#12「月光3」

 虹の森にて繰り広げられる戦闘。亜静あしずが兎の少女を追い詰める中、鈴葉りんは風沙梨かさりの考えにはっとして目を見開く。兎の少女に薬を飲ませて正気に戻す。少女が祭りの人々と同じ術にかかっていようがいまいが、精神を落ち着ける効果のある薬を使えば、今よりは会話ができるようになるだろう。


「よし、やろう! 黒幕の情報を聞き出せるかもだし!」


 鈴葉はそう言い、亜静の隣に駆けて行く。そして風沙梨の推測を伝える。


「薬ねぇ。確かに話を聞ける可能性はあるかもね」

「っ!? 薬!?」


 頷いて協力を示す亜静と、話を聞いていたのか長く白い耳をぴくりと動かし、はっと顔を上げる兎の少女。鈴葉と亜静が武器以外に持っていないと見ると、少女の目は風沙梨に移る。風沙梨が手に持っている薬の入った袋に、兎の赤い瞳が釘付けになる。


「そういえば、氷山で薬がどうとか言ってたっけ」


 雪乃と兎が戦っていたシーンを思い出す鈴葉。あの時の兎は雪乃をはくと間違えていたようだが、結局勘違いしたまま手ぶらで帰ったのだろう。何の薬を欲しがっていたんだと鈴葉は疑問に思い、兎に問おうとする。しかし鈴葉より早く兎が行動を起こす。


「それを、それを渡せ!」


 兎のふらついていた足取りはどこへ行ったのか、素早い動きで風沙梨に向かって走り出す。亜静が闇の槍を兎の行手に複数投げ、鈴葉が風沙梨の元へ急いで戻る。風沙梨もじっとしていると危険と判断し、鈴葉の方へ逃げ出す。

 進路を塞ぐ攻撃と鈴葉の接近を感知し、兎は大きく上に跳ぶ。頭上を覆う木の枝を足場にし、さらに上へと跳ねて行く。


「まずいっ!」


 鈴葉は兎が何をしようとしているのか理解し、向かってくる風沙梨を減速なしで抱き止めると、夜空を覆い隠す真っ暗な森へ飛び込む。木々を避けて飛ぶため速度は落ちるが、なるべく障害物の多い場所を選んで進む。

 木を足場にして兎は森の上、月の光を全身で受け止められる空にいた。月光を浴びた兎は跳躍の最高到達点まで来ると、月の光を集めて輝く翼を作り出す。兎の少女は両手を前に突き出し、月の光を集約し始める。耳を地上に向け、緑に覆われた森を鋭い瞳で睨む。


「そこ!」


 兎は集めていた光を開放し、音で探知した鈴葉目掛けて極太のレーザーを放つ。風沙梨を強く抱き、枝や茂みに掠りながら鈴葉はレーザーの軌道から逃げる。しかし兎は的確に鈴葉の後を追い、または移動方向を予測してレーザーを撃ち続ける。

 レーザーによって地面は抉れ、焼かれた木々が発火する。狙われている鈴葉と風沙梨の危機はもちろん、この攻撃が長引けば森への被害も大きくなるだろう。


「このままだと師匠まであのレーザーにやられてしまいます! きっと私が彼女に薬を渡せば、攻撃を止めてくれるはずです!」

「無理だよ! あの子、風沙梨を倒して薬を奪おうとしてたじゃん! どうせ聞く耳持たずで襲ってくるだけ!」


 言いながら後ろから高速で迫って来るレーザーを、大きく右に逸れて回避する鈴葉。顔に細い枝がぶつかり、自然回復で治る程度の小さな傷ができる。

 兎は光の翼を羽ばたかせ、上空から鈴葉を追いながら、休むことなくレーザーを発射する。しかしいくら月光の恩恵でパワーアップしているとはいえ、ほとんど妖力が尽きているのだろう。枯渇しかけた妖力に兎の体は限界寸前になり、警告として一つ二つと肌に切り傷ができていく。それでも兎は止まらない。


 闇雲にレーザーを回避していた鈴葉の目の前に、燃える森が立ちはだかる。ぐるりと回ってきてしまったのだ。ちょうどレーザーは左から右へ向かって来ており、正面と左右の逃げ道が塞がれる。


「ちょっと熱いかもだけど、我慢してね」


 鈴葉はスピードを落とさず、前進して高度を上げる。燃える森の熱気が二人の肌を焦がすが、すぐに開けた夜空に踊り出る。鈴葉の詳細な位置を隠していた木々がなくなり、空中で兎と向かい合う。

 地上にレーザーを走らせていた兎は、それをそのまま鈴葉に向ける。直接狙われる羽目になるが、空中の方が鈴葉もスピードを出せる。逃げ一方の状況で、何か策はないか思考を巡らせる鈴葉だが、反撃しようにも両手は風沙梨を抱えることで塞がっている。

 自分が足手まといになっていると風沙梨も理解し、悔し気に顔を歪める。その時、風沙梨の耳に亜静の声が届いた。


「亜静さん……?師匠、亜静さんが彼女の上空に兎を誘導しろと。誘導出来たら、兎の周辺を飛び回って時間を稼げ、森を燃やさないように気をつけて……らしいです」

「え? 何するの?」

「わ、分かりません」


 鈴葉から見えないが、風沙梨の聴覚によると亜静は地上で兎と争っていた場所にいるらしい。現在鈴葉たちは逃げるうちに野老屋のろうやの森側に少し移動していた。

 亜静が何を考えているか分からないが、他に策もない。鈴葉は兎が下にレーザーを撃たないように、彼女のさらに上を飛んで亜静のいる方向へ戻る。鈴葉を追従するレーザーを放ちながら兎も後を追ってくる。ジグザグに飛んで攻撃をかわし、風沙梨が指示する場所まで飛ぶ鈴葉。この辺りで兎の気を引けと亜静は言う。眼下の森は燃えておらず、炎がない分より暗く見えた。


「無茶すぎるよ」


 文句を言いながら、鈴葉は兎の周りをぐるぐる飛んで回避を続ける。レーザーを放ち続ける兎の少女は、限度を超えた妖力の使用によってできた体中の傷を増やし、血を流しながらも諦める様子はない。自滅も覚悟で鈴葉を倒そうと必死になっている。


「ちょっと! それ以上したらあなた死んじゃうよ!」


 目の前に飛んで来たレーザーをくぐるように回避し、鈴葉は兎に叫ぶ。兎は声が聞こえていないのか、血走った目をしてぶつぶつと薬がどうこうと何度も呟いている。一歩間違えばレーザーに焼き払われる状況と、相手の狂気に恐怖を覚え、策があるなら早くしてくれと鈴葉は亜静に祈った。




 一方亜静は、帽子の後ろについたリボン、その先端に結んである十センチ強もある二つの紫の珠――闇の妖鉱石ようこうせきを両手に持っていた。自身の妖力を注ぎ、妖鉱石の質を高めていく。兎を圧倒し、今も月光が当たる場所に立っている亜静だが、妖鉱石に妖力を急速に奪われていく。妖鉱石を生み出す、質を高め強化するには膨大な妖力が必要であり、半月の光で強化された亜静でも顔色を変える。これが満月であればと亜静は内心で文句を言う。亜静自身かなり力を持った妖怪で、月の光なしでも鈴葉を上回る存在であった。それほどの妖力が二つの珠に注入される。


「まあ、ギリギリってところかしら」


 亜静は大きく息を吐いて言う。呼吸が乱れ、顔色も少し悪い。それでもその表情は不敵に笑っており、上空で攻防を繰り広げる二つの影を見上げた。

 両手に持った妖鉱石に、僅かな妖力を流す。今回は妖鉱石の質を上げるためではなく、その効果を発動させるためだ。妖鉱石の力を使うために注ぐ妖力は僅かで構わない。

 闇の妖鉱石は暗闇を生んだり、物に隠蔽の効果を付与することができる。亜静は妖鉱石を使って黒い霧状の暗闇を生成する。夜の闇に紛れるそれを兎の上空に集めて行き、やがて兎中心に半径三十メートル程の雲のような暗黒が空に浮かぶ。月と星の光を遮り、巨大な影が鈴葉と風沙梨、そして兎を覆う。


「えっ?」


 徐々に暗くなったために、三人ともすぐに空の変化に気がつかなかった。豪快に攻撃を放っていた兎のレーザーがぷつぷつと途切れ、ようやく三人は周囲の暗さに気がつく。自分たちの上空を見上げると、星一つ見えない黒い空間が広がっている。下方にも火のついていない暗い森。


「そ、そんな……」


 兎が絶望の声を発し、月光を集めて作っていた翼が点滅する。翼の維持するための妖力が兎に残っているはずもなく、翼の消滅と共に兎は地上へ落下していく。


「あっ!」


 慌てて鈴葉が落ちる兎を追う。兎は力をほとんど使い果たし、とても受け身を取れそうにない。鈴葉は風沙梨に強くしがみつくように言い、左手だけで風沙梨を支える。右手を伸ばし、兎の服の襟を掴む。必死に羽ばたいて重力に逆らうが、二人も抱えて飛ぶことはできないと鈴葉自身分かっていた。せめて落下速度を抑えようとし、落ちる兎に引っ張られて共に地面へ吸い寄せられる。


「うっ!」

「おっと」


 結局兎は茂みの上に落ち、鈴葉は直前で手を離して風沙梨と共に無事に着地する。茂みがクッションとなり、兎の落下による怪我は軽い擦り傷程度だった。重い身体を引きずるように茂みから抜け出して来る。


「上手く行ったわね」


 両手に砕けた妖鉱石を持った亜静が合流する。妖鉱石は既に役目を終えているが、空の暗闇はまだ健在だ。亜静によると後十分程は持つらしい。

 兎はよろよろと立ち上がる。妖力枯渇による傷から血が流れ、目も虚ろだがまだ敵意を向けてくる。


「この薬は差し上げますから! まずはあなたがこれを飲んでください!」


 風沙梨が丸薬を手に乗せ、兎に手を伸ばす。兎は薬をじっと見つめ、次の瞬間、驚愕の表情を浮かべた。



――――――



 友達が苦しんでいる。行かなくては。

 どこに行けばいい? ここはどこだ?

 暗い。夜の森。

 なぜ自分はここにいるのだろう。何をしていたのか分からない。


 苦しい。この苦しみが自分のものなのか、友達のものなのかも分からない。

 何も分からない。


 よろよろと暗い森を歩く。どこに向かっているか分からないが、何となくこの先に友達がいるような気がした。

 友達は何に苦しんでいるのだろう。自分もなぜ苦しいのだろう。

 自分たちに危害を加える者は全て排除する。

 とりあえずそれだけ考えればいい。

 怒りが思考を真っ赤に染める。暗い森も、空も、何もかもが赤く見えた。

 怒りの肥大化は止まらない。膨れ上がったそれは思考力すらも焼き尽くした。



――――――



 兎の少女は苦しそうな表情をはっと驚きに変える。また理性をなくして襲ってくるかと警戒した鈴葉たちだが、少女は後ろを向く。燃えている森と逆方向、兎の前には先程落下した茂み、その奥には暗い森。


「この力……!」


 亜静も何かを感知し、森の奥に視線を向ける。つられて鈴葉と風沙梨もそちらを見る。暗い夜の森から、何か不快感のある力が近づいて来る。胸の奥がざわつくような、何か衝動に駆られそうになる感覚がする。


「何なの?」


 接近する不気味な力に、鈴葉は思わず呟く。じっとりとした嫌な汗が背中を伝う。


「だ、駄目! 来ては駄目です!」


 兎が森に向かって悲痛な叫び声を出す。茂みを避けて森の奥に向かおうとするが、足がもつれてうつぶせに倒れる。


「はっ! 風沙梨! 今がチャンスよ!」


 亜静が我に返り、倒れた兎を抱き上げ、風沙梨の方に連れて来る。兎は抵抗せず、茂みの奥を泣きそうな目で見つめている。

 亜静に揺さぶられ、自分の役目を思い出した風沙梨が、兎の口に丸薬をねじ込む。兎は吐き出す様子もなく、ずっと同じ方向を凝視している。


 兎を風沙梨に任せ、鈴葉と亜静が近づいて来る力に警戒し、各々武器を手に取る。


「この力、野老屋村にかけられた術と同じ妖力。黒幕よ」


 亜静が闇の槍を手に、鈴葉に伝える。空に暗闇を作るのに妖力を消費したため、その表情に余裕はない。鈴葉も妖力の消費は少ないものの、風沙梨を抱えて回避を続けた肉体の疲労がまだ残っている。それでもいつでも動けるように全身に力を巡らす。


 シュンッ!


 鈴葉と亜静の間に赤い塊が飛んでくる。両者別々の方向に跳んで回避し、風沙梨は兎を連れて相手と距離のある茂みに身を隠す。

 飛んで来たのは赤い槍だった。亜静の闇の槍と同じく、槍の形をした妖力の塊だ。周囲の土を爆散させ、深々と地に突き刺さっている。そしてようやく、茂みの奥から槍と同じ赤い妖力を纏った人物が姿を現した。足取りはふらふらしていて、呼吸も不規則。右手に飛んで来たのと同じ槍を持っている。


「う、そ……」


 鈴葉が掠れた声を出す。

 赤い瞳をぎらつかせた黒幕がその声に反応して鈴葉の方を見る。短い金髪、狐の耳と尻尾、背には四枚の黒い翼。袖のない腰までの白い着物を赤い帯で巻き、その下に黒いミニスカートを身に着けている。黒いハイソックスに、歯の長い赤い下駄。鈴葉とどこか似た雰囲気の獣天狗けものてんぐ


霊羽れいは……」


 ぽつりと鈴葉は妹の名を口にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る