第26話 死ぬことのできない心環

 生い茂る木々に囲まれた墓場に、病衣のような服を着た心環ここあが立っているのは、明らかに異質だった。


 いや、そんなことはどうでもいい。


「死人……? え、でも」


 今まで見た死人は皆、表情は虚ろで何を考えているのかわからなかった。でも心環は明るく笑っている。それが死人だとは思えなかった。


「心環、もしかして、生きて……?」


「そうだよお姉ちゃん。心環は生き返ったの」


 後ろに手を引かれたような感覚があった。無意識のうちに一歩、心環の方に踏み込んだみたいだ。それを、腕にしがみつくかたりちゃんが止めたのだ。


「え? 談ちゃ――」


 本当に後ろに引かれた。談ちゃんがわたしの前に――心環との間に立つ。


「どうしたの? 談ちゃん。そこにいるのは心環だよ」


魚子ととこさんこそ、そんな都合のいいことあるわけないじゃん」


 談ちゃんがわたしの鞄に手を入れて、タナトスレターと呼ばれる便利な本を取り出した。そしてその中に手を突っ込んで、長い柄を引っ張り出す。大鎌を抜きだそうとしているのだ。


 心環がそれを見て笑った。


「あなたがそれを言う? たまたまお姉ちゃんが近くにいたから、生き返れたんでしょう? それこそ、都合よく」


 心環は絵本のような大判の本に手を入れて、身の丈ほどもある大柄の剣を引き抜いた。


 わたしが心環によく読んであげた『尾羽切りのヘルヴェール』という絵本に出てくる剣によく似ている。


「ま、待ってよ二人とも! 何をする気なの? そんな物騒なものすぐにしまって!」


「それは聞けない相談だよお姉ちゃん。わたしはお姉ちゃんを迎えに来たんだから」


「迎えにって……どこに行くつもりなの?」


 心環はゆっくりと、人差し指を空へと向けた。


「あの世だよ。お姉ちゃん」


 金属音が森の中に響く。


 談ちゃんの大鎌が、心環の剣を叩いたのだ。


「やめ――」


 談ちゃんを止めようと肩に手を伸ばすと、そのまま腕を掴まれて引っ張られた。


「逃げよう。魚子さん」


「で、でも……!」


 談ちゃんに引っ張られるがまま、墓地を抜ける。でも本当にこのまま逃げていいのだろうか。心環の話を聞いてあげなくていいのだろうか。


 そんな考えが、わたしの足を重くした。


 それが伝わったのか、談ちゃんが足を止めて正面からわたしの胸倉をつかんだ。


「魚子さんしっかりして! 心環はタナトスレターを持っていたし、魚子さんを殺そうとしてる! 死人と同じなんだよ!」


「死人と同じかぁ。確かにそうかも」


 わたしが答えたわけじゃない。振り向くと、心環が剣を振りかぶっていた。


 避けないと。そう思っていても、体はとっさに動かない。


 目の前で火花が散った。金属の棒が剣を受け止めている。


 背中に談ちゃんの乱れた呼吸を感じた。談ちゃんの腕がわたしを抱きしめるように伸ばされている。その腕が、わたしを守る大鎌を支えていた。


 大鎌の弧を描く刃は、心環の方を向いている。


「うわぁぁぁぁぁ!」


 談ちゃんの、悲鳴にも似た叫び声が木々を揺らした。剣をはじき返すように、大鎌が薙ぎ払われる。


 その切っ先が心環の喉元をかすめるのが、コマ送りの映画のようにはっきりと見えた。


 視界が真っ赤に染まる。何が起きたのか、理解しているのに理解したくなかった。


 小道を赤く汚しながら倒れる心環を見て、わたしの頭の中も真っ赤になった。


「何を! 何をして!」


 談ちゃんにつかみかかって、ただ感情を吐き出して、そのぶつけ方もわからず、ただ談ちゃんの制服の襟を強く握りしめた。


「あ……あっ…………」


 談ちゃんから、震えるだけの声が小さく漏れている。談ちゃんの目はわたしを見ていたけれど、わたしを見れていなかった。焦点の定まらない目は、ただ開いているだけだ。


 わたしは談ちゃんを胸に抱き寄せた。


 何をしてしまったのか、それを一番理解しているのは談ちゃんなのだ。無機質な大鎌越しでも、きっとその感触は談ちゃんの手に伝わっている。


 わたしの真っ赤な感情をぶつける先は、談ちゃんではない。それがどこなのかは――


「あー痛かった。やっぱ嫌だね。生きてるって」


 柔らかく湿っぽい声が、後ろから聞こえた。


 本当は喜ぶべきなのだろう。だけど、わたしの心は冷たく怯えていた。


「こ……こあ?」


 恐る恐る振り向くと、純白だった服を真っ赤に染めた心環が、何事もなかったかのように立ち上がっていた。


「ど、どうして……?」


「心環は死ねないんだ。お姉ちゃんと一緒じゃないと」


「どういう――」


「それなら一緒に生きればいいじゃん!」


 わたしの胸の中で、談ちゃんが叫んだ。


 心環が談ちゃんに剣を向ける。


「なにも知らないくせに勝手なこと言わないで。心環が死ねなかったから、お姉ちゃんはずっと苦しんでいたんだから」


 剣の切っ先の向く先がわたしへと移る。


「お姉ちゃん。すぐに苦しいこの世界から救ってあげるからね」


「させない!」


 談ちゃんがわたしの腕から飛び出して、鎌を拾った。


「わたしはあなたほど、魚子さんを知らないかもしれない! それでも! 魚子さんに生きていて欲しい!」


 談ちゃんが大鎌を心環に向けて構える。それを睨みつける心環の目は、今だかつて見たことないくらい冷たかった。


「やめてよ。お姉ちゃんは優しいんだから。あなたがそんなこと言ったら、あなたのためにお姉ちゃんが苦しむでしょ」


 心環の声に、いつもの柔らかさがない。


「逃げよう! 談ちゃん!」


 思わず叫んだ。


 談ちゃんはそれに頷いてくれた。大鎌を大きく振る。


「魚子さん! 走って!」


 言われるがまま、わたしは全力で道を駆け下りた。今度は足に重さなんて感じない。逃げないと、わたしだけでなく談ちゃんもやられてしまう。


 小道のような庭に入るまで、そう時間はかからなかった。ちらりと後ろを見ると、すぐ後ろの談ちゃんと目が合う。まだそんなに走ってないのに、ひどく息が上がっている。


「談ちゃん? 大丈夫?」


「う、うん………鎌がちょっと重いだけ」


 確かに大鎌は重いだろうし、バランスも悪そうだ。


「貸して! わたしが持つ!」


 わたしが手を伸ばすと――


「トトちゃん?」


 わたしを呼ぶ声が聞こえた。いまこの呼び方をする人は、一人しかいない。


「お婆ちゃん?」


 庭を抜けたところに、お婆ちゃんが立っていた。今日は喪服なので、わたしたちとお揃いで真っ黒だ。


「談ちゃんごめん! もうちょっと頑張って!」


 わたしはお婆ちゃんに駆け寄って、その手をとった。お婆ちゃんは呑気に、優しく笑う。


「大きな鎌じゃのぅ。草刈りでもしとったんかい? えらいねぇ」


「そ、それはいいから! お婆ちゃん! とりあえず逃げよう!」


「逃げるって、熊でも出たんかい?」


 お婆ちゃんがわたしたちの来た方向に目を向けた。その先では心環が剣を引きずるようにしながら、小走りでこちらに向かって来ている。


「待ってよお姉ちゃん。あ、お婆ちゃんもいるの?」


「ココちゃん……?」


 お婆ちゃんが夢遊病にでもなったかのように、心環の方に一歩踏み出した。


「待ってお婆ちゃん! ダメ! 今の心環は、前の心環じゃない!」


 後ろからしがみついて、お婆ちゃんを止めた。でもお婆ちゃんは「ココちゃんが……ココちゃんがおるんじゃ」と言って、心環の方に行こうとする。


 心環はあっという間に追いついて、引きずっていた剣を振り上げ――


「そういえば、関係ない人は殺すなって神さまに言われてるんだった」


 剣はお婆ちゃんの首元で止まっていた。


「騒ぎになるのは別にいいんだけど、このままだと他の人も巻き込みそうだよね? 残念だけど、今日はやめとこうか」


 心環は剣を引いて、本の――タナトスレターの中に片付けた。


「じゃあ、待っててね。お姉ちゃん」


 無邪気に手を振って去るその姿は、まるで放課後に一緒に帰ることを約束するかのようだった。


 どこに隠れていたのか、綺羅星がわたしの足元で「にゃあん」と鳴いた。

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