ー銀腕の貴族Ⅳー

 石畳の街路をしばらく歩くと、ロズリアがふと足を止めた。


「尾形、この先に街の外なんだけど、見せたい場所があるの」

 彼女はいたずらっぽく微笑み、手招きする。


「見せたい場所?」

「ええ。少し歩けば、丘の上から街と周りの草原が一望できるの。風も気持ちいいし、今の時季は花も綺麗に咲いているはずよ」


 そう言って、ロズリアは門へと続く道を歩き出す。

 尾形は肩をすくめつつも、その後を追った。昨日まで屋敷の中ばかりだったせいか、外の空気は新鮮だった。

 門の近くまで来ると、門番がロズリアに軽く敬礼し、通行を許す。


               ◆


 街の門を抜けた二人は、草原へと続くなだらかな坂道を歩いていた。


 街の門を抜けた瞬間、尾形の頬を涼やかな風が撫でた。

 背後で軋む門扉の音が遠ざかると、目の前には緩やかな坂道が、草原へと溶け込むように伸びている。


 尾形は見慣れぬ世界の光景に目を奪われながらも、どこか落ち着くような不思議な感覚を覚えていた。土の匂い、揺れる草花、遠くに見える丘の稜線。ひとつひとつが新鮮で、なのに懐かしい。


「こっち、行ってみない? 風がすごく気持ちいいの」


 ロズリアは軽やかに坂を登りながら、振り返って尾形を促した。尾形もその背に従い、一歩ずつ歩を進める。


 やがて、道の脇に広がる草むらの先に、ゆるやかな丘陵とその上に広がる見晴らしのいい草原が見えてきた。街の外に出たばかりとは思えない、静けさと開放感に満ちた場所だった。


「ここも全部、カレヴィナ家の領地よ。今いるあたりは南端寄りで、〈サレヴァイン王国〉の中でもかなり辺境なの」

「……つまり、田舎?」

「失礼ねっ。でもまあ、否定はしないわ」


 ロズリアは苦笑しながらも、誇らしげに胸を張った。


「サレヴァイン王国は五つの大領邦が協調して成り立ってる“連邦型”の国。うちは境を守る家系。のんびり見えても、意外と忙しいのよ」

「へえ……」


 ロズリアの言葉を聞きながら、尾形は風景の中に目をやる。どこまでも続く青空と緑の丘。見知らぬはずなのに、心が落ち着いていくような不思議な感覚があった。


 そんな中、ふと風の向きが変わった。


 ――鉄のような匂い。


 尾形は眉をひそめた。


「……なんだ、この匂い?血?」


 ロズリアもすぐに立ち止まり、空気を探るように目を細めた。

 彼女は右手の銀碗の甲に触れ、埋め込まれた魔石に小さく魔力を流し込む。

 淡い光が広がり、空気の粒子が震えるように揺れた。


「――〈探知(サーチ)〉」


 周囲の風がわずかに旋回し、魔力の反応が彼女の意識に流れ込む。


「……匂いの元は西南の谷間付近、魔物……いや、魔獣かしら。見張り台からは死角ね。距離はあるけど、放っておけば街の近くまで来る可能性がある」


 ロズリアは迷った。

 尾形を安全な街へ戻すべきか、それともすぐに痕跡を追うべきか。

 だが、街へ戻る間に血の跡が雨や風で消えてしまえば、後手に回る危険が高い。

 天秤の上で迷った末、ロズリアは決断した。


「……尾形、危険だけど、一緒に来てほしい。何かあっても必ず守るから」


 尾形は、一瞬だけ先日のゴブリンとの戦いを思い出す。だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、あの時とは違い、胸の奥に静かな覚悟のようなものがあった。


「……大丈夫。行こう」


 ロズリアは頷き、銀腕に触れる。甲の魔石が淡く光り、彼女の声が魔力の波に乗って空へと解き放たれた。


「〈伝令メッセンジャー〉――西南の谷間付近で血の匂いと反応を感知。魔獣の可能性あり、警戒態勢を。それと、増援の準備ができ次第、私の魔力痕跡を辿って来て」


 わずか数秒後、遠くの見張り台から光の返答が瞬く。これで何かあっても救援は遅れない。


「感謝するわ。じゃあ、警戒してついてきて」


 二人は匂いのする方へと足を進めていった。


                 ◆


 緩やかに下る獣道を抜け、谷間の窪地へと足を踏み入れた瞬間、鼻をつく血の匂いが一層濃くなった。

 湿った空気が肌にまとわりつき、周囲は低木や苔むした岩に囲まれている。風通しが悪く、ここだけ時間が止まったような静けさが支配していた。


 その中心に――数体の魔獣の死骸が転がっていた。

 灰褐色の毛並みと甲殻を持つ四足獣、〈アーススナッチ〉。地中に潜み、獲物を待ち構える魔物だが、警戒心が強く地表には滅多に姿を見せない。


 だが今、谷間の土は掘り返され、あちこちに穴が開き、黒く滲む血溜まりが散在している。

 倒れた魔獣の体は、鋭い爪で切り裂かれたもの、背中から深く貫かれたもの、腹部を抉られ内臓が半ば外に垂れ下がったものまであった。どの死骸にも肉を食われた痕跡はなく、ただ暴力的に排除されたとしか思えない惨状だった。


「……これは……喰うためじゃない。ただ……排除しただけ」


 ロズリアの声が低くなる。

 そのとき、風下の低木が揺れた。


 ロズリアが即座に右手を上げ、銀碗の甲に触れる。

 埋め込まれた魔石が淡く輝き、周囲の空気がわずかに張り詰める。


「……何か来る」


 次の瞬間、草むらの奥から姿を現したのは、緑色の肌を持つ小柄な人型の魔物――ゴブリンだった。


 しかも一体ではない。二体、三体……次々に現れるその体は、どれも血にまみれ、深い傷を負っていた。


 その姿に、ロズリアの目が細まる。


(昨日、戦ったゴブリンと似てる……まさか、あのときの群れ?)


  目の前のゴブリンたちは、肩を裂かれ、片腕を失いながらも、なお睨みつけてくる。

 その表情は恐怖ではなく、憎悪に染まっていた。


(間違いない……昨日の群れと同じ、領地内で大量発生していた群れの生き残り。討伐隊を編成してほぼ殲滅したはずが……ここまで迷い込んでいたのね)


 だが、傷は人の武器でつけられるものとは違う。切り裂かれ方も貫かれ方も荒々しく、まるで遊び半分にいたぶられたような痕跡だ。


(……おそらく、ゴブリンより格上の魔物か魔獣に追われた)


 ロズリアの胸に冷たい予感が走る。

 そして、瀕死のゴブリンたちは、その体を引きずりながらも、かつて自分たちの住処を追いやった張本人――ロズリアを、殺意のこもった視線で捉えていた。


「……住処を追われた、だけじゃないわね。尾形下がって」


 ロズリアが前へ出る。

 銀腕の魔石がさらに輝きを増し、足元に赤い魔法陣が展開する。


「五体。全部手負い。でも油断しない」


 ゴブリンたちが吠え、血飛沫を散らしながら襲いかかってきた。

 その動きには、死を覚悟した者だけが持つ、鈍くも狂気じみた執念があった。


                 ◆


 ゴブリンたちが吠え、血飛沫を散らしながら襲いかかってきた。

 ロズリアは半歩引き、陽光を反射する右腕の銀光をわずかに傾け、その甲に嵌め込まれた魔石へ魔力を流し込む。淡紅色の魔方陣が瞬時に展開し、空気が熱を帯びた。


 一匹目が飛びかかる瞬間、その銀の掌から放たれた〈火矢フレア・ボルト〉が頭部を撃ち抜く。

 燃え上がる悲鳴を横目に、背後から迫る別の一匹を振り向きざまに銀の拳で殴りつけた。甲硬質な衝撃が顎を砕き、ゴブリンの体が地面に叩きつけられる。


 三匹目が距離を詰める。ロズリアは銀腕を地面に叩きつけ、魔石を媒介に〈爆裂火花ブラスト・スパーク〉を放つ。

 爆ぜた火花が爆風とともにゴブリンを吹き飛ばし、体表に焦げ跡を残した。


 残る二匹は躊躇なく突っ込んできたが、ロズリアの目は一切揺らがない。

 銀光を引く右腕から放たれた〈光刃フォトン・エッジ〉が一匹の喉元を切り裂き、同時にもう一方へは掌底を叩き込む。魔力が衝撃波となって内部を焼き、ゴブリンはその場に崩れ落ちた。


 数呼吸の間に、戦場は沈黙を取り戻す。

  右腕に宿る銀の輝きと、そこから立ち上る熱気が、焦げた匂いと共に谷間を満たしていたす。

 その光景を見ていた尾形は戦いが終わったのだと安堵した、瞬間――

 谷間の奥で、苔むした岩が一つ、二つと音もなく転がる。湿った空気に、不自然な熱が混じる。苔から白い湯気がふっと立ちのぼり、血の匂いに焦げの気配が重なった。

 暗がりから、巨影が身を起こす。

 二階家屋を越える背丈。

 灰に焼けた外殻、灼けた呼気で空気を歪ませる巨体――写本の図版そのまま。

 見間違えようがない。

 喉奥で炉の火のような赤が脈打ち、吐息のたび空気が波のように押し出される。

 さらに甲殻の継ぎ目に並ぶ細孔が拍動に合わせて白い蒸気を噴き、湿った岩肌が一瞬で乾いていく。


 「……灰獣王〈ヴァルカン〉――っ!」


 ロズリアの喉が強ばる。

 背筋に電流のような寒気が走り、右腕の銀が悲鳴のように鳴った。


「尾形、後ろへ。絶対に離れないで」


 尾形が小声で問いかける。


「……ヴァルカンって?」

「“禁忌級”よ。覚えてる?さっきで話したでしょ――遭遇したらまず撤退が原則の、国の記録に残る化け物の中でも別格」

「そんなのが、なんでここに……」

「知らないわ。でもあれは灰獣王。灰の殻と赤い呼気が目印。街の一つや二つ簡単に滅ぼす。」


 その言葉を聞いて尾形は、固唾をのむ。


「隙を見て逃げるわよ。もし風が唸ったら伏せて、魔法防壁から出ないで。私の合図以外、動かないこと。いいわね?」


 ロズリアが生き残る手を探り、思考をフル回転させていると――


 角笛が三度、裂くように鳴り渡り、見張り台の光標(ビーコン)と烽火が連鎖する。土煙と鎖帷子の音が斜面を震わせ、増援の列が縁へ雪崩れ込んだ。


 それを見た彼女は銀の甲に触れ、声を魔力に乗せて飛ばす。


「〈伝令メッセンジャー〉――西南谷間に禁忌級〈ヴォルカン〉確認。警鐘三打を継続。増援第一陣は谷へ進入、現場と合流。前衛は盾列で退路を確保、後衛は稜線から援護射撃を継続。第二陣は谷口で遮断線を敷き、避難誘導と通行止めを徹底。現場指揮は私、ロズリア」


 指令が届くより早く、先頭の兵が斜面を滑り降り、盾を重ねて尾形とロズリアの前に壁を立てる。後衛は稜線に張り付き、弓と魔弾で進路を間欠的に叩き、第二陣が谷口に遮断柵と標旗を立て始めた。

 民間の侵入は谷口で止める――谷の中は合流・護送のために入る。

 ロズリアは息をひとつ置き、はっきりと言った。


「目標は撤退。撃破は狙わない。 北の斜面へ下がるわ!」

 

 副長が即座に応じ、号令を飛ばす。


「前列、盾を重ねろ! 十歩下がって、止まれ、交替! 弓隊、構え! 尾形殿は中央の影、護送最優先!」


 前列が肩を寄せ盾の壁をつくり、尾形を中心にじりじり下がる。


「〈防壁シールド〉!」


 ロズリアが右腕を掲げると、盾壁の前に透明な厚い膜が立ち上がった。兵の力がそこへ注ぎ込み、全面に巨大な壁が出来上がる。


 その時、ロズリアは気づく。――ヴァルカンの進路が、常に尾形に収束している。

 首は向けない。視線も感じない。だが巨体の軸が、尾形の居場所へ自然と揃っていく。矢が当たっても、槍で押しても、歩きやすい方へ足を置き替えるだけ。人間は、道の凸凹と同じ扱いだ。


「〈標刻マーク〉――膝の横、ここ。いま白い点をつける。弓はその点だけ!」

 

 ロズリアの指先が弾け、小さな白が関節の脇にぱちと灯る。


「〈鳴矢レゾナンス・ボルト〉! 当たれば殻の奥が揺れる!」

 

 矢がそこへ吸い込まれ、殻の奥で鈍い音が鳴る。

 ヴァルカンの歩みが半拍だけ重くなる。

 そのあいだに、盾列は十歩下がった。


「槍隊! 脛の外から押せ! つま先を外へ向けさせろ――押して、退路を確保するぞ!」


 盾の隙間から突き出た槍の柄が、鱗の合わせ目にぐっと当たる。

 ヴァルカンは痛がらない。ただ次の一歩のつま先が、壁側へわずかに向き直り、足跡が半足ぶん外に落ちた。

 巨体を止めるのではない。次の足跡を半歩外へずらす――それだけで道は開く

 その半歩で、中央の退路に人ひと列ぶんの隙間が生まれ、尾形の前に抜け道ができる。


「正面〈ヒート・ブレス〉が来るわ。熱は風でいなす! 〈風幕ウィンド・ヴェイル〉!」

 

 ロズリアが銀の右腕を払うと、盾列の正面に薄い風の膜が張りつく。膜は〈ヒート・ブレス〉をすくい上げて天へ逃がす。

 盾の縁でじりじり焦げていた熱が、膜に触れた途端横へ滑っていった。


「氷は隠れ幕。凍らせない――〈氷霧フロスト・ミスト〉!」


 指先から針のように細い氷の塵が、先の白い点の周りへ散る。触れた瞬間、排熱にジュッと飲まれ、白い霧がぱっと広がった。

 狙いは結露と蒸気で視界を切ること。

 霧の陰で盾列は十歩下がり、槍は脛の外からつま先を半足ぶん壁側へ向けさせる。


 その刹那、空気が低く唸る。

 ヴァルカンがただ腕を払った。狙ったというより、進路上の埃を一掃する手つき――だが、その軌道は尾形のいる中央線を正確にかすめていた。


 「伏せろ! 交替、下がれ!」

 

 前列が膝を落とし、盾と透明な壁で尾形を守る。

 魔法で構築された壁に亀裂が幾筋も走り、盾の金具が悲鳴を上げた。


「持たせる……!」

 

 ロズリアは銀の右腕を強く光らせ、割れ目へ縫うように魔力を流し込んで崩壊を止める。


 矢が膝を震わせ、槍が足先の向きを半足ずらし、風が熱を削っても――ヴァルカンは尾形のいる方向へだけ、まっすぐ進む。

 象が蟻の列をまたぐのと同じ無造作で、ただし蟻の中の一匹だけを踏みにいくように。


「弓は間欠射、膝の横だけ! 歩幅を半拍落として!」

 

 矢が途切れ途切れに飛ぶか歩みは止まらない。だがその半拍で、盾列は十歩、十歩と段階的に後退し、北斜面の稜線が近づく。


 だが


 ヴォルカンの一撃が、陣形を粉砕した。

 甲殻の巨腕が地を叩き、〈防壁シールド〉に走っていた亀裂が一気に爆ぜる。盾壁は瓦解し、兵たちは布切れのように宙へ舞った。

 ロズリアも、銀の右腕ごと地を転がる。肺が空気を失い、視界が白く散った。


 甲殻がきしみ、巨影が向き直る。

 そこには――尾形だけが、ひとり取り残されていた。


 ヴォルカンが地を割る一歩で詰め、殺すための腕を振り下ろす。

 尾形は咄嗟に、近くに落ちていた兵の盾を掴んで掲げた。

 次の瞬間、金属の悲鳴とともに盾は粉砕され、尾形の体は杭のように地へ叩きつけられる。肺から空気が抜け、骨の奥で嫌な鈍音が鳴った。


 ヴォルカンの喉が灯る。

 炉の火のような赤が白に近い黄へと燃え上がり、胴の継ぎ目の排熱孔がいっせいに開く。先ほどまでとは比べものにならない光量――本気の〈ヒート・ブレス〉だ。


「尾形――逃げて!」


 ロズリアは、うまく動かない体を無理やり起こし、声を荒げる。

 だが尾形もまた、強く打ちつけた衝撃に四肢が言うことをきかない。砂をかむ味と、血の鉄臭が舌に広がった。


 ――光が、目の前に迫る。

 死を理解した時、体の奥底で、本能が、叫ぶ。

 


 ――――殺られる前に――――殺せ。



 瞬間、黒い靄が皮膚から噴き、四肢が膨張する。

 筋肉が裂けるように盛り上がり、背骨沿いに星図めいた蒼白の線が点滅を繰り返す。

 煤けた灰黒の皮膚に星座のような光が生まれては消えた。


「――――グゥアアアアアアアアアッッ!!!」


 そこに立っていたのは、黒き獣。

 人の形をかろうじて保ちながら、背丈は六メートル近く。

 蒼白い双眸がヴォルカンを貫き、巻き上がる靄が熱を呑み、大気を押しのける。


 ヴォルカンの白熱の奔流が、黒き獣を飲み込んだ。

 だが――歩みは止まらない。

 靄が熱をちぎり、〈ヒート・ブレス〉の層が左右に割れていく。

 黒き獣は無造作に距離を詰め、ヴォルカンの喉元を掴んだ。


 地面が、反転する。

 黒き獣は巨体を引き剝がすように持ち上げ、禁忌級の魔獣をそのままへ地面に叩きつけた。

 地割れが四方へ走り、岩塔が折れ、遅れて轟音が谷を満たす。


 そこからは――一方的だった。

 ヴォルカンの尾が横薙ぎに走り、谷壁の樹木が灰柱へ変わる。

 四肢が地を掘り返し、地形そのものを武器にする。

 しかし黒き獣には効かない。

 甲殻を掴み、節の継ぎ目をこじ開け、拳を打ち込む。

 殻の裏で鈍い鐘が鳴るたび、巨獣の膝が沈む。


 ヴォルカンが喉を鳴らす。

 それは咆哮ではなかった。

 嗚咽に似た、弱い音。

 巨体が後ずさり、身を丸める――命乞いの仕草。

 兵たちは、歴史に名を刻む魔獣が見せたあまりに人間臭い弱さに、ただ唖然とする。


 だが黒き獣の腕は止まらない。

 胸の奥で光が集まり、喉を上がって口腔に焦点が結ばれる。

 音が消え、色が一点に集まった。


 ――放たれる。

 超高熱の魔力線が直線を描き、ヴォルカンの頭部を容易に溶断した。

 光条はそのまま谷の後方へ地形を削り、岩肌を溶かし、一本の焼けた溝を丘の外れまで刻みつける。


 灰獣王〈ヴォルカン〉の巨体が、崩れた。

 甲殻は崩砂となって流れ、蒸気と灰が空を覆う。

 黒き獣は天へ向けて、勝利の咆哮を轟かせた。


 ――そして、静かになった。

 星図のような光は弱まり、黒い靄がほどけていく。

 巨体は縮み、色は褪せ、尾形が地に膝をつく。

 銀の音が遠くで鳴った気がした。

 ロズリアの右腕だ。


「尾形!」


 彼女が駆け寄るより早く、尾形の意識は闇へ落ちた。


 谷間に、熱と灰と、信じがたい静けさが残る。

 禁忌級が本気で解き放った力――それを意にも介さず押し潰した、黒き獣の余熱だけが、まだ石を温めていた。


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