第十五話:聖女の絆と妖精の誘惑

     第十五話:聖女の絆と妖精の誘惑

「我が孫よ! 無事で何よりじゃ!」

 セルゲイの姿を確認すると、ゾーイは彼の首に抱きついた。

「苦しっ! 落ち着いて下さい」

 セルゲイは皆に霧の中に何日も閉じ込められていたこと、その霧がユニコーンの魔法であることを説明した。

「元々の目的はセルゲイくんなのかな? そこにたまたまクララがいたからこちらに来たとか?」

 リアンが推察するも、セルゲイは首を横に振る。

「多分、鼻からシスタークララが目的かもしれないです、殿下。彼らは狡猾でしたたかな生き物です。妖精界の生き物は僕を危機に落とすことで、クララをおびき出したのでしょう」

「何もかも奴らの手の平の上か。やはり油断ならん存在じゃな」

 ゾーイがユニコーンの角を大事そうに抱え、腰掛けた。ガルドがゾーイに耳打ちし、老婆が相槌を打つ。

「ユニコーンは妖精界と天界の使者だと名乗ってました。女神マリテ様がシスターを天界に召喚したいのだと思います。目的は不明ですが」

 セルゲイが肩をすくみ、ため息をつく。教会に天界、クララを狙う者は大きすぎる。


「にしてもここでユニコーンの角が手に入ったのは僥倖ぎょうこうじゃのう。ゾーイ、この指輪に角を錬金術でなんとかしてくんかの?」

 ガルドが懐から取り出した銀色の指輪をゾーイに渡し、老婆は微笑む。

「確かに。ユニコーンの角は素材として優秀じゃ。この指輪に婆が仕上げをするとしよう」

 角を少し砕き、黒い大鍋の中に指輪と一緒に放り込む。鍋のそばに立てかけてあった杖を手にした。見た目だけでは本当に魔女のようだ。老婆は自称魔女だ。鉱山集落で錬金術をドワーフから習っていたので、あながち間違いではないのかもしれない。

 グツグツと数分煮ると、ボフンッと煙が出て指輪が完成した。

「ふぇふぇふぇ、石の中に角を仕込んでおいたぞ。これで幻惑などの状態異常に動じなくなるじゃろ」

 完成された指輪は銀のリングに波のような繊細な彫刻が施され、中央に八方星型の月光石が輝いている。石の中にユニコーンの角の欠片が浮かび、光が反射するたびに聖なる力が感じられる。側面には百合と光の放射線が刻まれ、内側にはルーン文字が彫られ、「光は闇を払う」と言う意味が秘められていた。

 百合の紋様がユルゲンとセルゲイのように感じられて、クララは嬉しくなる。

「この月光石が魔力の安定と幻惑から保護するんじゃ」

「繊細なデザイン……。これをいただいてもよろしいのですか?」

「もちろんじゃ。そのためにこしらえたんじゃからな」

 クララは右手の中指にはめて、一通り眺めた。

「ありがとうございます! この指輪に似合うような聖女になりたいと思います」

 クララの決意表明に皆は小さな拍手を送る。


 そしてセルゲイが霧の中での数日を振り返った。

「霧の中で妖精女王の声が繰り返し聞こえたんです。『聖女に答えあり。女神は聖女の力を欲している』と。僕が彼女に問うても、返事はありませんでした。まるで機械のような……そんな無機質な声でした」

 機械はみんなはなにか分からなかったが、心の通っていないものとして理解した。

「食事も睡眠も必要だと感じず、ずっとアテもなく彷徨っていましたが、美味しそうなベリーやリンゴを見つけました」

「妖精界の食べ物は食べない方がいいわね。水も酒も振る舞われたら断りなさいとエルフの伝承にあるわ」

 ポニーテールを揺らし、リリスが口を挟んだ。

「そうなんです。僕も古い民話でそれを知っていたので、手はつけませんでした」

「? 飲み食いするとどうなるんじゃ?」

 ガルドが疑問を口にした。ドワーフが妖精界に招かれることはほとんどない。それは妖精の嫌う鉄と向き合うからで、おのずと伝承もない。

「人間の伝承にもありますね。妖精の差し出す食べ物や飲み物は、この世とは思えないほど美味なんです。ですが、口にしたら最後、ずっと妖精界に肉体が囚われたままになり、その姿も変容すると」

 クララが説明するとガルドが驚嘆し、目を丸くする。

「妖精の差し出す酒……ちーっと興味はあるが怖いものなんだのう」


「クララへの試練とセルゲイくんには誘惑と、妖精界も天界もグルなのかもしれないね」

 リアンは顎に手を当て考え込んだ。

「セルゲイくんは妖精女王の愛し子なのだろう。そんなに気に入られているなら、女王はキミをさらう機会を伺っていたのかも。そして、天界に住まう女神様はクララをたいそうお気に入りのようだ」

 クララの顔が曇る。

「セルゲイ様を巻き込んでしまったのですね……。ごめんなさい」

「違います、シスター。女王と女神の利害が一致しただけで、気にする必要はないですよ」

彼奴きゃつらは気まぐれじゃ。クララもセルゲイも気負う必要はあるまい」

 ゾーイが翡翠のネックレスを撫でながら言う。風詠みのやいばも一緒になって頷いた。

「いつでも守ってたル。生きているニンゲンに手を出すのは、違ウ」

「そうです。わたしは同志であり、仲間です。いつでも頼って下さい」


 セルゲイとクララはお互いの顔を見つめ合う。瞳が鏡像のようにお互いの顔を映していた。

「僕よりシスターの方が心配です。前より白い風が渦巻いているように見えるんです」

「白い風……。女神様の魔力でしょうか」

「そうかもしれません」

 リリスには赤と黄色、ガルドとレオは茶色、ラッセルはほのかに白色。リアンは青色と魔力の残滓には個性があった。

 以前、クララを見てもなにも見えなかったが、ルーネに行ってからはセルゲイには白色の風が見えている。

「僕の家で泊まっていって下さい。エシルも喜びます」

 墓守小屋に寄らず、ここに来たので家妖精シルキーもセルゲイの安否を心配しているはずだ。影に隠れていたチャーチルドッグのフェイガードが出てきて、一鳴きした。

(ここじゃ、狭いからな。家に泊まるのが賢明だと思うぞ、あるじ)

 セルゲイはフェイの念話に「失礼だぞ」と返した。



「……!」

 エシルがセルゲイに抱きつき、喋れないものの喜びを表現する。

「エシル、心配かけたね」

 セルゲイがエシルの頭を撫で、彼女は無言で涙を称えた。クララは胸が締め付けられたが、その想いを口にすることはなかった。感動の場面を台無しにするのは気が引けたからだ。

「セルゲイくんの周りには美人さんがたくさんいるね。それならクララはボクがもらってもいいかな?」

 リアンがチクッと釘を刺すと、セルゲイとエシルは離れ、彼がムッとした表情を浮かべた。

「シスターが殿下を望むならどうぞご随意になさればいいですが、女性をモノのように扱うのはいかがなものかと思います」

「ハハハッ、冗談だよ。貴族社会に生まれた弊害かな。そのように扱う者が多くてね。辟易してるよ」

 クララは曖昧に笑い、ひりついた二人の中に割って入る。

「まぁまぁ。エシル様は私よりもセルゲイ様の無事を願ったはずです。そして再会できて嬉しい気持ちは私も同じです」

「そうですよ。喧嘩はなしです! こんな感動的な場面には似合わないでしょう」

 ラッセルも加勢し、とりなした。二人は不満げな顔だが、一時休戦となった。

 しずしずとエシルは人数分のローズヒップティーを出し、席につくよう促す。



 一息入れているとクララのポケットが光った。アイリーンからの手紙の知らせだ。

「そのコンパクトは?」

「『祈りの鏡』です。アイリーンさんとこれで手紙のやり取りが出来るんですよ」

 セルゲイの問いにクララが笑顔で答えながら蓋を開ける。二通の手紙に目を落とし、黙読すると、クララの顔がサッと青ざめた。


『クララ、あたしはもうすぐ拘束される。修道院が異端審問に屈し、あなたの帰還命令が出ている。多分、あたしの家も教会になにかされているかも。家からの手紙が途絶えてからおかしいの。ルーネに戻るのは危険。早く逃げて』


『聖女見習いのクララよ。即時、ルーネに帰還せよ。これは異端審問官の命令である。我々が奪ったこの祈りの鏡の悪用、禁書の布教と勝手な振る舞いを教会は許さぬ。従わねば異端と宣告する』


「アイリーンさんが危ない! 早く帰らないと!」

 動揺するクララを風詠みたちがなだめ、冷静になるよう促す。

「落ち着ケ。この手紙を書くくらいには、余裕があるはズ」

 レオがそう言うと、クララは泣き出しそうな顔で頷いた。

「でもこれから何かされるのは確定じゃないですか……」

「アイリーンさんは抜け目ない人です。やり取りした手紙も処分していると思います」

 ラッセルが真剣な眼差しでクララを見つめる。

「拷問にかけられるかも……」

「今のクララじゃ教会からアイリーンを救うのは難しいかもね」

 リリスはピシャリと言い放った。

「ああ、女神様。どうか非力な私をお救い下さい……」

「神に願う前にやることがあるじゃろう?」

 ガルドが杖でクララを指差し、彼女に問うた。

「シスタークララ。よければここで力を蓄えませんか? 僕なら魔力が見える。この力をお貸ししたいです」

 セルゲイが提案し、意を決したようにクララが頷いた。

「ボクに出来ることはクララを癒やすことくらいかな? ウソウソ、ジルに連絡をとってアイリーンのお家がどうなっているか調べさせるよ」

 リアンが具現化した青い鳥を呼び出し、腕に乗せる。ハヤブサほどの大きさの鳥に小声で命令し、窓から鳥を遣わせた。



 その夜。広い星空の下、クララが祈りを捧げる。

「女神様。私には重い試練でございます。せめて私を見守ってください」

 右手の中指の指輪が月の灯りで光った。

『我とともに天界に来なさい。我は女神の御使いでもある』

 幻聴のようにささやく声に、クララは首を横に振る。

「ここで逃げてはアイリーンさんに申し訳が立ちません。私には今、やるべきことがあります」

 一人祈るクララの前にセルゲイが声をかける。

「そうしていると本当の聖女のようですね。白い風がスズランの香りと溶けて神秘的です」

 白百合の花が風で揺れていた。同じ白い花なのに溶け合い、クララの聖女性を高めている。

「私は平凡な孤児です。赤い髪で縮れているので、よくからかわれたんですよ。でもルーネの街はそんな私も受け入れてくれました。もちろん、ユルゲンにも恩はあります」

 クララはセルゲイの手を握り、まっすぐ見つめる。

「アイリーンさんを救い、マリテ様の真なる教えを広めたいです。それまで待って下さいますか?」

「もちろん。僕の寿命はきっとシスターより長い。いつまでもあなたを待っています」

 二人はしばらく見つめ合った。

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