第15話 茶会
猫耳メイドの“陽香ちゃん”との記念撮影サービスは、まさに大ヒットだった。
在校生だけでなく、保護者や他校の生徒までが列をなし、陽翔のまわりには常に人だかりができていた。
「ほんとに……男の子なの? かわいすぎ……言われなきゃ絶対わかんない!」
「うわ、ちょっと目覚めそうなんだけど……どうしよ」
笑顔でポーズを決めながら、耳に飛び込んでくるのは、そんな無邪気な言葉たち。
――そのたびに、胸の奥がじくりと疼いた。
(うれしいはず、なんだけどな……)
“かわいい”と言われるのは、嫌じゃない。
でも、その前につく「男なのに」という枕詞が、どうしても引っかかる。
学内では、詩乃の配慮もあって誰もそんな風に言わなかった。
ここでは“陽香ちゃん”として、ちゃんと扱ってもらえていた。
でも、外の人から見れば、ただの“女装した男子”でしかない。
(そうだよな、俺――じゃない、私は、もともと男なんだし)
詩乃に脅されるように始まった女子高生生活。
最初は戸惑いだらけだったけど、いつの間にか、制服を着て、スカートを揺らして、笑顔を作ることに慣れていた。
でも、それは“慣れた”だけで、本当に“なれた”わけじゃない。
「男子なのに」――その一言が、
女子にも男子にもなりきれない自分を、無情に突きつけてくる。
笑顔の仮面の奥で、陽翔の心は、少しずつ、けれど確かに、疲れていった。
午後一時をまわったころ、カフェの裏口からひょこっと顔を出した女子生徒が、陽翔に声をかけてきた。
「陽翔ちゃん、交代の時間だよー。お疲れさま!」
笑顔で手を振られて、陽翔も小さく頷き返す。
(……ふぅ、やっと解放された)
メイド姿での写真撮影は予想以上に人気を集め、交代を惜しむ声もちらほら聞こえたけれど、正直……ちょっと疲れた。
更衣室で制服に着替え、鏡に映った自分の姿を確認する。女子の制服はもう見慣れたはずなのに、どこか、まだ少しだけ照れくさい。
今度は自分が文化祭を楽しむ番だ。
気持ちを切り替えて、まずは腹ごしらえから。陽翔は焼きそばを出店している一年二組の教室へ向かった。
「いらっしゃいませーっ!」
威勢のいいかけ声に顔を上げると、朝一番にアニマルカフェへ来てくれた男子生徒がいた。目が合った瞬間、彼は「あっ」と小さく声を漏らし、照れくさそうに笑う。
こちらも軽く笑い返して、冗談っぽく一言。
「焼きそばひとつくださいニャン♪」
肉球ポーズを添えると、彼は目を泳がせながら顔を赤らめて、焼きそばを皿に盛り始めた。
「……あ、はい。大盛にしておきました!」
「ありがとう」
手渡された焼きそばは、器から少しはみ出すほどのボリューム。
一口頬張ると、ソースの香ばしさが口いっぱいに広がった。思わず笑みがこぼれる。
(こうして見ると、女の子っぽいのも……案外、悪くないかも)
少し前の自分なら、絶対に思わなかったような感情が、自然に胸の奥から浮かび上がる。
焼きそばでお腹を満たすと、陽翔は静かな期待を胸に、特別棟の二階へと足を向けた。
次の目的地は――茶道部の茶会。
聞けば、茶道部の人手が足りないということで、琴音が急遽お手伝いに呼ばれたらしい。
彼女は茶道の心得もあり、しかも自前の和服をさらりと着こなせるという。まるで別世界の人みたいだ。
(……和服の琴音か。ちょっと、見てみたいかも)
なんとなく、自然に足がその方へ向かっていた。
そして、どうせなら琴音がお茶を点てるお点前を間近で見られるという、午後二時の回に合わせて訪れることにした。
茶室の前で受付を済ませると、案内係の生徒が小さく会釈して言った。
「恐れ入りますが、始まるまで隣の控え室でお待ちくださいませ」
促されるまま廊下を進み、隣の教室へ足を踏み入れると、そこには静かな空気が満ちていた。
窓から差し込むやわらかな陽光と、漂うほのかな抹茶の香り。さっきまでのにぎやかな校内が嘘のように感じる。
教室の黒板には、茶会の作法やお点前の流れが、大きなポスターで丁寧に掲示されていた。手書きの文字と挿絵がやさしくて、まるで別の世界に迷い込んだ気分になる。
作法をひと通り眺め終えた頃、和服姿の茶道部員が控え室へ現れた。
「これより、午後二時の茶会を始めます」
参加者は陽翔を含めて五人。列になって、静かに茶室へと向かっていく。
そして――ふすまがすっと開かれた。
そこにいたのは、藍色の着物に身を包んだ琴音だった。
彼女が一礼するたび、ふわりと袖が揺れ、そこから伸びた白く細い指先が絹のようにしなやかだった。
その姿は、清楚で、凛としていて、どこか儚ささえ感じるほど美しかった。
(……キレイ、すぎる)
言葉なんて出てこなかった。ただ、胸の奥で小さな鐘が鳴った気がした。
琴音は、静かに茶筅をふるっていく。抹茶が湯の中で柔らかく舞い、ふわりと香る。
その一つひとつの所作が、まるで舞台の上の演技のように美しくて、陽翔はその手元にただ見入っていた。
最初にお茶を飲む“正客”は、茶道部の部員がつとめることになっていて、それを手本に見よう見まねで自分の番を迎えたけれど――
正直、お茶の味なんて、まったく覚えていない。
頭の中に残っていたのは、淡い抹茶の香りと、琴音の横顔だけだった。
茶室を出ようとした、そのときだった。
「陽香ちゃん」
名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこには和服姿の琴音が、草履で小走りにこちらへ向かってくるところだった。
走るには不向きな着物の裾をおさえながら、それでも優雅さを失わないのは、きっと彼女だからこそなんだろう。
「どうしたの?」
息を弾ませながらも、琴音はふわりと微笑んだ。
「うち、次の出番4時からなんよ。それまで時間空いとるし――
一緒に文化祭、見て回らへん?」
その誘い方が、あまりにも自然で、陽翔の心を不意打ちで揺らしてきた。
一人で歩くより、誰かと一緒の方が絶対楽しい。もちろん断る理由なんてない。小さく頷くと――
「ふふっ、決まりやね」
琴音はくすりと笑って、当然のように陽翔の腕に自分の腕を絡めてきた。
柔らかな感触とともに伝わる、体温と、距離感。
――これ、けっこうヤバいやつでは?
琴音は、詩乃と並んで“学園の顔”と噂される存在だ。そんな彼女が、しかも和服姿で腕を組んで歩いていれば、当然注目の的になる。
実際、廊下を通るたびに何人もの視線が刺さってきて、陽翔の心臓はずっと休まる暇がなかった。
だけど、不思議と嫌じゃなかった。
ちょっと気恥ずかしくて、目立つのも苦手で、それでも――
その横を歩くことが、どこか誇らしいと思ってしまったのは、きっと彼女が琴音だったからだ。
校内を二人で見て回る。
射的では琴音が凛とした顔で真剣に狙いを定め、スーパーボールすくいでは逆に陽翔が夢中になってしまった。
二人で笑い合って、肩を寄せ合って、文化祭の時間がとろけるように過ぎていく。
夕暮れの光の中、校庭の片隅で並んで座り、綿あめを一緒に食べる。
校舎のガラス窓に、夕陽が赤く反射していた。
どこかの教室から聞こえるアコースティックギターの音色が、校内に溶け込んでいく。
(こんなに綺麗な人が、もし僕の――)
胸の奥に湧き上がる想いに背中を押されるように、陽翔は息を飲んで言葉をこぼした。
「琴音さん……今度、テスト終わったら、一緒に遊びに行きませんか?」
綿あめを頬張っていた琴音の動きが、ふと止まる。
一瞬だけ空気が止まり、陽翔の喉がきゅっと締まった。
「ふふっ。……ええ、よろこんで」
にっこりと綿あめみたいな笑顔で、琴音はそう返してくれた。
陽翔は叫びたい気持ちを必死に押し殺しながら、小さくガッツポーズ。
ただし、まだ知らない。この一件が、詩乃の心にさざ波を立てることを――。
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