破
【破】
「くれぐれも
比義とともに村長宅を出発する
どうやら庄吉は村長の孫らしく、あまりに遠慮せずに口酸っぱく注意されていたものなので、実際に釘が刺されていたらば全身釘まみれの釘
「庄吉殿、ここ数日のうちに行方が知れなくなった村人など居りませんでしたか」
「そのような者が居るとは耳にしておりません。あと比義様、ぼくのことは呼び捨てで構いませんよ」
「いえいえ、協力してくださる方には礼を尽くせというのが師の教えでして。庄吉殿こそ、私なぞに様付けは不要ですよ」
「爺さ……村長が比義様と呼んでるからには、ぼくがやめるわけにはいきません。怒鳴りつけられてしまいます」
庄吉は弱弱しい笑い声を小さく漏らすと肩をすくめた。
「ぼくからも質問してもよろしいですか」
「どうぞ」
「村長からさっき聞かされたばかりでまだ半信半疑なんですけど、顔剥ぎっていったい何なんですか?」
村長に呼びつけられた庄吉は、身内ということでもしものときの扱いに都合が良いと判断されたらしく、秘匿されてきた情報を簡潔に教えられて比義の付き人として送りだされていた。
だしぬけに庄吉は慌てて口元を押さえると、「口にしてもいけないことでしたか」と声を殺して不安げだ。もしや誰かに聞かれてやしないかと、挙動不審にぶんぶんと首を振りまわして周辺を確認していた。
庄吉があまりに心配しているものだったので、比義はつい一笑を漏らしてから答えた。
「いえいえ、そこまで気にする必要はありませんよ。別段、口にすることが禁圧されているわけではありませんので。ただ積極的に広めることは良しとされておりません。それがどこかで勘違いでもされたらしく、いまのような機密的扱いを受けてしまっている次第です。無理に正すほどのことでもないため、現状で放任されているわけですね」
「ということは、ぼくが知っていても差し障りは特にないってことですか」
庄吉は安堵した様子でため息をひとつ漏らした。
「はい、わざわざ周知しようとしなければ問題はありません。それこそ、顔剥ぎの生まれに関わることですので」
突然とび出した情報に、庄吉は安堵からの急な落差にぎくりとして肩を弾ませた。
「顔剥ぎの、生まれですか……?」
「はい」
そして比義は顔剥ぎについて
「顔剥ぎは本来、古木の
知ってか知らずか彼らは人の顔に向けて〝手〟を伸ばし、備わっている能力で人の顔を剥がしてしまいます。そして剥がされた人の顔は彼らの食事となり、ぽっかりと顔に穴の
比義の言葉を黙って聞いていた庄吉は、時間をかけて脳内で情報を整理すると、ようやく口を開いた。
「ならば、それこそ人々に伝えるべきではないんですか。知ることで皆が気をつければ、新たに顔剥ぎも生まれなくなるはずです」
率直な意見を述べる庄吉を、比義はまるで弟子に向きあう師のように見つめ、ゆっくりと頷いた。
「皆が庄吉殿のように素直であれば良いのですが、残念ながら人の好奇心というものは厄介なもので、行くなと言われれば行きたくなり、見るなと言われれば見たくなってしまうのです。庄吉殿も思い当たることがありませんか」
比義の言葉に、庄吉は先ほどの質問を思い出した。村長から必要なことは教わったはずなのに、さらに知りたいと
「比義様のおっしゃる通りです。知ってしまえば人はその先を求めてしまいます。どんなに恐ろしい怪物だと言ったところで、肝試しや怖いもの見たさに足を運ぶ者は出てきてしまうでしょう」
「はい。なので顔剥ぎについて積極的に広めることはせず、
「たしかに……その通りです」
庄吉にとって物心ついた頃から誰もがすでに仮面をつけていた。そして自身もつけるよう育てられ、衣服を着るように当然のものとして仮面をつけて今日まで生きてきた。なぜ服を着るのか考えたことがないのと同様に、仮面をつけることに疑問を抱いたことはなかった。
「皆さん知らず知らずのうちに対策を講じているわけです。けれどそれで安全かと問われるとせいぜい一度ほど守れるに過ぎません。早いうちに見つけ出しましょう」
そう言うと比義は庄吉とともに村の中心部を離れ、まずは
家を訪ねたり道行く人に訊いたりして情報を集めようとしたが、比義が声をかけると例外なく小さな悲鳴ばかり返ってきて話が進まない。そのため比義に代わり庄吉が村人と話す役目を負うこととなった。
だが訊けども訊けども有力な情報は得られず、時間だけが虚しく過ぎていった。村長宅を出発したのが昼前だったが、いまや陽も傾きはじめて山の
「きゃあああ!」
絹を裂くような女性の悲鳴。比義はすぐさま耳をそばだて、声の方角を確かめた。
声の輪郭があまりぼやけていないため、さほど遠い場所から発せられたわけではないと判断し、庄吉に声をかけた。
「顔剥ぎか
そう言って比義は声のした方へと疾風のごとく駆けだした。
◇◇◇◇
村から離れた川沿いの洗濯場には女たちが集まっていた。皆が口々に今朝がた現れた奇妙な仮面の人物について話していた。さきほど「独りで出歩かず、不審な人物に気をつけろ」という村長の
洗濯を終えた女たちがぞろぞろと帰りはじめたが、きつねの仮面をつけた女――
「みんな帰っちまっとるが、瑠璃さん大丈夫かい」
おかめの仮面をつけた中年の女が心配そうに瑠璃に声をかけた。
「あ、はい、
「そうかい、あんまり無理はしたらいかんよ。困っとったらいくらでも頼りや」
そう言って袮々と呼ばれた女はゆったりとした足取りで歩いていく。瑠璃たちが追い付きやすいようにわざとそうしてくれているようだった。
女手ひとりで千歳を育てる瑠璃は、自分たちの衣服に加えて食い扶持のために洗濯を請け負っていた。かつて身重の身でありながら
「
千歳が瑠璃のとなりにしゃがみこんで聞いてきた。
「ん、もういいかな」
瑠璃は水から上げた衣服の汚れをざっと確認し終えると絞って振って水気を切った。そして他の洗濯ものと合わせて籠に入れると背負い、千歳に声をかけた。
「よし、じゃあ行こっか。遅くなっちゃったから、早く帰って干さないとね」
「はーい」
千歳はいつのまにか手にしていた木の枝を空に掲げてとことこと走りだした。その小さな姿に瑠璃は亡き子どもたちの面影を重ねてしまうが、感傷に浸っても仕方がないと振り払った。
水を吸って重くなった衣類で
「あ、袮々さんだ!」
しばらく歩いてようやく村に近づいてきたとき千歳が声をあげた。手にしていた木の枝が向けられた方を瑠璃が見るとたしかに袮々の姿があった。
村長の布達のこともあり心配して待ってくれていたのだろう、と瑠璃は思った。面倒見の良い袮々には昔から助けられてばかりだった。日頃の感謝だけでなく何かお礼を差しあげなければ、などと考えていると、気づけば袮々の近くにまで来ていた。
袮々は不思議なことに道を外れて林に少し入ったところに立っていた。瑠璃たちには背を向け、林の奥にいる何かでも見つめているのか動かない。さすがに奇妙さを覚えた瑠璃は袮々に声をかけた。
「袮々さん、もう、待ってくれてたんですか」
瑠璃はできるだけ明るく振る舞うよう努めて声を張り上げた。どこか嫌な予感を覚えてしまうのは気のせいだと思いたかった。だが袮々からは何の反応も返ってこなかった。
「袮々さん、どうかしましたか……?」
瑠璃の声は知らず震えていた。なぜかあの日のことが脳裏をよぎっていた。地面に転がった死体。動かなくなった夫と子どもたち。
ぎゅっと千歳が瑠璃の服を掴んだ。先ほどまでの元気さは影に隠れ、怯えた表情で袮々の背中を見つめていた。
瑠璃は千歳の手を取り、安心させるために目を合わせて穏やかに微笑んだ。そして千歳をその場に待たせると、一歩また一歩と袮々に向けて近づいた。
下草を踏む音が妙に響いていた。林は異様な静寂を湛え、生き物の気配すら消え失せているようだった。
「袮々さん……?」
瑠璃が手を伸ばして袮々の肩にトンと触れた。その振動で一瞬ぶるんと袮々の全身が震えた。体勢をくずした袮々の身体はその場に仰向けに倒れて動かなかった。
ぽっかりと
「きゃあああ!」
叫び声が聞こえてきた。千歳かと瑠璃は思ったが、自身の口から発せられていたことに遅れて気づいた。まるであの日の残響が溢れ出てきたようだ。過去と現在が目の前で重なり合い、否応なしにあのときの絶望を
そのとき、がしりと瑠璃の腰にしがみついた存在があった。千歳だ。いまの瑠璃はもう独りではない。からくも我に返り、瑠璃は守るべき存在のことを思い出すことができた。
がさり、と草を踏む音がした。
弾かれたように音の方を向けば、人影がひとつ立っていた。悲鳴を聞いて駆けつけてくれたという風ではない。明らかにその顔は、人のそれではなかった。
まるで複数人の顔を細かく切り刻んで大小
がさり、がさり、と下草を踏みつけて近づいてくる。次の瞬間、それは駆けだし距離を詰めてきた。
瑠璃はとっさに身をかがめて壁となり、背後に千歳を隠した。そして眼前にまで迫る怪物を睨みつけ、何をされても千歳だけは守り抜くと覚悟を決めた。
怪物が手を伸ばし、瑠璃からきつねの仮面を取った。手にした仮面を
しばらくの間を置いて、やにわに暗い穴のなかから何かが飛び出した。痰でも吐くようにきつねの仮面が吐き出されたのだった。
瑠璃は背負っていた籠を下ろすと、咄嗟に中身の衣服を怪物に向けて投げつけた。それらは水を吸って重量があったはずだったが、怪物は何の障りもない様子でふたたび瑠璃に向けて手を伸ばしてきた。
怪物の手が瑠璃の耳もとに触れた。その瞬間、瑠璃の意識は闇に没した。
◇◇◇◇
ようやく
現場には大人の女がふたりと少女がひとり、そして顔剥ぎの姿があった。ひとりの女は地に倒れていたが、もうひとりの女は少女に覆いかぶさっていた。おそらく
女ふたりはすでに顔を剥がされていたが、少女はまだ無事らしかった。現に顔剥ぎは少女のうえにある女の身体を執拗に殴っていた。顔剥ぎにとって興味があるのは顔だけだ。肉体をすでに手にしている以上、もはや人の身体にただの肉塊以外の価値はない。どうやら少女の顔を狙って襲っている最中だった。
比義は顔剥ぎがまだ人の姿をしているのを確認すると、勢いをつけて顔剥ぎに身体をぶつけ弾き飛ばした。人の身体のままでは軽々と吹っ飛び、顔剥ぎは林床を転がった。
比義は少女たちの正面に立ち、つけている仮面の表面を指先でトンと叩いて唱えた。
「
仮面の表面を黒い波紋がはしった。ひとつ、ふたつ、次々と。まるで大雨に晒された
「
比義の言葉に応じたように、しゃりん――と鈴の音が鳴った。そして仮面の中心を何かが突き破った。
比義の頭頂に立派な
しゃりん――とふたたび鈴の音が響いた。比義の嘴の隙間から
顔剥ぎが
顔剥ぎが人の形を変えていく。腕の表面にぷつぷつと汗らしき水滴が浮かび、しだいに半透明な黄褐色の液体があふれる。しかし液体は流れ落ちることなく留まり、腕を厚く覆いつくした。いまや〝腕〟は元の数倍の大きさに膨れあがり、ぶよぶよとした半透明な物質越しに元の腕がぼんやりと見える様は、まるで蛙が産んだ卵塊のようだった。
顔剥ぎが長く垂れた腕を鞭のように数回地面に叩きつけると、重量感のある鈍い響きが大地を震わせた。さきほど比義が翼を羽ばたかせたことへの意趣返しのつもりだろう。何人もの人の顔を食べ、思いのほか感情というものを少しは学び取ったらしかった。
「挑発か? ならお返しだ」
比義はそう言って大きく息を吸った。肺いっぱいに貯めた空気を勢いよく吹きだすと、金色の火焔が顔剥ぎを襲った。焔の燃ゆる勢いに呼応して、しゃんしゃんと激しく鈴の音が奏でられた。
火焔に包まれた顔剥ぎだったが、大きな腕をぶんぶんと振り回して消火した。見れば全身がぬれぬれと湿っている。どうやら腕を構成している液体と同じようなものを分泌して身体を覆ったようだ。燃えにくい性質でもあるのか火にはある程度の耐性がある様子だった。
ならば速さでいこう、と比義は翼を大きく広げて姿勢を前傾に倒すと地を蹴った。同時に翼をひと羽ばたきさせて推進力を増加させ、顔剥ぎに向けて一気に詰め寄る。しかし顔剥ぎが反応して迎え撃つべく腕を振り上げた。咄嗟に比義は
対象を失って空振りをする顔剥ぎの背中に、比義は渾身の力で蹴りかかった。骨と
足が離れない。足の甲が顔剥ぎの身体に密着していた。どうやら顔剥ぎの身を覆った液体には接着剤としての効果もあったようだ。
受けの構えを取った比義だったが、片足立ちでは勢いを殺せずにもろに一撃をくらってしまった。身体は吹き飛ばされ木に
衝撃で目の前が明滅を繰り返すなか、頭は冴えを取り戻した。比義は立ちあがり翼から
比義は翼を羽ばたかせ宙へと浮かぶと、木々のあいだを縫うように飛翔して顔剥ぎを翻弄する。叩き落とそうと腕を振りまわす顔剥ぎだったが、その長さゆえに木々が障害となっていた。立木の表面を砕くばかりで比義にはまったく届かない。ついに痺れを切らして安直に両腕を振りぬいたところを比義は見逃さなかった。
比義は身を翻して頭から急降下する。落下の勢いも乗せて顔剥ぎの眼前に迫った。そこで前方に転回して頭と足の上下を入れ替えると、勢いそのままに両足の裏で顔剥ぎの身体を蹴りつけた。ひしゃげるように体勢がくずれて顔剥ぎは地に叩きつけられるが、接着によって足が離れないため倒れた顔剥ぎのうえに比義は立っていた。
顔剥ぎの身体を踏みつけて動きを封じた状態で、比義は顔剥ぎの〝顔〟めがけて風切羽の刃を勢いよく突き立てた。本体を隠す役目をもつ顔の仮面を刺し貫くと、そのまま
無音の火が顔剥ぎの身体におのずと
灰白色の仮面をつけた比義は
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