやめたんだよな…横澤さん)

 横澤さんの様子を妙に勘繰ってしまうのは、やはり昨日考えた、呪いの絵の不自然さや、彼女の言葉のせいだろう。


この絵を描いたのは、私。

誰が何と言おうと、私よ。


 …横澤さんに話を聞いてみたいけど、今はそんなことに応じてくれる雰囲気でもなさそうだ。

(というか、そんな雰囲気になってくれることはあるのか?)

 とりあえず、まずは1番重要なものを、もう少し調べてみよう。

「呪いの絵、やね」

「うん…ちょっと失礼して…と」

 昨日と同じように布がかかっていたので、そっと引っ張って外すと、中から「呪いの絵」が姿を現した。

 昨日とどこか変わっている様子は見られない。相変わらず表情のない表情で、のっぺりとした肌で、佇んでいる。

「特に変わりなし、かあ…」

 なっちゃんも拍子抜けしたような声で絵を覗き込む。

 昨夜の帰り道になっちゃんの携帯で見た画像の印象とも、違いは感じられなかった。…つまり、携帯の画像が遜色なく再現できるほど、この絵の色使いってやっぱり稚拙であるということなのかなあ。

 いやいや、決めつけは良くないと自戒を込めて、改めて絵を見つめる。

 僕が知らないだけで、こういうわざとベタ塗りに見せるような色塗りの技法があるのかも知れない。

 専門的な知識を持ってる人に話を聞きたいけど…あいにくこの場に専門的な知識を持ってる人が一人しかいないしな…。

「横澤ちゃん、ほんのちょっとだけお話、ええかなあ」

 僕の逡巡を察したのかどうなのか知らないが、なっちゃんがスゴい切り込みを見せてくれた。

「………何よ」

 不承不承といった感じで、横澤さんはそれでも、鉛筆を脇に置いて、顔を上げてくれた。

 なっちゃんは空気を読むのもうまいが、空気をわざと読まない能力にも長けている。こういうところは素直に羨ましく感じるな。

「鼓太郎くん、横澤ちゃん話してくれるって!」

 なっちゃんが嬉しそうに手招きする。

 このチャンスを逃す手はない。

「えっと…じゃあ失礼して」

 妙に腰が低くなってしまう。

 何も悪いことしてないのに、バレバレのイタズラを見抜かれた子どものような腰の引けた間抜けな姿勢で、僕はそそくさと横澤さんの方へと近づいていった。

 どうも横澤さんのあの目つきには馴れないな。

 蛇に睨まれたカエルの気持ちがよくわかる…そんなことを考えていたら、横澤さんに「で?」と催促された。

「何を聞きたいわけ?」

「あ、ああ…ええ、すいません、お時間とらせてしまって」

「別にいいけどさ」

 横澤さんがふん、と鼻を鳴らす。

「昨日の夜、いつきが電話してきてさ、あんたたちに協力するよう、くれぐれもよろしくってわざわざ言われたからね」

 いつき先輩、グッジョブだ。ありがたい。

「だから、答えられることなら答えてあげるわ。ただし手短にね。私はあんたたちと違って忙しいんだから」

「ええと…では、まず…そうですね…」

 言い方によっては誤解が生じる、とてもデリケートな質問だ。慎重に表現を検討して、言葉を探す。

「あのな、横澤ちゃん。あの絵を見て思ったんやけどな。横澤ちゃんて色塗りは苦手なん?」

 …空気を読まないにも程がある質問を投げる、なっちゃん。

「はぁ!?」

「…て鼓太郎くんが言うてた」

「ちょっ?!」

 横澤さんの空気が激変したことを読んで、緊急回避するなっちゃん。

「…………」

「え…いやその、えっとですね…」

「……下手で悪かったわね」

 これまでで最も鋭い、刺すような視線を投げてくる横澤さん。僕は思わず目を逸らし、代わりになっちゃんを見るが、なっちゃんはこちらをみようともしない。口笛吹いたりしてやがる。

 仕方ない。僕は覚悟を決めた。

「あ、あのですね。僕は決して横澤さんの絵が下手とか言いたいわけではなくて、その…デッサンや構図の巧みさに比べて、あまりにも色塗りの出来が違いすぎるというか、技術の差がありすぎるというか、とにかくとてもチグハグなのがとても気になって、それでわざとああいうチグハグさを表現する技法でもあるのかと、専門家の方にお聞きしたいと思った次第で…」

 僕のしどろもどろな疑問を、横澤さんは相変わらず険しい表情で眉を顰めてはいるものの、とりあえず最後まで遮らず黙って聞いてくれた。

 そして腕組みをすると、チラリと呪いの絵を見て、もう一度言う。

「悪かったわね、下手で」

「いや、そんな…」

「仕方ないじゃない、ガッシュは初めてだったんだから」

 初めて、少し弱気な調子で、横澤さんは言い訳のような口調で続ける。

「使い慣れない画材を使ったら、誰だってそうなるわよ。チグハグに見せる技法なんて無いわ。単純に上手く塗れなかったってだけよ」

「そうなんですか…」

「ガッシュを使いたくて練習してるんだから、まだ下手なのよ。何か文句ある?」

「いや、文句はないですけど…呪いの絵だと言われてる絵の彩色に、馴れない画材を使ったのに、何か意味があるのかな、と…」

「それは逆でしょ」

 はあ、と息を吐き、横澤さんはこちらを見る。

 もういつも通りの鋭い目つきで、言い訳するような寄与な雰囲気もない。

「たまたま上手く塗れなかった絵が、呪いだなんだって騒がれてるだけじゃない。いい迷惑よ」

「確かにね…横澤ちゃんがガッシュで塗ったのは、騒ぎになる前やもんね」

「………」

「…そうやんな?」

「…そうよ」

 横澤さんの微妙な反応が気になって、なんとなくもう一度、呪いの絵を見てみた。

 しかし、この絵をガッシュで塗ったのが、騒ぎの前か後かなんて、流石に判断のしようがなかった。顔のあたりの絵の具が、まだ乾き切っていないのか、窓から差し込む日差しで光って見えた気がしたが…。

(ガッシュがどれくらいの時間で乾くのか、そもそもこの部分を塗ったのがいつなのかも知らないしな)

 ガッシュの性質は後で少し調べてみよう。

 絵のことについては、横澤さんからはこれ以上、あまり役立つ情報は提供してもらえなさそうだな…。

 では今度は絵に描かれている人のことについて話してもらおう。

「この絵の人…亀倉あゆさんについて、もう少し教えてもらえませんか」

「あゆのこと…?そんなのあんたたちに関係ないでしょ」

「関係あるかどうかは、聞いてみないとなんとも…あゆさんの絵が睨みつけてきた、という事件の調査なわけですし」

「ふん、あんた本当にあんな話信じてるわけ?絵が表情を変えて襲ってくるなんて、あるわけないでしょ?」

 バカにするようにニヤニヤと笑っているが、目の奥は笑っていないように見える。

「人の絵を呪いだとか、失礼にも程があるわよ。あんたたちもいつきも、後輩の奴らもね」

「………」

 僕らが何も言わないでいると、横澤さんはふん、と拍子抜けしたような顔をして、窓の外に広がる空を見た。

 そこに亀倉さんの姿を探しているかのように。

「……ほんと、絵が上手い奴だった。でも、それだけだった。絵が上手いだけ。他には何もない、可哀想なやつだったわ」

「可哀想、って…?」

「他の人より秀で過ぎたものを持っているが故に、他の人の…秀でていない人の気持ちがわからないのよ」

 もう一度、呪いの絵をチラリと見た。まるで汚いものを見るような視線を投げて、そして続ける。

「周りの人間は誰ひとり、自分の域まで決して上がってこれない。それが本能でわかるのよ。だから常に他人を見下している」

「…………」

「見下した態度でしか、他人と接することができない。だから、自分が他人からどう見られているのかを想像することができない。自分が…「芸術家ではない部分の自分」が逆に見下されていることに気づかない」

「他人からどう見られているか…」

「可哀想だって言ったのはそういう意味よ」

 そして一瞬、横澤さんは辛そうな目をした。

「じゃあなんで横澤ちゃんは、あゆちゃんを描こうと思ったん?」

「は?」

「だって、そんな嫌な人の絵を、なんで描こうと思ったんかな、って気になって」

「……別に。深い意味なんてないよ」

 そう言いながら、横澤さんは自分の手のひらを眺めた。そこには亀倉さんの絵を描いた理由が書いてあって、それを目を細めて読むような、そんな仕草だった。

「あいつはいつも孤独だった。…だからよ。あいつの孤独をキャンパスに落とし込んでやれば、あいつ自身もそれに気づくんじゃないかって。ただそれだけ」

 そう言って、顔を上げる。少し日が傾いて、顔の影が濃くなったように見えた。

「あいつ自身、自分が孤独だと認めようとしなかった。だから誰もあいつが孤独だってことを理解しようともしなかったわ。いつきでさえ、そうよ」

「私がなんだって?」

 いつの間にか、美術部にいつき先輩が入ってきていた。

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