マギアグラビティデイズ
ケチュ
第1話
「お姉ちゃ……」
どうして私がお姉ちゃんの名前を呼んでいるのか、おかしいと思った。
だって私はお姉ちゃんのことが嫌いだから。
だからここが夢なんだとすぐに察してしまった。その途端に私の意識は徐々に霧の掛かった湖から浮き出てきて、スッと凛様の優しい琥珀色の瞳が見えてきた。
まるで夢の続きを覗き込むような曖昧で柔らかい視線だ。
寝ぼけ過ぎだろう……流石に。
凛様の上品で落ち着いた微睡んでいるような穏やかなご尊顔がどうしてか目の前に見えている。いや、目の前というよりは覗き込まれているぐらいすごく近くに感じる。
ワインレッド色の髪を肩甲骨あたりまで伸ばしたセミロング。センター寄りの斜め分けで少しだけ見える額。絹のようにしっとりとした柔らかそうな髪を今日は内巻きにしている。
普段はロングなのに、どうしたんだろう?
今日は何かあったっけ……?
「霙ちゃん?」
「な——!」
微睡んだままの私の二重まぶたに凛様はそっと触れるとその温かさがじんわりと伝わってきて、私の意識は目を覚まし思わず大きく変な声を出してしまった。
「す、すすいません!」
「あ、起きた。——ふふふ、随分とぐっすりだったね」
「え、あ、え! あ!」
よだれ垂れていないよね? 変な顔していなかったよね? 背中がちょっと痛い……いや、そんなことよりも口臭くない?
「ん? どしたー?」
「あ、いや、えっとあはは凛様も眠りましたか?」
「あーちょっとね」
凛様が目を細めて笑っている。
こういう時は嘘をついている時だ。多分一睡もしていないんだろう。
うわーやっちゃったー。霙やっちゃったよー。
用心棒でメイドなのに、守るべきなのは私の方だったのに逆に凛様に見守られていたってことじゃん。
……せめて凛様も寝ていればよかったのに。
「お、見て。めっちゃ雲の上だよ今」
「…………」
凛様は横目で覗きながらまるで清楚ギャルみたいに笑う。
か、可愛い……! 変な顔していないよね私!
だ、駄目だこのままじゃ顔が歪む気がする。何か話題ないか?
「そ、そうだ」
「ん?」
「凛様。本当にこのような格安飛行機で良かったのでしょうか?」
「あーうんいいのいいの霙ちゃん。長旅になるほど長距離ではないしさ、たまにはこういうローコストで庶民的な雰囲気の方が私は好き」
「なら……いいのですが」
「やっぱ霙ちゃんスウィートクラスの方が良かった?」
「いえ、そんなことはありません。——ただ、凛様は赤城財閥のお嬢様ですから、もう少し用心になった方がいいのではないか、と思いまして」
「あー耳が痛いよ。けどさーたまには羽を伸ばしたいじゃん?」
「分かりますけど……」
「木を隠すには森の中と言うように人を隠すには人の中。つまり人の多いところの方が身を隠しやすいってこと。そういうことにしてくれない?」
「はい。そうですよね。私もそう思いました」
凛様がそう言うのであればその通りなんだろう。
私ごときの浅知恵ではまだまだ凛様に仕えるのは厳しいみたいだ。
その日、凛様は色んな有名人が集う国際的なパーティーに出席するために秘密裏に飛行機に搭乗していた。私は凛様の用心棒兼メイドとして凛様に付き添うことになっていた。
……そんな中、私は爆睡ちゃんを披露してしまったというわけです。
まぁ、そんなことはこれから気を付ければいいから、まぁまぁ置いといて——
凛様は赤城財閥の令嬢。
世界規模の魔道具製造会社・赤城コーポレーションの創始者・赤城忍の一人娘として生まれ、その名に恥じることの無い成績を修めてきた。
本当はこういう風に自由に出歩いていたら危ないような身分の人なんだけど、こっそりと勝手に出かけたりしちゃうちょっと危ないところがある。
できれば辞めて欲しいんだけど……そういうところが凛様の魅力の一つでもあるから何とも言えないや。
それにもしものことがあったとしても私がちゃんと守ることが出来ればいいだけ。
「霙ちゃん。私もちょっとだけ眠るわ」
「あ、はい。任せてくださいよ!」
「うん、よろしく」
凛様はそう言うと窓の方に顔を傾けて瞳を閉じた。
やはり眠たかったということなのだろうか?
だとしたら申し訳ないな。私が寝たせいで眠れなかったなんてことになっていたら。メイド失格過ぎる。
だけど、言ってこないってことは多分偶然よね?
そんなことを考えていたら私自身もなんだか暖かな日光の魔性に負けてウトウトし始めてしまったが、ゴツッと通行人の腕が顔を掠め意識を失うギリギリのところで踏みとどまり思わず焦った。
危ない危ない。
偶然、私の顔にあの人の手が当たったことはちょっとムカつくけど、そうじゃなかったらもう少しで二人仲良く夢の中に誘拐されていたところだった。
もはやぶつけてくれてありがとうって感じね。
感謝、感謝。
通路の奥へ歩いて行った人を眺めて心の中で小さくお辞儀をした。
随分とがたいが大きい。
どうりで私の顔に腕を掠めるわけだ。あのくらい大きな身体だと毎回ドアで頭をぶつけていそう。
特に気になる物もなかったからぼんやりとその人を見ていると、一人また一人と大きな背丈の人たちが後ろから通路を歩いてきて前方に集結していく。
もしも席替えであんぐらいの背丈の同級生が前を独占したらと思わず苦笑いを浮かべた私だったが、ふと何か違和感を覚えた。
対して経験を積んでいない私なんかの感覚ごときで果たして何を察することが出来るのか、と言われてしまえばその通りなのだけれど——当然違和感の正体は微塵と想像も出来ないから、どうせ杞憂だろうなと再び眠気に体を委ね掛けていた。
だから、まぐれだったのかもしれない。
嫌な予感が当たったのは。
「動くな!」
耳を殴りつけるような強烈な怒号が機内に鳴り響いた。
——急な大声は心臓に悪い。
何事かと私が声の鳴った前方を確認する。
視線を遮るほどガタイの大きい人が仁王立ちをしている。頭を覆うフードを見て先ほど通路を渡った一人だろうと分かった。
フードの中から見えた顔は髭もなく眉も整えたさっぱりとした顔立ち。ただどうも目の色がおかしい。明らかに穏やかじゃない。ギラギラと獣みたいに光っている気がする。
そして見せつけるように片手を上げている。その手には……拳銃⁉
「ハイジャックだ! 座っていろ!」
拳銃に気が付いた乗客は波紋を呼ぶかのように悲鳴を上げていく。
しかし——
「黙れ! この拳銃は魔道具だ。狙った場所に玉が自動で追跡をする魔法が込められている。余計なことは考えるなよ!」
再び怒号を鳴らし、恐らくけん制のつもりだろう。乗客のいない場所に向けて——パンっと発砲をした。
乗客のざわめきすらも許さない。そんな剣幕で睨みつけている。
「魔道具……持ち出し禁止じゃなかったけ?」
隣でいつの間にか目を覚ましていた凛様がボソリと私に聞こえる程度の声量で呟く。
魔道具は魔力を込めるだけで誰でも魔道具に備わった魔法を使うことが出来る赤城コーポレーションの発明品だ。
仮に魔法が使えずとも魔法が使えるという便利性から赤城コーポレーションを世界規模に導いた。
しかし、誰でも魔法が使えてしまう便利性は更なる危険を及ぼすとして扱いは日に日に厳しく取り締まられてきている。
飛行機内への持ち込み禁止もその一環だった。
どうかい潜って持ち込んだのかは分からないけどあの魔道具一つさえあればこの飛行機内の支配は容易いだろう。
持ち物検査サボったりしたんじゃないのか、なんて愚痴っても意味はないけれどそう思ってしまう私はまだまだ子供だ。
「凛様」
「うん、多分この場では霙ちゃん。君だけが唯一あいつらに対抗できる切り札だと思う」
「はい」
凛様は想像以上に冷静に見えた。まるでこの状況を予見していたかのような頼もしさを感じる。
細身でしなやかな曲線の体つきでどことなく可愛らしい見た目をしているのにこのギャップである。
私の方が胸が大きいとは言え度胸は絶対に負けているに違いない。私の方が胸は大きいけど!
「だけど一応穏便に済むのならそれが一番。もしも被害が出そうになった時にだけしか魔法は禁止、お願いね」
「え、で、でも出来るならさっさと取り押さえちゃった方がいいんじゃないですか?」
「だって私たち家出組だよ? 騒動になったらバレちゃうじゃん」
「た、確かに……」
確かにその通りかもしれないけど……私なら魔法であいつらを一網打尽にすることは容易いんだけどなぁ。
まあでも何事もなければないのが一番なのはその通りだしな。
——だけど活躍するチャンスなんだよなぁ。
「とりあえずは目的が何か分かるまでは大人しくしておいて」
「……はい」
凛様にたてつくわけにもいかない。
とりあえず目的を知るまでは大人しくしておこう。
それからしばらく緊張感漂う機内の中でジャック犯らの動向に気を配っていると、突然機内アナウンスが流れ始める。
当然のように到着のアナウンスなんかではなく、呼び出しの内容だった。
それを聞いた私は思わず自分の耳を疑った。
なにせ私たちは秘密裏に外出をして誰にも知られずにこの飛行機に乗ったのだ。
どう考えても“その名”が呼び出されるわけがない。
しかし、耳に飛び込んできたその名は——
「赤城凛」
隣に座る凛様だったのだ。
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