#10「月光」
月と星の明かりで見えていた黒煙もすでに消えており、森が燃えている様子もない。まだ距離もあるため、爆発があった場所の正確な位置は分からない。鈴葉は記憶を頼りに、おおよその目安をつけてその場を目指す。もうすぐ草原が終わり、木々が生い茂る虹の森に突入しそうだ。
風沙梨はソリに掴まって進路を確認しつつ、白からもらった丸薬の袋を確認していた。中に一センチほどの茶色い粒がぎっしり詰まっている。ほのかに甘い香りがする。まるでチョコレートのような……見た目も相まってその味が気になってしまった風沙梨だった。
そんな風沙梨だが、その鋭い聴覚がとある音を捉える。
「師匠、あちらから何か音が」
二百メートル程先の、虹の森と草原の境界を指差す風沙梨。夜目が効く鈴葉がそちらへ目を凝らす。数秒視線を彷徨わせ、その目は二つの人影を見つける。そして鈴葉にも風沙梨の捉えた音、前方の二人が発する怒鳴り声が聞こえた。
「祭りにいた人かも!」
鈴葉は爆発があった場所の目立つ木を覚え、地上の二人に向かって高度を下げて行く。せっかく白から薬を貰ったのだ。一人でも多く救えるならその方がいい。争っている二人から十メートルくらい離れてソリを降ろし、鈴葉も着地する。飛行中に温いながらも全身に当たっていた風がなくなり、じっとりとした空気が鈴葉と風沙梨に不快感を与える。
争っている二人はまだ幼さが少し残る若い見た目の男女だった。耳や翼などの特徴はなく、種族は特定できない。祭りで買ったのか、二人とも頭の後ろにお面をつけている。そんな二人は殴る蹴る、掴み合いなどをして揉めていた。
相手に自我があるのか確かめるため、鈴葉がわざと二人の視界に入る位置で彷徨いてみるが、全く警戒されない。やはり祭りにいた者と判断していいだろう。
「そういえばその薬、どうやって飲ませるの?」
戻ってきた鈴葉が風沙梨の持っている丸薬が入った袋を見る。話が通じない暴れる相手に、薬を差し出して飲んでもらうなんてことできるわけがない。
「甘そうな匂いがするので、口にさえ入れられれば勝手に飲んでくれるかも知れません。口にさえ入れられれば……」
鈴葉が相手を拘束し、風沙梨が薬を口にねじ込む。二人の頭には同じ考えが浮かんでいた。しかし相手は二人。片方を拘束している間に、もう片方に襲われることは容易に予測できた。
「風沙梨は……あそこ! あの曲がった木のところで待機しておいて! 私が小柄な女の子の方を連れて行くから、一人ずつ正気にさせて行こう」
「分かりました」
空を飛べるからこその鈴葉の提案だ。風沙梨は頷き、男女に気づかれないように身を低くして鈴葉に指示された場所まで移動する。百メートル程離れた場所の曲がった木の下で、風沙梨がオッケーと手を振る。
鈴葉は風沙梨と男女の間に移動する。そして団扇を取り出し、男女に一番近い木の枝に向かって風を圧縮させた刃を発射する。どさりと枝が落ち、葉がガサガサと音を立てる。
その音で危害を加えられると思った男女の視線が枝の方に向く。その隙に鈴葉は地を蹴り、なるべく音を消して翼をはためかせ、素早く少女に接近する。気づかれることなく少女の背後に迫り、羽交締めにして宙に持ち上げる。
少女は怒りの声を上げて鈴葉を振り解こうと暴れるが、鈴葉にしっかりとホールドされたまま上空に誘拐される。
少年の方は争い相手を奪われて怒声を上げていたが、少年の背後、ちょうど鈴葉が切り落とした枝の方からバチンと何かが弾ける音がし、そちらへ興味を向けた。風沙梨だ。音を操る能力で何もない場所に音を発生させ、少年の気を引いてくれたのだ。
鈴葉は暴れる少女にバランスを崩されながらも、無事に風沙梨の元まで辿り着く。
「じっとしててね」
鈴葉は着地し、少女を後ろから抱きしめるようにして動きを封じる。もがく少女だが、その小柄な体格では鈴葉を振り解けなかった。怒り狂って咆哮を上げる少女のタイミングを見て、風沙梨が彼女の口に丸薬を放り込む。
「ぐっ、ん?」
少女は甘みを感じたのか、薬を吐き出すことなく味わっている。口の中で溶かしていいのか不安になる風沙梨だが、徐々に少女の抵抗が弱まっていく。それを見て鈴葉は少女を地面に降ろしてやった。
少女はぼんやりとした目で虚空を見ていたが、少しすると意識が戻ってきたようで、鈴葉と風沙梨、そして周囲に不思議そうな視線を向ける。
「えーっと……」
「私たちの言葉、わかりますか」
「え、はい」
しっかりと受け答えができた。鈴葉と風沙梨は顔を見合わせ、ぱっと表情を明るくする。少女は知らない人に当たり前のことを聞かれ、何が何だかという様子だ。
「実は――」
風沙梨が簡単に事情を話す。祭りにいる人が全員自我を失って暴れ回っていたこと。そして少女もつい先程までその状態だったこと。少女は信じられないと目を丸く見開いている。
「兄と祭りで食べ歩きをしていたのは覚えているんですが、自分が暴れていたことは全く覚えていません……」
少女は戸惑いながら話す。記憶はなくとも、暴れていたのは事実。困惑した顔には疲れの色が少し滲んでいる。
「そ、そういえば兄は!?」
「向こうにあなたと揉めあってた男の子がいるんだ。もしかしたらお兄さんかも」
少女は鈴葉の言葉を聞くと、男がいると示された方に駆け出す。
「待って! 凶暴化してるから近づくと危ない!」
鈴葉が叫びながら低空飛行で少女を追いかけ、後ろから風沙梨も続く。しかし少女は止まらず、折れた木の枝を振り回している少年へ走っていく。
「兄ちゃん!」
少女の呼びかけに少年が反応する。獲物を見つけたとばかりに少年は木の枝を片手に、少女へ唸り声を上げながら向かってくる。
少女は兄の異常な様子を見て足を止める。鈴葉が少女を追い抜き、息を切らした風沙梨が少女の隣へやって来た。
「はぁ、はぁ……。この薬を飲ませれば元に戻ります。師匠がお兄さんの動きを止めに行ったので、あなたはここで待っていてください」
「う……。私も手伝います! 兄は結構力強いんです!」
少女はそう言って走り出す。強い決意と、相手の異変を警戒した鋭い目つきだった。身内のことだし居ても立っても居られないのだろうと、風沙梨はため息をつく。そして自分も薬を飲ませるために再び走り出し、能力を使って鈴葉に声を届ける。
『師匠、聞こえますか? お兄さんは力が強いそうです。油断しないようにしてください。あと、妹さんも協力してくれるみたいです』
鈴葉は急に耳元から聞こえた風沙梨の声に驚いて辺りを見回す。後ろに少女と風沙梨の姿があるのを見て、能力で声を届けられたのだと状況を理解する。了解と手を振り、どうしようかと少し考える。
少女より体格のいい少年、身長は鈴葉と同じ百六十程で、確かに鈴葉一人で抑えるのは難しそうだ。なるべく相手を傷つけず、かつ鈴葉と少女が安全に少年を取り押さえる方法。
少年は前方上空に迫っている鈴葉に向かって木の枝を振るう。空を飛んでいる鈴葉に当たることはないが、鈴葉の接近を阻むには十分だった。少年の右へ左へと飛んで撹乱するが、少年は素早く体の向きを変えて鈴葉から視線を外さない。
「別の場所に気を引ければあの枝もなんとかなるかもしれないけど……」
風の刃を飛ばすのは少年を傷つける恐れがある。風以外で鈴葉にできることは……。
「幻術……!」
妖獣と天狗の特性を持つ
「風沙梨! 今から幻術でこの子を惑わす! その隙に拘束するから、薬の準備よろしく!」
風沙梨と少女に少年が気づかないよう、視線を少年に固定したまま伝える鈴葉。耳元で風沙梨の了解の返事が聞こえる。視界の端で風沙梨が少女に鈴葉の作戦を伝えているのがちらりと見えた。
風沙梨から準備ができたとの報告が入ると、早速鈴葉は少年に術を施す。相手の意識に干渉する術は、気づかれて妖力による抵抗を受けると失敗することもある。しかし自我のない状態の少年は鈴葉の幻術が干渉していることに気づくことなく、あっさりと術にはまる。少年の視界には、握っている木の枝が鈴葉の手に見えていた。空飛ぶ相手を捕まえたと思った少年は、木の枝を地面に叩きつけ、幻の鈴葉をげしげしと踏みつける。細い枝が折れてパキりと音を鳴らすが、少年はその違和感にも気づかない。
鈴葉は少年の背後に降り、その隣に少女がやってくる。
「私が腕を抑えるから、あなたは足をお願い」
「分かりました!」
せーのと小声で合図し、鈴葉と少女が少年を捕らえる。鈴葉は羽交い絞めに、少女は少年の太ももに両腕を回して動きを封じさせる。少年は背後からの拘束に驚くが、すぐに離せと手足に力を込める。その力の強さに振り解かれそうになり、鈴葉と少女は歯を食いしばる。長くは持たない。風沙梨が少年の目の前に立って薬を投げ込むタイミングを待っているが、なかなか口を開けてくれないようだ。
「兄ちゃんのバカ!」
少女がそう怒鳴り、少年の足に噛みつく。少年は痛みに怒り、大声と共に口を開ける。
「ひえぇ」
風沙梨がびびりながらも、その口に丸薬を放り投げる。そして一目散に鈴葉の後ろへ逃げる。
薬を飲み込んでくれるか、はらはらして先の展開を待つ三人。次第に少年の手足の力が弱まり、少女の時と同じようにぼーっとした状態になる。
「上手く行ったみたいだね」
疲れたと溜息をつきながら、鈴葉は少年を開放する。少女も拘束を解き、まだ意識がはっきりしていない兄の正面に立って懸命に言葉を投げかけている。
「あ? 俺、何してたっけ?」
「兄ちゃん!」
少年ははっとしてキョロキョロと辺りを見回す。そして少女に抱き着かれ、困惑して首を傾げていた。
鈴葉と風沙梨は改めて二人に祭りの現状を伝える。やはり少年も祭りで楽しんでいた記憶しか残っておらず、現場で何があったのかは分からないようだ。
「結局事件の手がかりはなしかぁ」
「まあ、二人を救えてよかったじゃないですか。この調子で他の方も助けて行きましょう」
肩を落とす鈴葉に、風沙梨が前向きに慰める。
その時、虹の森の方から爆発音がした。四人は一斉に音のした方を見て、さらに鈴葉は空に飛び上がって場所を確認する。白と別れる前に見たのと同じだ。目印にした木から少し移動した場所で、黒煙がもくもくと夜空に昇っている。
「あっちも何とかしなきゃね」
鈴葉は風沙梨の隣に降り立つ。少年と少女はどうすればと互いに目配せしている。そこに風沙梨が指示を出す。
「もし手伝ってくれるのでしたら、お二人は村に向かってください。あなたたちが飲んだ薬をくれた仙人が、村にいる人々を正気に戻そうと奮闘してくれています。きっと人手不足なので、協力してくれると大変助かります」
少年がどうすると少女に尋ねると、少女は即頷く。
「あなたたちは私と兄ちゃんを助けてくれた恩人、もちろん手伝わせてもらいます!」
「分かった。俺も協力する。暴れる人を拘束するくらいなら俺だって役に立てそうだしな」
「ありがとうございます!」
二人の言葉に風沙梨が顔を綻ばせる。
「二人とも気をつけてね」
「はい、そちらも」
鈴葉は少女たちに声援を送ると、風沙梨を抱き上げて翼を広げる。爆発のあった場所までそう遠くない。ソリを使わずとも移動に苦労しないだろうと予想した。
「行くよ!」
「はい!」
鈴葉と風沙梨が空へ飛び立つ。すぐに森の木より高くまで飛び、一直線に目的の場所へ向かった。二人を見送り、少女と少年も野老屋村へと駆け出した。
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