## パート3: 「現実の研究者」

「ログアウト」


現実世界に意識が戻ると、葉山翔はVRヘッドセットを外し、深いため息をついた。窓から差し込む夕日が、研究室の床に長い影を落としている。


「現実に戻ってきたか…」


彼は立ち上がり、首の凝りをほぐした。大学院の研究室は静まり返っていた。夕方になると、多くの学生は帰宅してしまう。だが、葉山にとって、この静寂の時間こそが貴重だった。


研究室の壁には、様々な草の標本が整然と並べられている。スギナ、タンポポ、オオバコ、ドクダミ、ヨモギ—一般には「雑草」とされる植物たちが、ここでは主役だ。


葉山は窓際に置かれた小さな実験用プランターに目をやった。そこには様々な条件下で育てられている雑草たちが、静かに成長を続けていた。中でも、四つ葉のクローバーのプランターには特別な愛着がある。


「祖父が教えてくれたんだよな…」


葉山は小さな水差しを手に取り、丁寧に水やりを始めた。


「雑草は、最も過酷な環境でも生き抜く知恵を持っている。その適応力こそが、未来の環境変化に対応するカギになる…」


祖父の言葉を思い出しながら、彼は一鉢一鉢に語りかけるように水をやった。


研究室の机に戻ると、そこには未完成の論文と、山積みの参考文献が広がっていた。タイトルは『極限環境下における雑草の適応メカニズムと生態系回復への応用』。これが葉山の博士論文のテーマだ。


「明日の研究発表、準備は大丈夫かな…」


彼は少し不安そうに資料に目を通した。前回の中間発表では、「より実用的な研究に焦点を当てるべきだ」と指導教授から指摘された。「雑草の研究より、作物の収量向上に直結する研究の方が価値がある」という意見も多い。


葉山は自分のノートを開き、ゲーム内での経験を書き留め始めた。


「ゲーム内の雑草も現実のものと似た特性を持っている。スギナの胞子の拡散性、タンポポの風による種子散布…」


書きながら、彼は少し笑みを浮かべた。


「ゲームでも現実でも、結局は同じか。誰も雑草の価値に気づかない」


ふと、研究室のドアがノックされた。


「まだいたの?葉山くん」


同じ研究室の先輩、田中さんが顔を覗かせた。


「あ、はい。論文の準備をしていて…」


「また徹夜?体壊すよ」田中さんは心配そうに言った。「それにしても、相変わらず変わった研究してるね。私なら絶対選ばないテーマだわ」


「はは…そうですよね」


葉山は苦笑いを浮かべた。この会話も慣れたものだ。


「明日の発表、頑張ってね。私たちには難しすぎて理解できないけど」


そう言って田中さんは去っていった。


再び静寂が戻った研究室で、葉山は窓の外を見つめた。キャンパスの片隅に広がる雑草地帯。誰も気にも留めないその場所が、彼にとっては無限の可能性を秘めた研究フィールドだった。


「ゲームの中でも、現実でも…」


彼はノートに書き続けた。


「雑草は見過ごされている。でも、その価値を証明できれば…」


葉山は再びVRヘッドセットを手に取った。明日の発表の前に、もう少しだけゲームの世界で過ごしたかった。そこでは、雑草使いという最弱職かもしれないが、少なくとも自分の選択に後悔はない。


「明日は『新緑の迷宮』に挑戦だ」


彼はヘッドセットを装着する前に、四つ葉のクローバーのプランターに最後の一滴の水を注いだ。クローバーの葉が、夕日に照らされて微かに輝いたように見えた。


現実でもゲームでも、葉山翔の孤独な挑戦は続いていく。

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