【完結済・長編】ウィンド・マスターズ 異色の風使いたち

駿河 晴星

序章

序章

 高等部の制服に着替えた久木ひさぎ空芽そらめは、深呼吸をしてから学園長室の扉を叩いた。


 中からコーヒーの香りが漂ってくる。窓際では霧立きりたち風牙ふうがが湯気の立つマグカップを手に佇んでいた。


「ご報告があります」


 空芽の硬い声に、風牙は片眉を上げる。一度カップを傾けた後、革張りの回転椅子に腰を下ろした。


「先ほど、五田村いつたむらという場所へ行ってきました」

「五田村? 任務でか?」

「いえ……」


 空芽が軽く首を振ると、風牙の眉間に皺が寄った。日の光が透ける、絹糸のような銀色の髪の奥で、狐のように細い翡翠色の目が鋭く光る。もったいぶらずに早く言え、という風牙からの圧を感じながらも、空芽は言葉を継ぐことができずにいた。


「何があった?」


 気が長くない風牙は、デスクの天板を指で打ちはじめている。


 空芽は汗ばむ手を強く握った。これから話すことがいかに非現実的に聞こえるか、自分でもよく分かっていた。しかし同時に、自分の感覚に誤りがないとも確信しているから混乱していた。風牙に話して、次の行動を指示してもらうしかない。


 空芽は乾いた唇を舐めた。


「警報を検知したんです。《結界》が破れそうな時に出るものです」

「その五田村とやらに、破れかけの《結界》があったってことか?」

「はい」

「誰のものだ?」


 風牙の質問に、空芽は喉が鳴るほど強く唾を飲んだ。壁にかけられた歴代学園長の顔写真に視線を向ける。一番右下にある風牙の写真の隣で、前学園長の的場まとば持之もちゆきが柔和な笑みを浮かべていた。その笑顔に背中を押された空芽は、ゆっくりと口を開いた。


「……師匠です」

「なんだって?」


 風牙は目を剥く。


「師匠の《結界》の気配がしました」

「ばかを言え!」


 机を叩くと同時に、風牙は立ち上がった。書類に茶色い染みが広がる。

 風牙は荒々しく続けた。


「持之はもう死んだんだ。四年も前にな!」

「分かっています!」


 つられて空芽の声量も大きくなる。


「でも、僕が師匠の気配を間違えることはありません!」


 二人して顔を赤くしている。睨み合いが続く。

 風牙の影が長く伸び、空芽の顔にかかる。


 しばらくして根負けした風牙は、深いため息を吐きながら回転椅子に力なく沈んだ。


「死んでも持続する《結界》が存在するって? ありえない」

「僕も……僕だってそう思って何回も確かめました。でも、やっぱり師匠の気配なんです。師匠なら、ありえるかもしれないと思って」

「……もし本当にそうだとして、持之は一体何を守っていたんだ。五田村なんて名前、俺は聞いたこともない」

「もう一つ報告が」


 剣先のような風牙の視線が、空芽の眉間を貫く。


「村には、異色の髪と目を持った中学生くらいの女の子がいました」


 翡翠の目が大きく見開かれた。


「まさか、風人ふうじんか?」

「遠目に見ただけですから、分かりません。栗色の髪と藍色の目。ただ外国の血が混じっているだけかもしれませんが、もしかしたら……」


 風牙は乱暴に前髪をかきあげる。


「中学生なんて……。風人の存在を隠すことは重罪だ。学園長だったあいつがそんなことするはずないと思いたいが」

「温厚そうに見えて、無茶をする人でしたからね」

「頑固者だしな」


 風牙の視線が持之の写真に向けられた。空芽も倣う。最強の結界師と謳われながら、誰もいないところで一人戦い、あっけなく命を落とした師匠。彼の死は未だに空芽の胸に重くのしかかっていた。


「とりあえず、その子に会ってみないとな」

「ええ。でもやっと……師匠の最期について、何か分かるかもしれません」


 空芽の声には熱がこもっていた。

 風牙が静かに頷く。窓の外では、早咲きの桜の花びらがひらり、ひらりと舞っていた。

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