第12話 衝撃
新たな短剣を手に入れた優理香。しかし、それをどう使うべきか答えが出せず、散漫とした日々を送っていた。手にすればひやりと冷たく、それでいて指先が焼けるような錯覚を覚える。だが、その闇の刃をどう振るえばいいのか――
幸樹の胸を刺して、私の思い通りにする?
いえ、ダメよ。私はきちんと彼に愛して欲しいの。下田のような下僕になって欲しいわけじゃない……
でも、彼が欲しい。心も体も――
心が揺らぐ。短剣の効果は確認済みだ。それゆえに、どうすべきかより悩んだ。
土日の休みもどこにも行かず、自宅のワンルームマンションにこもったまま、ただ短剣を見つめ続けた。気づけば日が昇り、また沈む。時間は流れていくのに、優理香の思考は堂々巡りを繰り返すばかりだった。
そして迎えた月曜日。出社するとすぐに下田が話しかけてきた。
「調査が終わったようです、清水幸樹と白木芽衣のこと。今日中にも書面にまとめて報告できるようですが――どういたしますか?」
「今日中に受け取ってきて。それを帰りまでに私に渡すのよ。いいわね」
優理香は早口でそう命じると、何事もなかったかのように自分の席についた。
(これでやっとわかるのね、あの女と幸樹のことが。それに私の知らない幸樹のことも……)
仕事の準備をしながら、優理香の思考はすでに報告書の内容に移っていた。どんなことが書かれているのか? 真実を知りたいが、怖い、そんな複雑な思いに囚われ続けた。当然のごとく仕事には身も入らず、気づけば終業の時間となっていた。
優理香は誰よりも早く席を立ち帰り支度を整えると、廊下の隅で下田から少し大きめの封筒を受け取った。そしてそのまま一番落ち着いて内容を確認できる場所――自宅へと急いだ。
優理香の住むワンルームマンションは、会社から少し離れた郊外にあった。幸樹に金をつぎ込んだせいで、自分の生活はなるべく切り詰めなくてはならなくなった結果、家賃の安いところを探してそうなった。
幸樹と付き合うまでそれなりに貯えがあり、少額ながら株などで資金の運用をして増やしていたのだが、それらも全て失ってしまった。この郊外のマンションの家賃も、幸樹に貢ぎ続ければ厳しところまで来ていたのだった。
築年数も経ち、広くも綺麗でもない自分の部屋に入った優理香は、それでも今は一番落ち着くことのできるリビングのカウチに座り、部屋着に着替えることもなく、封筒を開けた。
「まずは女のことを――」
優理香は写真が添付された報告書に目を通す。
『
「二十二歳…、若くて可愛い子……。幸樹との関係は――」
『清水幸樹とは店で知り合い意気投合、三か月ほど前から肉体関係を持つ。ただし、あくまでも金周りのいい客と店員という関係で、今のことろ恋愛感情はないようだ』
「そうなのね……」
優理香はほっと息をついた。恋人ではない、ただの遊び――そう思えば気持ちは幾分か軽くなる。
「そうよ、ただの浮気。幸樹の恋人は私なんだから……」
自分に言い聞かせるように呟くと、優理香は幸樹の調査報告書に目を通した。
瞬間、目の前がぐらりと揺れた。そこには彼の女遊びの遍歴が淡々と書かれていた。今も芽衣以外に何人かの遊び相手がいるらしい。
「そんな……」
知らなかった、いや自分が知ろうとせずに目を背けてきた。そんな幸樹の真の姿に、優理香は眩暈を覚えた。
しかし、真の衝撃はまだその先にあった。報告書の更に先に書かれていたのは――
『現在、取引先の重役の娘との結婚の話が進行中で近々婚約が決まりそうだ』
「婚約!? そんな――……」
優理香は言葉を失った。何かの冗談かと思った。けれど、書面に記されたその一文は、どう読んでも変わらない。
優理香の手が震え、報告書が指の間から滑り落ちる。心臓がぎゅっと締めつけられ、息が詰まる。浮気なら許せた。恋人は自分なのだから。いずれは妻になれると信じていた。
それなのに――
脳が痺れた。何も考えられない。夢、全ては夢なの――?
呆然とする中で、封筒を取り出したテーブルの上の鞄に目がいった。そこからあるものが覗く。あの黒い短剣を納めたポーチ――
「……」
優理香は無意識のうちにポーチを手に取り、中から黒の短剣を取り出した。
「これを使えば――」
幸樹を自分のモノにできる。それをやるチャンスはいくらでもある。明日にでもホテルに誘い――
「いえ、ダメだわ。違う……」
自分の言いなりの人形が欲しいわけじゃない。愛する人が、愛してくれる人が欲しいのだ。
でも、もう幸樹にはそれを求められない。真の彼を知ってしまったから。私の事を愛してなどいなかった。ただの金づる。都合のいい女……
「――許さない」
優理香の中で何かが壊れた。胸の奥で渦巻く情念が、怒りの激流となり、彼女の様子を変える。
「この剣で操り人形にしたぐらいじゃ足りない。もっと、もっと、思い知らせててやる、この私の悲しさと憎しみを――」
冷徹とも言える表情で呟く優理香。その瞳は、漆黒の夜のように冷たく、鈍い闇の光をたたえていた……
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