ホワイト・デーのお返しを
ファラドゥンガ
前編 チケット・トゥ・ライド
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
俺はそれを黙って見守りつつ、線路上を見張っていた。いつ〈検閲官〉が訪れるか分かったものではない。見つかったら、俺たちは忘却の彼方に追放されるかもしれない。
「おい、発太。9回目の夢、思い出せそうか?」
「……ああっ!黙ってくれよ!今、帽子のツバ辺りまで出かかっていたのに!」
奴の記憶はどうやら、喉元や口や頭を通り越してしまったらしい。
案の定、紙切れには「あの夢を見たのは、これで9回目だった」と書かれた文字だけがびっしり。
そして、ペンはハァハァ……と息を切らして、今にも倒れそうな気配。
「おい、発太。本当に9回目の夢は見たのか?」
俺は心配になって、声をかける。
「ああ、えっと、うん。……いや!はあぁ」
意味不明の返事を示しながら、発太は帽子を掻きむしっている。
ぐふっ……とペンがインクを吐き出した。
俺はこれ以上、発太の邪魔をせずに、見張りに徹した。
「やれやれ、どこに行っちまったんだ。おてんば娘……」
どうしてこんな状況になったのかを説明するためには、少し前に時間を戻さねばならない。
* * *
俺達は夢の住人だ。そして、ここは
少し前に、彼女はチョコレートを餌に、夢の秘密を帽子の下に隠し持つ男・
そして秘密は暴かれた。が、夢の秘密が秘密でなくなった途端、現実感に襲われた有栖は覚醒してしまい、夢の世界は崩壊した。
俺と発太はあわや消滅寸前であったが、そこに運良く夢列車が横切ったのである。
夢列車は、夢から夢へと突き進む。
俺達は無我夢中で飛び乗った。
そして、その時の有栖の夢をいったん離れ、いつかの有栖の夢を駆け巡った。車窓の向こうで、色々な時を経た有栖の夢が流れ去っていく。
俺と発太は向かいの席に座って、夢の景色を眺めて過ごした。
「只今、8回目の夢を通過中、8回目の夢を通過中……」
見知った連中が有栖と愉快な冒険に繰り出している。
その中に、別の夢の俺たちの姿もあった。
「不思議なもんだなぁ……違う夢に出演している自分を眺めるというのは」
発太は珍しく感慨深い面持ちで、窓辺に頬杖付いて夢を眺めていた。
車窓の向こうの世界で、俺と発太は相変わらずバタバタと走り回っている。
その一方で、傍観者でしかない俺たち。
除け者にされたような寂しい感じだ。
俺はそれが嫌だった。
「なあ、発太よ。俺たちはひと月前くらいに、有栖からチョコレートをもらった仲だ。それは俺たちの出た夢でしかありえなかったんだ。誇りを持とうぜ?」
「そうだったね、マイフレンド……あ、そうだ!」
発太はそう言って、懐からゴソゴソと何かを取り出した。
それは、綺麗な赤と白の格子柄でラッピングされた、小さな箱だった。
「これ、僕らの夢からとっさに持ってきたんだよ」
「なんだよ、それ」
「チョコレートさ。バレンタインデーのお返しってわけだ」
発太はこういうイベント事の時だけはしっかりとしていて、そこには好感を持てた。
「それ、有栖に渡しに行くのか」
「そこだよ、問題は。別の夢からやって来た僕らを、その夢の有栖は受け入れてくれるかどうか」
が、その時だった。
列車が大きく揺れて、俺達は思わず抱きしめ合った。(発太が強引に飛び込んできたのだ!)
そして、窓側に顔を向けていた発太が、ある情景を見てしまった。それというのが……。
「有栖さんが、消えていなくなった!」
ある夢を過ぎてから、有栖は忽然と姿を消してしまった、らしい。
発太に揺さぶられた俺は、すぐに車掌に報告した。
「この世界の主である有栖が消えたんだ!すぐに緊急停車してくれ!」
「いやいや、それはなりまへん」
車掌は首を横に振った。
「何故だ!?」
「そういうもんやからね」と呑気な車掌。
しかも、俺達の顔を見て、余計なことを思い出してしまったのである。
「……そういやあんたら、未だ切符を拝見しとりまへんでしたわ」
俺達は、ある時の有栖の夢からこの列車に飛び乗った。つまりは無賃乗車である!
そのことが分かるや、
「あんたら、
(*ホーボー:無賃乗車をしながら、仕事を探して渡り歩いた人々。アメリカのスラングで、蔑称として使われることも。車掌は嫌味な奴です)
車掌と思いがけない戦闘を開始。
車掌が「いきまっせ!」と腕をぐるぐる回して突進してくる。負けじと俺達も応戦。
土煙が巻き起こり、ボコスカと文字が飛び交い、頭上から星が流れる!
俺達はどうにかして、車掌の頭に小さな鳥を飛び回らせ、目を回している状況に追い込んだ。
「ふう、どうにか勝利をものにしたな」
「……いや、そんなことより!有栖を探しに行かなくちゃ!」
「オッホン!」
突然、俺達の背後で野太い咳がした。
『私に注目したまえ』という意味である。
故に、誰しもが先ずは無視をする……が、発太はチラリとその方に顔を向け、
「……師匠!」と叫んだ。
その言葉に、俺も慌てて咳の本人に顔を向ける。
「お前たち、車内で何を騒いどるんだ!」
まぁるい顔に渋い表情、
師匠は常に俺達の味方でいてくれる、頼れるお人である。
しかし……。
「し、師匠!?」
師匠の下半身は割れた卵みたいにクシャリと潰れていた。
「ど、どうしてそんな姿に」
「これは、お前たちの仕業かな?」
師匠がそう言って掲げたのは、キラキラ光るお星さまだった。
つい先程、車掌とボコスカやった時に飛び出したものである。おそらくその流れ星が当たってしまった模様。
「あ……あの、それはですね」
俺は言葉を取り繕うものの、師匠の怒りは収まりそうにない。
まぁるい顔が、みるみる赤くなっていく。
「発太!飛び降りるぞ!」
「ええ!?話せばきっと……」
「師匠がハードボイルドになったら、暴力的な展開に巻き込まれちまう!」
「そりゃまずい!電子レンジで師匠をチンするようなものだ!」
こうして俺達は窓から線路上に飛び出して、何回目かの夢に転がり落ちていったのであった。
* * *
落ち着きを取り戻した俺達は、ともかく消えた有栖を探すことにした。
どうやって探せばいいのか、と思案にくれていると、
「そうだ!」と発太が何事かを
それは、これまで俺達が有栖と過ごした夢の日々だった。
「有栖が夢の世界に現れずとも、ここは彼女の頭の中に変わりない。だったら、こうして順序立てて書き起こしたものを示して、訴えるんだ!思い出して、ひょっこり出てくるかも!」
発太はスラスラとペンを走らせていき、8回目を書き終わらせて、はたとペンを止めた。
「おい、どうした?」
「9回目の内容、なんだっけ!?」
こうして、発太は帽子を掻きむしり始めた、というわけである。
この時の俺達は、有栖の消失が8回目の夢を通過中に起こったのだということを、すっかり忘れていた。
そもそも9回目の内容など書けるはずもなかったのだ。
そして、悪いことは重なるものである。
線路の向こうから、何やらガヤガヤと騒がしい物音が……。
「け、〈検閲官〉だ!逃げろ!」
無意識から飛び出した夢を、厳しく取り締まる秩序の番人だ。
別の夢から来た俺達も、きっと無事では済まされない……。
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