第18話 琴音とのデート

 12月の空は、高く澄みわたっていた。まるでテスト明けの解放感を、そっと祝福してくれているかのように。

 そんな青空の下――今日は、琴音とのデートだ。


 陽翔は胸の高鳴りを抑えながら、待ち合わせ場所へと足を運んでいた。


 脚を通したのは、3段フリルのミニスカート。80デニールのタイツじゃ、北風にはちょっと心許ない。けれど、手元の110デニールは見た目がちょっと重たいんだよなぁ……。


 冬のおしゃれは、寒さとの根性勝負。誰が言ったか知らないけれど、きっと全女子の共通認識だ。


 待ち合わせ場所に到着すると、すでに琴音の姿があった。


 黒のロングコート。その裾から覗くグレーのスカート。

 どこか落ち着いた雰囲気なのに、自然と目を引いてしまう。


「ごめん、待たせた?」


「いや、うちが早う来ただけやから。気にせんといてな?」


 そんなやり取りも、なんだかデートっぽくて。ちょっと、にやけそうになるのを我慢した。


 目的地の美術館へと並んで歩き出す。


 正直、美術館なんて来るの初めてだ。琴音のリクエストだったし、行き先を聞いたときはちょっと背伸びしすぎたかも、って思ったけど――琴音が行きたいと言えば断れるわけがない。


 入館チケットを買うときは当然のように「俺が払うべきか?」って迷ったけど、琴音はすでにスマートに前売り券を取り出していた。


「え、払うよ。てか、出させて」


「これな、うちの親が仕事で貰うたやつやし、気にせんでええよ」


 そう笑う琴音は、なんだかちょっと大人びて見えた。


 美術館の中は、まるで別世界みたいだった。


 静けさが支配していて、話し声すらどこか遠慮がち。訪れた人々は、並べられた絵の前でじっと立ち止まり、時間をかけて眺めていた。



 足音を立てることさえ憚られる雰囲気の中、陽翔は琴音と並んで展示室を歩く。


 展示は「印象派展」。どこかで見たことのあるような風景画や人物画が並んでいるけど……正直、芸術の「良さ」なんて、まるで分からない。


「やっぱりドガの絵は躍動感があってよいですね」


 琴音が立ち止まって、ふわっと微笑む。うん、なんか知的。


「ああ、そうだね」


 陽翔はうなずいてみせたものの、心の中はクエスチョンマークだらけ。

 ドガって誰? 躍動感ってどこ? どこに?!


 そんな必死の「それっぽいリアクション」がバレバレだったのか、琴音がくすりと笑う。


「ふふっ。無理に分かろうとしなくても大丈夫ですよ? 芸術なんて、自由に楽しめばいいのです。色が綺麗だな、とか、この花かわいいな、とか。心が動いたら、それが正解なんですよ」


 ――あれ、なんか今、すごく救われた気がする。


 背伸びしすぎてカチコチになっていた肩の力が、少しだけ抜けた。

 そうか、分からなくても「感じたままでいい」んだ。


 琴音は一歩先を歩きながら、振り返って陽翔に優しく微笑む。


 ――やばい、今の笑顔、反則すぎる。


 思わず心がぐらつく。陽翔はそれをごまかすように、意味もなく近くの絵画を見つめた。


 どっぷり2時間芸術の世界に浸って美術館を出ると3時を過ぎていた。


「陽香さん、そろそろお茶しはりません?」


「あっ、そうだねっ」


 琴音はスタスタと歩き出す。途中にあったチェーンのカフェも、ファミレスも、琴音の視界にはまるで入っていないらしい。


 土曜の昼下がり。街には人があふれ、気を抜けばすぐにでもはぐれてしまいそうな賑わいだった。


 交差点を右に曲がるタイミングで、琴音がふいに振り返る。


「こっちやで」


 そう言って、自然な流れで陽翔の手を握ってきた。


 ――う、うわ、ちょ、ま……!


 白くて細くて、ほんのり温かいその手に触れた瞬間、心拍数が跳ね上がるのを感じた。


 こんなことでドキドキしてるなんて……まるで女の子みたいじゃないか。


 いや、今はもう女の子なんだったな。そう自分に言い聞かせながら、でも頬が熱くなるのはどうにも止められなかった。



 10分ほど歩いたところで、ようやく足を止める琴音。


「私の行きつけのお店でいいかな? このカフェのチーズケーキ好きなんよ」


 振り返る笑顔が、またちょっとズルい。


 案内されたのは、木目調のインテリアが落ち着いた雰囲気を醸し出す、こぢんまりとしたカフェ。

 席の間には観葉植物がセンスよく配置されていて、他のお客さんの目線も気にならない。


 ――なにこのオシャレな空間……!?


 初めて踏み入れる大人の空間に内心ドキドキしながらも、琴音に続いて席に着く。

 学校と違って、男声で話したら周囲の視線が怖い環境だっただけに、この“個室感”はありがたかった。


「チーズケーキとブレンドで」


 琴音は慣れた感じでオーダーし、陽翔にもにっこりと微笑む。


「ガトーショコラもおいしいえ。カフェオレとよう合うし、うちのおすすめやわ」


「あ、じゃあそれで……」


 ――流されてる、完全に流されてる。でも、なぜかイヤじゃない……!


 初めての場所、初めての空気感、そして――隣には、ちょっと大人びた笑顔の琴音。


 今日のデート、いろんな意味で“自分じゃない誰か”になってる気がする。でも、それがちょっとだけ、悪くないと思えてしまった。


カフェのテーブルからは、ふわりと甘い香りが立ち上り、湯気をたてるカップがぽつりぽつりと心をほぐすように揺れている。

 二人は向かい合いながら、フォークでケーキをつつきつつ、なんとなく会話を始めた。


「やっぱり印象派は、色づかいがきれいやわ~」

 琴音が楽しそうに語るその横顔は、まるで絵画の中の人物みたいに輝いて見えた。


 ――うん。……でも正直、何ひとつ分かってない。


 陽翔は愛想笑いで乗り切りながら、内心では焦りながら共通の話題を探すべくフル回転で思考中。

 そしてふと、ある記憶がよぎった。


「そういえば、あのアニメの原画展が来月あるらしいね」


 半ば苦し紛れの話題転換だったが、琴音はすぐにぱっと顔を明るくした。


「そうそう、それも楽しみなん」


 ヒットした。陽翔は内心でガッツポーズしながら、今こそとばかりに前のめりになる。


「あのさ、炎色反応とか、ボイル・シャルルの法則とか、理科でやったやつがちょこちょこ出てきてさ。ちょっと得した気分になるんだよね」


 無邪気に笑う琴音の表情に、美術館のときとはまた違う可愛らしさを感じる。

 しっかりして見えても、同い年なんだ――ようやくそんな距離感が嬉しく思えた。


「よかったら、来月の原画展も一緒に行かへん? 一人で行くより、終わったあとに感想話せる方が楽しいし」


 その言葉に、陽翔はうなずくよりも先に「行く!」と即答していた。


 今日のデート、気づけば“自分じゃない誰か”として過ごしていた気がする。

けれど――そんな自分も、悪くないと思えた。


 夜、ベッドの中で思い返してみると、次の約束までこぎつけたのは嬉しい誤算だった。

 でも――気づけばずっと琴音のペースで引っぱられていて、自分はただついていくだけだった。


 ……なんだよこれ。こっちのほうが、よっぽど女の子じゃん――。

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