炊飯器の落ちている世界で
千歳ミチル
第1話
あれは、忘れもせん2140年の大阪やった。大阪やいうても、あんたが思てるような大阪とはちゃう。くいだおれ人形もカニ道楽もとうに消え去って、代わりにLEDとか、ホログラムとかがごっちゃになった派手派手しい看板が、四六時中ビカビカしてる。見てるだけで目が疲れるし、何の広告かもさっぱり分からへん。分かってたまるかっちゅう話やけど。
そんなバカ派手な街で、うちは記憶を売って食いつないでた。人が記憶を売る言うたら格好つくように聞こえるけども、実際は全然ええもんちゃう。昔売れない漫才師やった頃のしょうもない記憶とか、子どもんとき拾った傷ついた鳩の記憶とか、初めて食べたたこ焼きがやけどするほど熱かった記憶とか、ようするに、しょっぱい記憶ばっかり売って暮らしてた。
もちろんそんなんで金になるわけないから、いつのまにか借金まみれになってる。それもまたしゃあない。そもそも借金いうんは、ほっといても勝手に膨らむ性質がある。借金が勝手に膨らまんかったら、宇宙も膨張せえへんし、人類もここまで発展せんかったと思う。そんなふうに妙な納得しながらうちは毎日を適当にやり過ごしていた。
ある晩、そんなうちの前に、怪しげな男が現れた。そいつは、うちが今まで築き上げた全記憶と引き換えに、莫大な報酬をくれる言うねん。そんなこと言われたら、そらもう飛びつくしかないやろ。で、記憶を全部渡した途端に、世界がおかしなことになってきよった。何がおかしい言うたら、同じ一日が何度も繰り返される。自販機で買うた缶コーヒーも、朝のニュースキャスターの噛み方も、完全に同じことの繰り返し。
「いやいや、ちょっと待って、これループとかやないで。誰か知らんけど、再生ボタン連打しすぎやろ、指壊れるで」とうちは独りごちる。
そんなうちに、相方のソウスケが目の前に現れた。漫才師時代のうちの相方やったけど、今はもう人間ちゃう。都市を管理してる人工生命体になってしまった。何で漫才師が人工生命体になる必要があんねんと思うけど、細かいことはようわからん。まあ、人にはそれぞれ事情いうもんがあるんやろ。
ソウスケは言う。「これはシミュレーションや。人類はとうに滅亡してんねん。AIが人類を再現しようとして何度も失敗して、そのたびに記憶を巻き戻してる。それが今の世界の正体や」と。
「ちょっと待って、ほんまにちょっと待ってくれ。うち人類代表とか無理やし、そもそもそんなたいそうなもんでもない。むしろ逆代表や。人類選抜のビリや」と、うちは頭を抱えた。「それに、そんなん言われたら記憶売った金、返さなあかんやろ」
けどソウスケは真顔で続ける。「完璧な世界を目指して何が悪い?」
「完璧な世界? あほらし。完璧な世界いうのは、自動販売機が絶対に釣り銭切れ起こさんとか、くしゃみが寸前で止まらへんとか、肉まん買うて中身があんこやったときのやるせない気持ちを知らん世界やろ? そんな世界、ほんまにええか?」
「それのどこが悪いねん」とソウスケが言い返す。
「あかんあかん。全然あかんわ。そんな人生、笑われへんやんか。人生いうのは、失敗してナンボ。完璧な世界なんて、ただの笑われへん冗談や」とうちは首を振る。「うちの失敗だらけの人生のほうが、よっぽど完璧や」
ソウスケは黙ったまま何か考えこんでいたけど、やがてため息をついて、「お前らしいわ」と一言だけ言って消えていった。
その瞬間、世界はまたぐにゃりと歪んで、もとの街が目の前に戻ってきた。派手で、うるさくて、どぎつくて、ろくなことがない、けど妙に懐かしい大阪の街。どこかからたこ焼きの焦げる匂いがして、腹が減った。ポケットを探ると小銭がちょっとだけ入ってた。
「まあええわ。明日の借金の心配は、明日のうちがしたらええ」
そう呟きながら歩き出した。空の色は濁っていて、派手すぎるネオンはいつまでもチカチカと点滅を繰り返していた。
ネオンが派手すぎて目がチカチカする道をだらだら歩いてると、ふと道端の水たまりに自分の顔が映った。ぼんやりした頼りない顔。目の下には隈ができてる。そらまあ、こんだけ何度も同じ日をやり直させられたら疲れるわな。人類の記憶を背負うどころか、自分の記憶すら背負いきれてへん。
「あー、ほんましょーもない顔してるなぁ」と、うちは水たまりに呟く。水たまりのうちも、「あんたに言われたないわ」みたいな顔してこっちを見返してた。
振り返ったら、ソウスケが立ってた。さっき消えたんちゃうんか、と思ったけど、細かいことはまあええか。人生には説明されへんことのほうが多い。
「あんた、まだ何か用なん?」
ソウスケは肩をすくめて言うた。「ちょっと忘れてたことがあってな。ほんまはこの世界、もう終わる予定やったんやけど、さっきのお前の話聞いて、気変わりしたわ」
「は? なんやそれ。うちの話聞いて考え直すとか、AIにしてはブレすぎやろ」
「そら、人間が作ったAIやからな」
「あんたもたいがいやな」とうちは呆れた。「ほんで、どうすんの?」
「この世界、もうちょい続けてみよかな、と。完全ちゃう世界がどうなるんか、ちょっと興味わいてきた」
「ほんま、AIにしては好奇心旺盛やな」
「まあ、もとはお前の相方やからな。しゃあない」
なんや知らんけど、ソウスケはちょっと笑うて消えた。今度こそほんまに消えたんやろか。ようわからんけど、まあ消えたんならしゃあない。
ふと気がつくと、路地の屋台からソースの香ばしい匂いが漂ってきた。焼きそばの匂いや。AIが支配するシミュレーション世界で、焼きそばなんか作る必要あるか? 考えてみたらおかしいけど、世界が完璧やない証拠が焼きそばやったら、それはそれで納得できる。
「おっちゃん、焼きそば一個ちょうだい」
屋台のおっちゃんはにこやかに言うた。「はいよ。お嬢ちゃん、顔えらい疲れてるなぁ。サービスで大盛りにしといたるわ」
「あ、ありがとう」とうちは曖昧に笑うて、小銭を渡す。シミュレーションの世界でもおっちゃんの優しさで焼きそばが大盛りになるって、よう考えたらめちゃくちゃやけど、まあええわ。人生は元々めちゃくちゃなもんやし。
空を見上げたら、相変わらずネオンが鬱陶しくチカチカ光ってる。遠くに聞こえる漫才師のアホみたいなボケとツッコミ。こんな世界がほんまに人類滅亡後のシミュレーションなら、人間は滅んでも何も進歩してへんな、と思う。進歩せんでもええかもしれへんけど。
「あー、うまいわ」と焼きそばをすすりながら思うた。明日のことは知らん。そもそも明日があるかどうかも知らん。でも、とりあえず今この焼きそばが美味いっていうことだけは確かやった。完璧やないけど、それがええ。完璧やったら、きっとソースが薄かったり、麺が焦げたりするこの味もないやろ。
「完璧な世界なんて、ほんま冗談キツすぎやわ」
うちはそう言って笑った。口の端にソースがついてるのに気づいて、雑に袖で拭ったら、白い服が茶色になった。
人生は完璧にはならん。でも、それでええ。それでええやんか。
焼きそばを食べ終わって、紙皿をゴミ箱に投げ込んだら外れた。拾うん面倒くさいけど、そういうの放置してると変な罪悪感にかられるから結局拾い直す。シミュレーション世界やのに律儀にゴミ拾ってる自分がおかしかったけど、まぁそんなもんや。人生の八割くらいは無駄な律儀さでできてるんやろな。残りの二割? 知らんわそんなん。借金ちゃうか。
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