第七章 ダイチの秘密
だいたいの準備が終わった。あとは明後日を待つばかりだ。
晩ごはんを作りに母さんはキッチンへと入っていった。
最近はスーパーのお惣菜が多かったけれど、ひさびさに完全手作りのごはんが食べられそうだ。
わくわくしながら部屋に戻る。
コトハがクッションの上でタブレットを凝視していた。ダイチの音声といつもの音楽が漏れ聞こえている。
ちらりと大きな壁掛け時計を見やる。
「もうすぐ6時だよ」
コトハのことを父親が迎えに来る時間だ。
娘をうちに任せっきりだけれど、夕飯だけは一家揃うことにこだわりがあるのだ。
よそさまの家のことだけれど、夕飯を囲めば娘がいい子に育つと信じているようで、彼女の両親のことはあまり好きになれない。
コトハが悲しむから、口にしたりはしないけれど。
「待って。ちょっとこれを観て」
手招きする。
覗き込む。画面の中のダイチはすました顔でかなた町ハンドメイドイベントを宣伝していた。
もちろん自分自身が参加することも。
「ムカついてくるけれど、こいつがどうかした?」
「ううん。ダイチの顔じゃないの。後ろの棚」
棚、と言うと背後にある黒い木製の三段ボックスらしきものか。
モノクロのカフェカーテンがかけられていて、少しだけ空いたスキマから……。
ん?
あれ
あれれ?
コトハが細い手首をぼくに見せた。今日のビーズブレスレットにもリスのマイポンがついている。
マイポンはピンクの尖った耳にある、黄色いビックリマークが特徴的なキャラクターなんだけれど……。
カーテンから覗くぬいぐるみの耳と似ているような……。
ぼくはおそるおそる画面を指さした。
「これって、マイポンだよな?」
「やっぱりそう思うよね」
あいつ、勝負する前になんて言った?
男ならメカやドラゴンだろ、うさぎのぬいぐるみなんておかしいって言わなかったか?
なのに……自分はマイポンのぬいぐるみを持っているのかよ。しかも隠して!
「意味不明だ……!」
「なんなのあいつ!?」
コトハを見る。同じことを考えているのがわかった。
「明日問い詰めよう」
翌朝。金曜日。
玄関先で、母さんがぼくの着るものと今日の寒さについて心配してくれる。
最近はずっとミシンとにらめっこしていたから、関心が戻ってきたことが素直にうれしい。
急かすコトハといっしょに登校する。
一晩たって、あれは誰かからのプレゼントじゃないのかとか、あるいは見間違いの可能性に気づいたけれど、コトハは「それでも聞く価値はある」と突っぱねた。
教室に入ると、クラスでいちばん目立つグループの女子がぼくの机の上に座り、その周りの仲間たちと楽しげに話していた。
話題の中心にいるダイチは意外なことにむっつりとしている。
「ダイチもマイボン好きなんだ」
きれいな光の輪がある髪を、見せつけるように手で梳かす。「意外〜もっと硬派かと思ってた」
どうやら、もうバレていたみたいだ。
「クレーンゲームが好きないとこにもらったんだ。たまに遊びに来るから捨てるわけにもいかないし。
……世界中にバレて恥ずかしいよまったく」
吐き捨てるように言う。マイポンを愛するコトハの目尻が吊りあがる。ヤバい。
「そこ、ぼくの席なんだけど」
髪がきれいな女子はうざったそうに机から腰をどける。
ランドセルを置くと同時に、コトハはダイチの方を見ないで
「マイポンについていた、あのタグは正規販売用よ。クレーンゲームのぬいぐるみじゃない」
ダイチはなにかいいかけて視線を逸らした。
それが答えだった。
「つまらない嘘はつかないで」
「コトハ、それ以上は」
「立水さん」
またケンカになるぞ、と止めようとした。それを険のある声がさえぎる。
さっきの一軍女子がコトハをにらんでいた。背後にいるふたりも不服そうだ。
女子のリーダー格らしき子は口角を左斜めに上げる。表情が完全に獲物を狙うそれだった。
「いっしょにトイレいこ?」
「おい……」
「あら、乃木くんも女子トイレに行きたいの?」
「やだー変態ーっ」
とまどうぼくを尻目に、コトハは大丈夫だから、と言いたげに笑う。
情けないことに、囚人のごとく囲まれて連れて行かれる彼女を見守ることしかできない。
戻ってきたコトハは、硬い表情で、話しかけても口を閉ざしたままだった。
「なあ、待てって。あいつらになにを言われたんだよ」
あれからずっと暗い表情で、授業が終わってすぐ足早に帰ろうとするコトハを呼び止める。
いままでにないことだった。
コトハはおびえたような目をぼくに向けた。
不穏で、胸がドキリとする。
「女同士の話に口を突っ込まないでよ」
「女子とか男子とか関係ない」
ぼくはきっぱりと言い切った。
「コトハにひどいことをするやつは、全員ぼくの敵だ」
一瞬目を輝かせ――はあ、とため息をつかれた。なんで?
「そう単純な話じゃないんだよ。……ごめん。わたし、今日はこのまま家に帰るね。しのぶさんにも伝えておいて。
バイバイ」
遠ざかっていくブラウンのランドセルを、立ち尽くしたまま見送ることしかできなかった。
情けない。
情けない情けない情けない!
ぼくは学習机に突っ伏して、こぶしを強く打ち付けた。
「痛い……」
赤くなった手を見つめる。
ぴょんたろうを縫うからと、大事にしてきた手。
いまは関係ない。
――コトハがいじめられたかも知れない。
なのになにもしてあげられない。
保育園でぼくをからかった子たちを、コトハは蹴散らしてくれた。
あの頃よりずっと大きくなったのに。
もう赤ちゃんみたいな手ではないのに、ぼくは彼女をかばうことすらできなかった。
だいたいなんだあいつら。女子トイレ? 変態? いつの間にそんな会話テクを使うようになったんだ?
「……どうしたらいいんだろう」
頭を抱える。
そんなぼくをぴょんたろうのたくさんの瞳が見つめていた。
その日の夜、夢を見た。
幼いコトハとぼくがはしゃぐ。
玄関先から夏さんのやさしい声がする。
なにげない、しあわせな時間の夢。
ずっと続くと信じて疑わなかった。彼女の言う通り、そんなの全然違ったのに。
――夏さんが17の誕生日を迎えた日、彼女の一家はこつ然と姿を消した。
近所にはいかつい人たちがうろついて、しばらく自由に外出できなかった。
父親の事業が失敗して、借金を抱え夜逃げしたのだと、大人たちは噂していた。
翌々日。
ぼくらは第6回かなた町ハンドメイド市の当日を迎えた。
母さんが心配するから、表面上はいつも通りで。
本当はギクシャクしたまま。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます